誕生日
1月最後の日は娘の誕生日でした。
私の誕生日のちょうど一週間後。
長男が冬の初めの誕生日。
私と娘が(義母、義妹、娘の夫くんも・・)1月でしょ。
次男の誕生日は冬の終わりに・・・(いとこのRくんも同日)
(誕生日ラッシュの合間に、義父の命日、父の命日もあります。)
自分と子どもたちの誕生日には、簡単ながらホロスコープを作ってみます。
そんなわけで、冬は「占星術」が身近になる時期です。
ホロスコープとは地球から見た天体(主に惑星)の配置を、円の中に収めたものです。
自分が生まれた瞬間の配置を、出生ホロスコープ(出生図)といい、占星術はそれを元にしてその人の生涯を俯瞰します。
生まれた瞬間が、まだ始まらぬその後を左右するなんて!
本当にあるのでしょうか?
皆さんはどう思われますか??
「末の子どもがもう31歳になっちゃったね!」
娘が私に向けて、しみじみと言いました。
この娘・・10代の頃に、
「お母・・なんで私を産んだの??」
と、問いました。
責めるというわけではないものの、
「この世の中を生きていくのは大変なのに・・・」
そんな、ため息まじりの問いかけでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com
娘の誕生日には、いつもこのことを思い出します。
私と他者・・地球と宇宙
この地球になぜ人類がいるのか?
こんなにたくさんの人の中で、何故私は「この私」なのか?
人を大きく分けるとしたら、
どうしたって「私」と「他者」になる。
「私」というものは、いつどのように生じたのだろう。
何故に、この空間時間の中で、
どうにかより良く生きよう!とか
何とか安らかに生きようとか?
果ては、こうあらねばならないとか?
こうなったらどうしよう!とか
こうならなったらどうしよう!とか・・・
そんなことを思いながら生きているのでしょう。
不思議だな。
とにかく!!
私にとって、
私はこの世の中心だ!
だって私の周りには他者しかいないもの。
そして、それは宇宙のなかの地球に似ています。
地球という中心からしか、私達は周りを見ることができません。
地球という中心から宇宙を見た図が、ホロスコープです。
でも、実は中心となる一点は太陽で、地球はその回りを回っています。
となると、実は中心と感じる個人の視点とは別の、軸となる存在、中心となる一点もあるように思えてきます。
さてさて、
ホロスコープに親しむ冬。
スピリチュアル的な世界が身近になる冬。
人が生まれた瞬間の宇宙の状態が、その人に影響を与えるという占星術の考え方を、私はナンセンスと退けることはできないのです。
そして、今年の冬は新しい占術の世界を知りました。
どなような経緯でつながったものか?
今となっては不明です。
北に暮らす、はてなブロガーさん。
その名も「北のベーア」さんです。
北のベーア (id:keyakinamiki67) はてなブログPro
四柱推命・紫微斗数・奇門遁甲など日常生活に役立つ運命学・方位学を研鑽しています。
心理カウンセラー・話し方カウンセラー2級
元高校教諭
講道館五段
こんな方↑
四柱推命・紫微斗数・奇門遁甲などの東洋の占術や運命学を学ばれた方のブログに繋がることができたのです。
「四柱推命」というのは聞いたことがあるけれど、「紫微斗数」は初耳。
「奇門遁甲」とやらは、読み方すらわかりません。
面白いのは、ベーアさんはそもそも占い的なものを信じていなかったということ。
初めはアンチの姿勢で、「占い」の世界をとらえておられました。
www.happy-power-up.com
疑念を持ちつつも、占ってもらうチャンスが度々あり、そのうちその世界を信じるに至ります。
何故って?
信じないという選択ができなくなったということですね。
その後、それを学び、多くの方の人生と照らし合わせていったようです。
とても独学でマスターできる世界ではなさそうですが、興味を持ちました。
貼り付けたブログ内の、ベーアさんの言葉です。
正しい占いは、恐ろしく理論的で覚えることも多く、「人間学」「運命学」を含んだ深遠なる学問なのだとわかりました。
理論的思考力がないと通用しない世界です。
しかし、それゆえに正しく学べば、運命学は人々の幸福に必ず寄与できるものだと確信しています。
世界中のどんな人も「幸せになりたい」気持ちは皆一緒なのですから。
与えられた地図なのかな??
私が少々かじった西洋占星術もれっきとした学問です。
大家である松村潔氏は、シュタイナーの人智学についても深く学び、その思想にも詳しい方。
私の学びは、ほんの入り口で止まっておりますがね。
四柱推命や紫微斗数も、人の誕生の瞬間の日時を元に、「命式」というものを作り、読みとっていくようです。
やり方や理論は違うものの、双方、”生まれた瞬間”が運命に直結しているという考えかたが共通しています。
本当なのかな??
私は確信を得ておりません。
でも、「きっとそうなのかもしれないな」思いながら暮らしております。
生まれた瞬間定まるものが確かにある。
だとしたらそれは、その人に与えられた地図のようなものではないでしょうか?
その地図の中を、どのように歩くのか、どの道を選ぶのかは私たち自身が行うこと・・・
私はそんな風に考えてみます。
そう!!宇宙から与えられた地図があるのなら、そこを、しっかり歩いていきましょう。
実際に出会う人はもちろん、
出会う本やブログ記事も。
そのなかで受けとる言葉も、交わされる言葉も、
私にとっては道中のよき隣人・・・。
そのように思います。
目の前には、いまだ心配事が転がっておりますが、
人生はそういうもの。
そこを歩いて行くのです。
楽しみを携えてね。