納戸に収めておくもの 2

興味や好みや・・・

 興味や好みというのは、大変に個人的なものであって、「共有」するには相応のタイミングやら、そもそもの相性のようなものに助けられないと難しいと思っております。
自分のストックを収めておく「納戸」・・。
自分の興味関心だけで出来上がっているお部屋・・。
アクセスの期待は横に置き、こさえたカテゴリ・・。

それでもここをのぞいて下さり、スターという足跡まで残して下さる方がいらっしゃる・・。
ありがたいことです。
だからって調子に乗っているわけではございませんが、本日は「納戸に収めておくもの 2」であります。
関連するものがたくさんあり、大きなお部屋となっております。
今これを読んで下さっているということは、納戸の扉を開けた方!
お時間がありましたら、中へお進み下さいませ!
過去記事に足をとめる必要はありません。
足早でもよいので、のぞいていってくださいませ!!

関連記事数種

●自分の過去記事
●『大地よ!』の中で見つけた宇梶氏の主張
●7月2日の道新記事
●「ウポポイ」の開幕
●7月20日の道新記事
関連するこれらを収めます。

●過去記事1
kyokoippoppo.hatenablog.com

ここでは、道新の紙面で目にした河村湊氏によるアイヌ文化象徴空間「ウポポイ」に対する意見を貼り付け、紹介しました。

「ウポポイ」は、あくまでも「象徴」にすぎない。現代に生きるアイヌ文化の実質は、これまでのアイヌ語の抹殺政策や、民族文化の否定に対する、しぶとく、粘り強い抵抗文化(カウンター・カルチャー)としての運動性にあった。
鳩沢佐美夫が痛烈に批判した、「観光アイヌ」の文化復興を許してはならない。

彼はこのように述べております。


過去記事2
kyokoippoppo.hatenablog.com
これは、紋別アイヌ協会が先住権を主張して紋別藻別川で儀式に使う鮭を捕獲したことについて書きました。
過去記事3
kyokoippoppo.hatenablog.com
この記事で私は次のように書きました。

隣接する紋別市に住まうエカシが、昨年、儀式に使う鮭を伝統にのっとった漁法で捕獲しました。
申請をして許可を得る、ということをあえて行わず捕ったため、告発され、書類送検されたのです。
これは、申請をしなかったエカシの主張です。(2019年・9月13日の道新より)

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もちろんこのような行為に対しては、賛否両論ありましょうし、法に照らせば、告発、書類送検の流れは仕方ないといえます。

 ただ、日本人と同化する道を歩んできたアイヌの人々ではあるものの、自分たちの精神性や先祖が大事にしてきた伝統を取り戻したいという気持ちは理解できます。
そして、共生とはこのような「理解」をいうのではないか?
と思うのです。

伝統の作法は、博物館の中に収めておくものではなく、それぞれの土地でそれぞれの生活の中で守られ、受け継がれてゆくのが本来の姿だと思うのです。

『大地よ!』の中で見つけた宇梶氏の主張

大地よ!  〔アイヌの母神、宇梶静江自伝〕

大地よ! 〔アイヌの母神、宇梶静江自伝〕


すべて文化というものは日々の暮らしから生まれます。

宇梶氏は、こう前置いた上で、次のように述べておられます。

しかし、アイヌ文化は、暮らしから切り離されて、博物館に飾られるものになってしまいました。現在、アイヌ政策推進会議が進めているアイヌ政策のかなめが博物館を中心とした「象徴空間」であることは、そのことをよく表しています。
 もし、政府がアイヌの文化を推進したいの思うのなら、その文化を支えるアイヌとしての暮らしも保証されなければなりません。
 北海道の河川一本、二本でもいい、そこで独占的にサケ漁をする権利を取り戻したい。
そうすれば、アイヌに力が戻ってきます。

「ウポポイ」に対する意見、そして”生活と共にある文化”の推進を訴えておられます。

大文字の部分・・・上記の私の書いたものと、きれいに重なっており私はちょっとうれしかったのです。

7月2日の道新記事
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ウポポイ開幕
当初4月24日に予定されていた「ウポポイ」開幕でしたが、コロナ騒動のため延期されておりました。
7月12日にようやく開幕にごぎつけました。
7月20日の道新記事

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アイヌでも和人でも、生まれてから亡くなるまでの全てが文化です。」

葛野氏のこの言葉を最後に綴り、納戸の扉をしめましょう。