流れは続いている
『サガレン』について書こうと思います。
が、どこから手を付けてよいものやら、いったいそもそも何を伝えたいのか?
わからないままの発進です。
一つ言えることは、
『熱源』が川の源流、すなわち山の頂きに見いだした地下からの湧き水なら、『サガレン』は、その水の流れの”現在の先端”であることです。
自分でも不思議です。
たまたま書棚て見つけた本が、このように私に作用することが。
『熱源』は、何度か放り出そうとしながらも、「いやいや」と思い直しようやく読み切った本でした。
その後
興味の流れのままに、いくつかの記事も残してきました。
全くもって個人的な興味のままに。
今や
「アイヌ」
「北方民族」
「サハリン」
の言葉は、目にすれば必ず立ち止まって思いを注ぐ対象となりました。
北海道新聞で紹介されていた『サガレン』ですが、それが「サハリン」の古い呼称であることを知った私は、さっそく図書館にリクエストいたしました。
まずは、著者梯久美子氏の手記を引用し、紹介に代えましょう。
歴史の上を走る鉄道
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/3252
(引用元のアドレスです。許可を得て貼り付けしております。)
岩波書店wevマガジン「たねをまく」より、『天涯の声』梯久美子
あらゆる列車は歴史の上を走る。
バラストが砕けて砂になり、枕木がコンクリートに替わり、レールが敷き直されても、それらを支える地面は変わらずそこにある。そして、自分の上を通っていった者たちの物語を記憶するのだ。
生きかわり死にかわりしながら、軌道の上に見えない層をなす人々。そこをまた別の人生が駆けてゆく。
簡単に言ってしまえば、これは梯氏の旅行記です。
「ユジノサハリンスク」発の鉄道に揺られながら、梯氏は、かつて同じ道を辿った林芙美子の旅行記を開きます。
林芙美子の『下駄で歩いたパリ』のなかに収めれている「樺太への旅」のページを繰りながら、自身の進行形の旅の記録を重ねてゆくのです。
読者は地理の上の移動と共に、時空の旅も楽しむことができます。
また、”地図おたく”で”鉄道おたく”であると自称する梯氏の文章は、大変緻密です。
不明なことをとことん調べ、分かり、腑に落ち、見出した発見に胸ときめかせる梯氏です。
このような喜びや興奮は、かなり縮小版ではありますが、私も体験することができます。
(この地図を見ますと、稚内の近さが印象的ですね。
宗谷岬からの距離は43キロ。)
芙美子にみちびかれて、私は100年前に死んだひとりの男に出会うことになる。革命を夢見た流刑囚にして、アイヌを愛した人類学者。移動と越境の宿命を生きた、ブロニスワフ・ピウスツキという名のポーランド人である。
『サガレン』より抜粋
ほらね!
つながっている。
『熱源』の世界がここにちらりと顔をのぞかせるのです。
第二部では、宮沢賢治の”北への旅”と、二度目のサハリン紀行が重なります。
サハリンがニブフやウィルタ、アイヌといった先住民族の土地であることを賢治はよく知っていた。
『宮沢賢治 北方への志向』を書いた秋枝美保氏をはじめ、賢治文学にアイヌの思想や文化の影響がみられることを指摘する研究者は多い。
(中略)
また、アイヌ語研究の先駆者で、1907(明治四十)年から樺太に赴いて樺太アイヌ語を採取した金田一京介ともつながりがあった。金田一の四番目の弟と盛岡中学で同級生だったのだ。1921年(大正十)年に上京した際には金田一の住まいを訪ねて会っている。金田一は当時すてに、樺太アイヌの山辺安之助の口述を筆記した『あいぬ物語』(大正二年)と『北蝦夷古謡遺篇』(大正三年)というアイヌ関連の二冊の著書を刊行しており、賢治はこれらを読んでいたと思われる。
(西暦はアラビア数字に変換して記述しました。)
『サガレン』より抜粋
ほら!ここにも『熱源』とつながる記述が。
だから何?と思われるかもしれないけれど私にとってはときめきなのです。