長男のこと・・・⑭

 「長男のこと」14話となります。
息子Hがニコニコ動画に新作(編曲作品)を投稿するタイミングに合わせて、私は彼について綴っております。
もちろん曲の宣伝も兼ねております。
どうかポチリとして、聴いていただきたい!

www.nicovideo.jp


 Hがニコニコ動画に投稿を始めたのは5年前のこと。
鬱の診断を受け、主治医からは休養するよう強く言い渡されていた頃です。
仕事もバイトもしてはダメ!!まず治しましょう!!
と告げられ、コンサートホールでの任用期限を無事終えたばかりの彼自身も、自分の状態のひどさを突きつけられていた・・・そんな時期でした。
一緒に暮らし、支えて下さる方が添ってくれてはいましたが、Hは社会から切り離された孤独感に苛まされてもおりました。
収入の手立てを失ったことによる不安も感じていたことでしょう。
そこで、
自分の習得した技術を生かし、収入に結びつけることはできないか?と考えて始めたのが
ニコニコ動画」への投稿だったのです。

 『化け猫』と名乗り、ロゴを用意し投稿を始めました。
活動を続けるうちに、ファンも付き、作品を応援してくれる人も増えてきましたが、ニコニコ動画で稼ぐというのは現実的ではないことも分かってきます。
体調も一直線に安定に向かうことはなく、思わしくない頃は、パソコンの電源を入れる動作に行き着かないこともあったようです。
それでも、Hはここに作品を積み重ねてきました。
『化け猫』でいるこにこだわり、喜びも苦しみもここで味わっておりました。

Hは変化を好まない性格だと思っております。
一つのことに夢中になるとそれをやり続けるタイプ。
自分のルーティンを大事にするタイプ。
そんなHにとって、『化け猫』は、そのまま自分自身であると言ってもいいほど分かちがたく結び付いておりました。

改名

さて先月、エンニオ・モリコーネ死去のニュースに関わる記事を一つ書きました。


kyokoippoppo.hatenablog.com

その直後、
息子はいきなり”名前”を変えました。
『化け猫』から離れることにしたというのです。
もう直感的に発作的にそうしたというのです。
大きな支えであり理想でもあったエンニオ・モリコーネを失ったショックがもたらした、大きな変化といえましょう。

さらには、長らく抱えていた親不知が痛みだし歯医者にかかったところ、有無を言わさず全身麻酔をかけられ抜かれてしまったという出来事も重なりました。

”根ざして居座っていたものを抜き去ったこのことと、”『化け猫』を捨てたHの行為”が「相似形」としてとらえられ、「二つは連動していたのかな?」と思った私です。

さて、
Hは『日向猫』になりました。
以前別の活動で使用していた名前を再び拾い上げた形です。
実を言いますと、
『化け猫』はHのイメージにそぐわないように感じておりました。
『日向猫』・・私はこっちの方が好きなのです。

ただし、今回の作品は
『化け猫』時代に着手していたものなので、
『化け猫』名義の作品であるとのこと。


前置きを長々と書いてしまいましたね。
Hのその後ストーリーも、わずかですが書き進めましょう。

生徒を持つ

 Hのこれまでのことについてを極々簡単に・・。
●中学校時代にピアノに夢中になった。
●高校には進学しなかった。
●22歳の時故郷を出て札幌で暮らし始めた。
(これといった目的は持たず。15歳から働いてきたのだからバケーションのつもりで・・)
●それもつかの間、近代音楽作曲家のM先生の弟子となり作曲を学び始めた。
●その過程で、パニック障害を発症。

 
前回はここまで書きました。

パニック障害は、腹痛嘔吐を伴うウイルスにひどくやられたことがきっかけで発症しましたが、そうなる要因はそれ以前から用意されていたと思われます。
「いかに課題に応えるか?」
寝ても醒めてもそればかり、Hの頭の中は音符でいっぱいになっていたのです。
布団に入っても音符が押し寄せてきて・・・・・。
Hの根を詰める性格は、M先生の弟子として認められるという成果を生みましたが、自分の心身を削る結果にもなったのでした。

パニック障害のことを知ったら、先生は自分を手放すかもしれない・・・そう思ったHはそれをひた隠しにしながらレッスンを続けていったのです。

そんなある時、Hは先生からある頼まれ事を仰せつかります。
大受験を控えた生徒の受験勉強をみてやってくれ
というもの。

Hがその生徒さんのお宅へ通ったものか?
生徒さんがHの住宅へ通ってきたものか?
どんなことを教えてやったものか?
私は詳しく知りません。
ただ、めんどうをみてやった数人の生徒さんたち全てが、晴れて受験を突破し、入学を果たしたのでした。
本人はもちろん親御さんからも、大変喜ばれたということです。

中卒の息子が、生徒さんを指導して音大合格のお手伝いをしたとは・・・。

ちょっとたまげる出来事ですよね。

今日はここまで・・。