長男のこと・・・⑰

 長男Hがニコ動、及びYouTubeに編曲作品を投稿しました。
私はこのタイミングで記事を書いております。
今回で17回目です。
お時間が許しましたら、是非ポチッとして聴いてくだいませ。

www.youtube.com

ざっくりとこれまでを・・・・
読者の方にとっては重複する内容となります。
以下青字の部分は、飛び越して読んで下さいな。

⚫高校進学を拒否。中学卒業と同時にコンビニで働いた。
⚫バイト、ピアノ、ビデオ観賞の日々。
⚫2007年23歳の時、故郷を飛び出して札幌へ。
⚫M先生の門下生となり作曲を学び始める。
⚫目標は、札幌市民音楽祭、新人音楽会への出場権を手にすること。
⚫ほぼ素人からの学びがスタート。課題に取り組む日々の中、頭の中は音符でいっぱいに!
 切迫感と緊張感で張りつめたことが原因か?
 パニック障害を発症。
⚫2011年、M先生が札幌コンサートホール・キタラの仕事を世話して下さった。
 秋より期限付きの職員となる。

コンサートホール職員に!!

前回はこのあたりまでを書きました。
コンサートホールで働くことになったものの、
Hの職場経験は、コンビニのアルバイトと、ほんの一時期のレストランのアルバイトのみ。
パソコンの技術は中学校で学んだもの止まり。
英語も同様です。
M先生の口利きで入ってくる若造が、ろくにパソコンも扱えないと知り、職場内は少なからぬ動揺に見舞われたそうです。
Hにしても、断るわけにもいかず手に入れたこの仕事を、ただただラッキー!
とは受け止められなかったことでしょう。

慌てて、パソコンの教室に通ったようですが、
実践に使うほどのものが短期間で身に付くわけもなく・・・。

f:id:kyokoippoppo:20201201191152j:plain:w350:left着ていくスーツも無く。(慌てて買った・・多分親が・・)
仕事がスタートし、
立派な名刺をつくってもらったものの、渡し方がわからない。
電話の回し方が分からない。
使われる用語が分からない。
分からないだらけのスタートだったそうです。
(画像はWikipediaよりお借りしました。)

朗報

 そんなスタートからほどなく・・・。

とうとう朗報がもたらされました。

出品した作曲作品が審査を通り、新人音楽祭で発表の運びとなったのです。

このこのを聞いたとき私は、
息子がようやく中学校を卒業した!
・・・そんな気持ちになりました。


演奏会の日は文化の日である11月3日。
場所は札幌市教育文化会館

演奏を依頼する奏者は、M先生が手配して下さり、東京から来てくれることになりました。
当地での食事などの接待も先生が引き受けてくださいました。
しかし、奏者に渡す謝礼金は作曲者てあるHが用意しなければなりません。
手持ちのない息子のために、これは親が用意いたしました。これまで頑張ってきたご褒美です。
当日!!
もちのろん!行きましたとも。
おのぼりさん!
次男も、長女も駆けつけてくれて、久々家族みんなが集まりました。

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会場で渡されたパンフレットを開きます。
作曲部門での合格は息子だけ。
トップに顔写真が載っており、続いて各楽器や声楽部門の若者たちが連なっております。

その経歴を見るとそうそうたるもの。

○○音大卒☆
○○コンクール受賞☆
○○先生に師事☆☆
○○に留学☆☆☆☆


そんな中、Hの経歴は○○中学校卒。
異彩を放っておりました。
それでも
M先生師事。
そしてそして
札幌コンサートホール職員という社会的肩書き。

それらでかろうじて体裁を保った形です。


この記事を書きながら思いました。
M先生は息子の審査通過を予見していたのではないだろうか?
その上で、息子に社会的な肩書きを与えてやろうと考えたのではなかろうか?と。


?????

♪さあ!!演奏が始まりました。
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美しい美しい弦楽の響きが場内を満たします。
涙がにじみました。
演奏は第二楽章へ。

・・・・・??????
・・・・・??????

「こういう曲なのか?」
「私などが理解できない近代音楽になってゆくのか?」
滲んだ涙も引っ込もうというものです。

不思議な感じの2楽章が終わり、拍手が鳴り、作曲者である息子が舞台に出てきて奏者を讃えました。

その顔・・・・
その姿勢を見たとき私は悟りました。
「ああ、演奏が乱れてしまったのだな。」と。
 
  *  *  *

奏者にしてみれば、数ある演奏のうちの一回だったかもしれません。
しかし、Hにしてみれば一生に一度の晴れ舞台です。
それが台無しになってしまったのです。
親ですら悔しいのに、H本人の落胆はいかばかりだったことでしょう。
飛行機が飛ばないなど万一に備えて、流す音源は用意されていたといいます。

「こんなことになるから、飛行機飛ばなくて音源流した方がましだったよ‼️」
「奏者は謝礼金懐に入れて、先生がご馳走したお昼食べて、今頃札幌見学かな!」


そんな愚痴を呟く息子の手には、新聞紙にくるまれたサツマイモが。
「先生が『美味しいよっ!!』てくれたんだ。」
金時芋を包んだ新聞紙を抱えたまま、どうにも笑顔になれない息子の姿が印象に残っております。

嬉しさより、苦さの残った演奏会の一日でした。

キタラでの修行

 
 それでもね。
とりあえず、自分の目標としていた到達点にたどり着いたことにはまちがいはありません。

この音楽祭への出場を果たしたことで、職場での居場所もいくらか収まりやすくなったのではないでしょうか?
音楽の知識を生かし、この職場で働いていこうと改めて胸に刻んだはずです。
そうはいっても、音楽を扱うこの職場であっても、
実際に行うことは事務的な仕事がほとんどなのです。
Hの、新しい世界での新しい学びが始まるのでした。


※この演奏会の失敗には後日談があります。
 演奏の不出来に対しての謝罪とリベンジを兼ねて、後日改めて 別会場別機会で演奏がなされました。