金曜の夜だから

 おなじみ、「興味の流れのままに」的な記事です。
長文で、とりとめのない記事になったかもしれません。
お時間にゆとりのない方は、スルーして下さいね。

どうする?切り抜き

 11月13日金曜日は、毎年行われている町の事業「町民大学」での、ある講演会を聴講する予定でした。

札幌大学から本田優子氏を招いて、「アイヌ文化と北海道」と題される講演内容!
金曜日の夜でもあるし、聴いてこようと思っていたのです。
ところが、大学内でコロナ感染が広がったため、急遽中止となってしまいました。

本田氏については以下の通り。

アイヌ文化への理解訴える札幌大学教授 
 異能な学者である。2020年には北海道の白老町に国立アイヌ民族館が開館するなどアイヌ文化が注目されている。札幌大学鈴木淳一学長、札幌市豊平区)地域共創学群教授の本田優子さんは、アイヌ文化やアイヌ語の研究者。石川県金沢市生まれで北海道大学に入学するも3年で退学、学びの大切さに気づき復学。アイヌ民族アイヌ文化研究者の故萱野茂さんを知り、卒業後、萱野さんが暮らす二風谷(にぶたに)に移り住みアイヌ語を学びながら過ごす。2005年、札幌大学に奉職。アイヌ文化の担い手を育成する「ウレシパ・プロジェクト」を立ち上げ、アイヌの学生に対する奨学金制度を創設。アイヌの学生もアイヌではない学生も一緒にアイヌ文化を学ぶ「ウレシパクラブ」を結成。

 日本私学大学協会のウェブページより抜粋


f:id:kyokoippoppo:20201106182614j:plain:w250:left残念ではありましたが、空いた予定を有意義に使いましょうと、気分を切り変えることにしました。
溜まりにたまったアイヌ民族関連の新聞記事(北海道新聞)の切り抜きを整理しがてら、記事を書くことにしたのです。

と書きつつも、何だか難しいな・・・。

これだけ溜まったものをどうする?
とりあえず、関連のものをしまっておく「納戸」というカテゴリまである私のブログ。
そこに収めてしまい、
「はい!終了!」
としても構わないのですがね。
でもでも、切り抜きをわざわざしたのは、心にフックのようなものがあり、ひっかかってきたというわけでしょう。
まとまりを欠くのを覚悟で書き始めることにいたしましょう。

まずこちら。

生活の中にあってこそ

アイヌ民族の詩人宇梶静江さんの講演内容を紹介した10月1日の記事です。(記事の写真は貼りません。)

宇梶氏は、「喜び合いカムイに感謝する歌や躍りはアイヌ民族の生活の中にある」と述べ、胆振管内白老町の「民族共生象徴空間(ウポポイ)」に関しては、「今のままでは歌い、踊り、語り合う、民族の精神性が欠けている。」『象徴空間』に生活実態を埋め込んでほしい」と訴えておられます。

「ウポポイに」ついては、『大地よ!』の中でも同様のことが書かれております。

大地よ! 〔アイヌの母神、宇梶静江自伝〕

大地よ! 〔アイヌの母神、宇梶静江自伝〕


ウポポイ開幕時には、(おそらく)儀礼的に、この施設に対する期待や感謝の意を伝えた宇梶氏ですが、彼女は、生活から切り離されたものが「アイヌの文化」として観光の見せ物になったり、陳列されることを快くは思っていないのです。

名義を国に・・・

 そして、10月21日の紙上では、ウポポイのあり方に対する懸念をはっきりと表明しました。

ウポポイとはアイヌ語で「おおぜいで歌うこと」です。何に対しておおぜいで歌うのでしょうか?私はこの建造物を恐れました。浮草的な存在ではないでしょうか。アイヌはその名義を国に貸してしまったのでしょうか。国はその名義だけが必要ではなかったのでしょうかと。

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民族に対する深い理解がないままに、文化が観光資源として飾られること。
過去の不正義に対する謝罪がないこと。
先住民族として要求する権利が、未だに認められないこと。

宇梶氏はこのことに異を唱えます。


kyokoippoppo.hatenablog.com

同胞のきょうたいたちよ!

 さて、宇梶氏は、「同胞のきょうだいたちよ!!」とアイヌ同胞に呼びかけるわけですが、アイヌの血をひく人たちが、みな同じような思いを持って暮らしているのでしょうか?

YESではないでしょう。
日本人としてのアイデンティティーを強く持つ人も多く、先祖の文化を取り立てて取り戻す必要を感じない人も多いことでしょう。
アイヌの血を引く人が、必ずアイヌ文様の入った衣装も持っているわけではありませんし、今さら鮭を主食にしたいわけでもないでしょう。

宇梶氏の主張や、サケ漁の権利を主張する人が、全てのアイヌの血をひく人々の気持ちを代弁しているのか?と問えば、これも「YES」とはっきり答えることはできません。

こんなにまで日本人と化したアイヌ民族の人びとの「今」は、どんなものなのだろう。
宇梶氏の声に深く頷きながらも、私にはこんな疑問も湧いてくるのでした。
そんなおり、目にしたのがこちらの記事。

アイヌモシ

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興味が湧きます。
観たいです。
www.youtube.com

そのためには旭川まで行かなくてはなりません。
コロナ感染がズクズクと不気味に増えるこの時期に、高速バスで数時間かけて観にゆくことができるでしょうか?
思案中。
そんな気持ちでいたときに、めぐり会ったのがMmc (id:Mmc) さんのこのブログ記事でした。最初に皮切りとなった東京で、この映画を観た方の感想です。
mmc.hateblo.jp

思った以上にガツンとやられた映画だった。去年、旅行してきた先を舞台に、いかに自分が彼らから簒奪し続けているかを突き付けられるのだ。

このように書き出されています。
そして、その記事に、入れ子になっていた
こちらの記事も読みました。
mmc.hateblo.jp
マジョリティの側が、かつてのマジョリティが迫害した人たちやその文化を、うまく利用できるとあらばその表面的な部分だけを取り入れようとする姿勢に明確な違和感をもっていらっしゃいます。
とはいえ、アイヌ語り部と知り合ったのは、ホテルという観光の場であり(北海道のそのホテル姿勢には、民族に対する共感が感じられたものの)このような場でしか文化にふれることができないとしたら哀しいものだ。
と書かれてありました。

紹介されていたアイヌの古老の言葉
北方領土返還の話で、アイヌの『ア』の字も聞いたことない。」
は宇梶氏の次の主張と重なります。

日本とロシアで交された北方史を簡略に記したあとの記述です。

これが日本側からみた北方史の概略です。
この間、アイヌ民族やギリヤーク民族といった、これらの土地の先住民が歴史的な主体として、立ち現れたことはありません。先に立てた設問、「アイヌモシリが、いつ『日本領』になり、アイヌ民族が、いつ『日本人』になったのか」それに答えられる人はいったいどこにいるのでしょう。ここに示した歴史過程は、いったいいかなる正当性に基づいているのでしょう。
アイヌが「アイヌモシリ」と呼ぶ大地(北海道、樺太、千島)に居住してきたアイヌやギリヤークの歴史を無視して、日本とロシアが糾ってきた歴史に、それらの先住民の居場所はありません。彼らはともに侵略者であり、「アイヌモシリ」は勝手に「北海道」と命名され、アイヌ民族は、勝手に日本人とされたのです。

(『大地よ!』より)
  *  *  *
 
 やれやれ・・・私の悪い癖で、モリモリの記事になってしまいました。
こんなに長いと、途中で離脱したくなってしまうよね。
Mmc (id:Mmc)さんの記事のように、簡潔で美しい文章に憧れるものの、結局こうなりました。

結局ね!!

 なんていうのかな?
人の中に、受け入れる素地があるかないか?ということが、つながる決め手になるのかな?と、そんなことを感じました。

私であれば、前任校で、子どもたちと共にアイヌ文化を学ぶ機会があったにも関わらず、そのときは「学び」は私の中まで入ってこなかったのです。素通りしていってしまった。

道ができていなかったとでもいいましょうか?

『熱源』を読むという体験がなけれは、私はこのような関心をもちませんでした。

となると、「出会い」というのは非常に偶発的な、希なチャンスによってもたらされるのだなあ!
そんな風に思ったのです。