アルファロメオでご出勤!!

大きい車小さい車

 車に対する興味も無いし、車種もまったく分からない私です。
車の区別はもっぱら
大きいか?小さいか?
何色か?
くらいでなされます。
そんな私が繰り出す今回のタイトルは
アルファロメオでご出勤』です。 
副題は『次男のこと』になります。
当ブログ登場率の低い次男ですが、実は話題の宝庫!!
先日、ある方のアルファロメオに関する記事が目に入りましてね、
「ああ、いつか書こうと思っていたこの記事、書こう!」
と思ったのです。
他のブロガーさんたちによる、お車の話題を綴った記事もたて続けに目に入りましてね。
こりぁ、そういう流れか!と後押しされました。

   *   *   *

 次男は高校卒業後、とにかく札幌へ出るという動機のみで、電気系の専門学校へ進学しました。(2005年)
高校時代から夢中になっていたバンド活動も、引き続き熱心に行っていました。

その後、当時札幌で人気上昇中だったグループから声がかかり学校を中退。
しばらくバンド活動に身を投じます。(⇩こんなやつね!!)

東京に拠点を移し、あちらこちらのライブに走り回っておりましたが、そのグループは、2009年に解散。
昇天ライブとやらを打ち上げ、メンバーはそれぞれの道を歩くことになります。

 当時、次男の懐は温かかったのでしょうね。
札幌に戻り、世帯向けのマンションに入り、車を持ちました。
それがアルファロメオ

もちろん、私はその車種の名前すら知りません。
長男がぼそりと、
「あいつの乗っている車、アルファロメオだよ。」
と洩らしたので、
「ああ、そうなんだ。」
と。

雪の下の高級車

 札幌にもどった次男は、翌年(2010年)の春に古着屋さんを開業しました。
狸小路、地下へと階段を降りたところにあった小さなお店。
その名前も「404」
いったいどこにあるのか?
注意深く探さなければ
まさしく404 not found(見つからない)お店でありました。
2010年のその頃の息子が、写真家「森山大道」氏の作品に収まっております。








古着屋開店に先立ち、町行く若者のファッションをカメラに収め、冊子にして発信する活動も始めておりました。



ストリートファッションの撮影と『CRAQUER』(クラッケ)発行の試みは、北海道新聞で紹介されるなど、一時注目を集めました。
自腹を切ってのこの活動が、お店への集客に繋がる・・そんな予想や期待は当然あったことでしょう。
しかし、お店の経営は思ったようには進まなかったのでした。
赤字ではないけど、利益もない!
などと言っておりましたが、じりじりと後退。

民主党が与党の時代は、助成金をいただき、「SDS」という会社を設立する(札幌のデザイナーの育成や活動の手助けを目指すというのが設立理由)など、様々な活動を行い、お店の経営との連動を図ろうとしましたが、こちらもうまくはいきませんでした。

 ある時帰省した息子は、
「車の車検代も車税も出せない」と言い、車を手放したのでした。
また持てるときにはこれに乗るからと言い、ナンバープレートを外し、しばらく我が家の庭に置いておいてくれと頼むので、
「わかったよ。」
と預かったのです。
「たまにエンジンかけないと車動かなくなるよ。」
などという情報ももらいましたが、そんな手間をかけることも難しく。
ほぼ放置状態です。
雪に埋もれる冬を二つほど越え・・・、
我が家の庭にすっかりポンコツな姿をさらし、月日が経ちました。
息子Yが再びこの車に乗る状況は、なかなか訪れそうにありません。

新聞広告の「車買い取り」の広告に目がいくようになった私。
「車買い取りしてもらって完全に手放したら?」
と息子に持ちかけたのです。
息子が帰省時に合わせて、買いとり業者さんに来てもらい見積りを立ててもらいました。
提示された額は、がっかりするような額でした。
「このようなお車は欲しい方が少ないもので・・・。」

「お母が使いなよ」

 せっかくの車を二束三文では売りたくなくない息子。
悪いタイミングで、私が使っていた車が車検を迎える時期でした。
息子はあからさまに驚いた様子で、
「え?!」
と言いました。
「この車にまだのる気?」
「乗るよ!乗るよ。まだ乗れるでしょ。」
「嘘でしょ!」
「止めなよ。」
「もうムリでしよ。」


「母さんが、このアルファロメオ乗ればいいじゃん!」
「嫌だよ‼️」
私は即答しました。

「何でこんな仰々しい車乗って、小学校通わなきゃならんのよ!」
「絶対やだ!」


「は?何で?今の車の方がよっぽど恥ずかしいでしょ。」

「いいや!私にとってはアルファロメオの方がよっぽど恥ずかしいのさ!」

抵抗を試みるも、夫まで、
「お前の車もう、車検通らんかも知れんぞ!」
などと、加勢して。

あああ、

私が負けました。

アルファロメオでご出勤

 ということで、とっくに動かなくなったアルファロメオを修理して、(30万円はかかったね。)
当時の勤務先まで、20分ほどの通勤をアルファロメオにてすることとなったのです。

ずっとマニュアル車に乗っていたので、ブレーキかけようとする度に左足がそわそわと浮きました。
ウインカー出そうとして、ワイパー動かしたりね。

さて、次男のお店ですが、
まさしく真のnot foundのお店となりました。
たたんだのです。(2012年)

そして、プロカメラマンの下につき、カメラの仕事を始めました。
となると、機材を運んだり、撮影先まで出かけたりということで、車が必需品となったのです。

「小さい車購入するわ」と次男・・。
そこに私がすかさず喰いつきました。


「それならアルファロメオ持ってって!」
私は、安っすい軽自動車探して買うから!
と申し出ました。

それほどこの車での出勤は、重荷だったのです。
アルファロメオは再び息子のものとなり、私は今も乗っている中古の安っすい軽自動車を手に入れました。


さて・・長々の話に飽きてしまいましたでしょうか?

息子とアルファロメオの後日談がございます。

車を引き取ってほどなく、数ヵ月もしない頃にそれは起きました。
交通事故。

仕事で2日も続けて徹夜したという息子は、運転中に眠気がさしたのでしょう。
停車中の車に追突してしまったのです。
幸い息子にケガはありませんでした。
お相手さんは、しばらくむち打ち症の治療に通わなくてはなりませんでしたが、
軽度の事故で済んだのはありがたいことでした。
しかし、車は壊れてしまったのです。

メモをみますと車の引き取りが7月のこと。
事故は11月のこと。

ああ!!アルファロメオ・・・何だか我が家のドタバタ劇の象徴のような車です。

その後の次男は、走ればカラカラと音のするようなおんぼろ車に乗ってカメラの仕事をしておりました。
カメラの仕事をしながらも、出版関係会社のサラリーマンになったり、アイドル育成したり、ホテルで働いたり。
懐は、暖まったり寒々したり。
拠点を変えることにいたってはカウント出来ぬほど。

そうこうするうちに借金に苦しむようになり・・・。

ああ・・・大変だ!
長男の鬱、
次男の借金、
嫁いだ娘の悩み
子供たちそれぞれが、生きづらさを抱えて出口が見えなかった時期はやはり辛かったね!!
kyokoippoppo.hatenablog.com

ブログを綴りながら、一日一日を過ごしてきました。

長男は完治はしておりませんが、体調は安定している様子。
次男は東京で精力的に働いています。(借金は完済!今やリッチマン!!)
今までの様々な経験は、彼の力になっているのではないかしら??
娘は今、近くで暮らしております。
夫君とは、今後のことについて穏やかに話を進めております。

とにもかくにも、平穏無事で暮らしていきたい私ですが、
まあ、色々あるんだわ!!

長々としたこの記事にお付き合いいただきありがとうございました。