長男のこと・・・⑯

 長男のことを綴る連載記事も16回目となりました。
「日向猫」名義二つ目の作品が投稿されたのです。
息子の編曲作品が、ニコ動にアップされたタイミングで綴っている連載記事です。
長男Hはこれまで、ニコニコ動画を主軸とし、一部をYouTubeにも投稿してきました。
しかし今後軸足をYouTubeに移してゆきたいよいうです。
YouTubeの方が音質がだんぜん良いのですって!!

今回からはYouTubeのリンクを貼ることにいたします。
どうか!!!お時間とお耳を貸して下さいませ!!

www.youtube.com

著作権にからむ問題回避のために、新しい固定画像も用意しました。
妹(娘)にお願いしたのです。

2010年のこと

 年ごとの出来事を記録したメモの2010年を見ますと、別の話題で一記事書けるようなしょうもない出来事が展開しております。

次男がバンド活動をやめて札幌に戻ってきたため、兄妹3人が札幌を拠点とするようになったその年。
「兄妹仲良し!」が、お母さんを一番喜ばせるからと3人で会い、写真を撮って送ってくれたのが冬のこと。
しかし、その後長女と次男は、気まず~い関係になってゆくのです。
その引越し騒動に関しては、いつか話題にするかもしれません。



8月
作曲の勉強の末に出来上がった『三つの無言歌』が北翔大学北方学術情報センターのポルトーホールで演奏されることになりました。
北海道作曲家協会の演奏会で披露されることとなったのです。
この作品は、当時目標としていた市の芸術祭、新人音楽会オーディションには残れなかったものの、このような場で陽の目を見ることができたのです。

夫と私はすっかり「おのぼりさん」モード!
やたら気負って札幌へ出掛けていきましたっけ!
次男が、仕事仲間(彼女?)を伴って聴きにきてくれました。
春に狸小路に古着屋をオープンさせた次男とスタッフとして働く彼女のいでたちは、シックなお洋服て着席する聴衆の中にあって、やたら目立っておりました。

長女は、新しく始めたアルバイトで忙しかったためと、「Y(兄)には会いたくない!」という気持ちからか、来ませんでした。
この秋、Hは26才になりました。

2011年

 
 お正月に続き、年度末も帰郷したH。
日向に寝転んでは、好きな時にシャワーを浴び・・のんびり過ごしておしました。
とある時・・・シャワーを浴びて出てきて言った言葉が、
「一瞬メロディーが浮かんだんだけどなあ・・・・・・・」

呑気なその言葉に対して、私はすかさず言葉を返しました。

「あんたがお金を生むとしたらさ、もう!自分の頭の中からしかないんだよ!せっかく生まれたメロディーをシャワーと一緒に流しちゃダメだよ!早く何かに書き留めなよ!」


その時のメロディーがそのまま、一直線に作品になったわけではないでしょう。
しかしその時のメロディは、次なる挑戦に向けての、いくらかの力にはなったはずです。

故郷でのリラックスした様子の息子を見た私は、
「時々帰っておいでよ。」
と言いました。

「ここで曲を作って、出来たら札幌に戻って先生のレッスンを受けたら良いんじゃない?」

「そうしようかな?そうしたいな!」

息子はそう言いつつ戻ってゆきました。

ところが、その夏思いがけない話が持ち上がったのです。
札幌のキタラコンサートホールで働かないかと。

当時、札幌作曲家協会の会長であったM先生の働きかけによって、いただけることになるお仕事のようでした。

経済的な自立を考えないではない息子でしたが、
自分は中卒であり、職場経験はコンビニのみ・・・、できれば辞退したいという気持ちの方が勝っていたようです。

しかし、M先生が用意して下さった職場・・。

ホール側は(想像するに)断りづらく、Hの方も辞退はできず。

秋から札幌キタラコンサートホールの職員として働くこととなったのでした。
M先生は、どこの馬の骨か??と言われても仕方のない、素性も分からぬ中卒少年に作曲の技術を教えて下さり、期限付きとはいえ立派な職場まで用意して下さったのです。

「パソコンもろくにできないやつがくるらしい・・。」

職場は騒然としたらしいですがね。
(画像はkitaraのホームページより)

当時のホロスコープ

 この変化は当時のホロスコープにどのように示されていたのでしょうか?
息子の占星術ノートをのぞいてみましょう。
(詳しい解説は省いております。)

 土星(義務や制約を意味する)が息子の第1室(ASC)を上昇中。

土星は29年に一度の区切りを移行しており、新しい扉を開けようとしていました。
同時期木星(拡大発展)は、息子の第8室直前に位置しておりました。
ここは、とらわれや拘束(死も含む)を表す部屋です。



色々な解釈が可能すし、無理やりこじつけたと思われても反論はいたしません。
しかしこの仕事が多くの実りをもたらせたと共に、その後元に戻らぬ病も引き入れることとなるのです。





とにかく、これより息子は職場を得て、定収入を得る身となりました。
こんな大きな変化があった直後。


とうとう・・・・。


この続きは次回にいたしましょう。