ツルツル道路
前回の記事では、雪が解けては降り・・を繰り返す”季節の終わり”の様子を綴りました。
まるでアイススケート場のようになった学校の玄関前の写真も貼りました。
更に次の日。
そのツルツルの氷の上の上に、雪がふんわり積もり、うかつに足を出すとすってんころりんするような状態でした。
片栗粉のような雪の下には黒光りする、真っ平らな氷が潜んでいるのです。
出勤した職員がさっそく転んでしまったとか・・。
校長と教頭が玄関前に立ち、安全な道に子どもたちを誘導していました。
昼間、解け出してぐちゃぐちゃになった雪を、公務補さんんと共に、一生懸命よけてくれたのも校長先生と教頭先生でした。
理科室の窓から、私は偶然その姿をながめましたが、各教室で授業をされている先生方は気づくことはできないでしょう。
ありがたいこと!!
笑いがあり、話題があり、親しみやすく温かい我が職場です。
春吹雪
そうそう、春吹雪の話題です。
加藤多一氏の『はるふぶき』の絵本で締めた前回の記事。
続きを書くことにしたのです。
数回の連載にする予定です。
- 作者:加藤 多一
- 発売日: 1999/03/05
- メディア: 単行本
三年生のマサルは、アオのひくそりではじめて丸太をうりに町へ行きます。その帰り、時ならぬ春のふぶきにあい、遭難しかかります。
こんなお話。
本日紹介するのは多一氏の代表作ともいえる『馬を洗って』です。
そっとページをめくると・・
ほらね!
春の吹雪!!
春だというのに、馬小屋のまわりを水っぽいふぶきが走りまわっている。
死にかけた子馬が捨てられている。
もしかするとこれらのことは、わたしが生まれるまえの世界で見たことなのかも知れない。
(一部の改行はkyokoによる)
水っぽい春の吹雪・・そして夢とも現実とも見分けがつかない「わたし」の記憶。
この風景は後の「ソンキ」という馬につながってゆきます。
「ソンキ」は「三本白」の馬。
馬の毛にはいろいろなものがあるが、おもしろいことには、足首だけ白い馬がかなり多い。
一本だけ白いもの。二本白いもの。三本白いもの。そして四本とも白いもの。
このうち、三本とも白い馬は<さんぼんじろ>と呼ばれて不吉な馬だとされている。
早産で産まれ、痩せている「ソンキ」。
その馬を愛するのは、痩せていて、色が白く、胸板も厚くない「兄」
それに対し、
武士の心を持った、体力と腕力が自慢の「父」
そして勇ましくお国のために・・という戦時の「正義」
さて・・・どんな物語が展開するのでしょう。
あらすじは書かないことにいたします。
私がこの本に出会ったのはいつだったかしら????
備忘録によりますと1996年のことだわ。
しずかにページをめくりはじめ・・・
物語に添い・・
しずかに本を閉じる。
心の中までしんとして、
しばらく動くこともできない・・。
そういう作品でした。
この作品とめぐり会った後、私は多一氏と交流を持つ機会を得ます。
多一氏は、近隣のである生田原の図書館で、館長をされていたのです。
多一さんの来館日(非常勤でしたので)に合わせ通い、そこは、私にとって楽しい学習と交流の場なりました。
今日はここまで・・。
ありがとうございました!!
検索していて見つけた『カムイミンタラ』の記事(1999年11月のもの)を一部、『はるふぶき』についての箇所をコピーします。
あらすじがあらわにならないように、更に一部を略しました。
リンク先への訪問は皆さんにお任せいたしますね。
加藤さんの最近作の絵本『はるふぶき』(童心社)は、ちょっと昔の話です。
―父が戦死した家庭で、熱を出した母の代わりに、馬橇に丸太をいっぱい積んだ少年が、大きな木の下を通って、初めてひとりで町へ行く。仕事を終え、たくさん買い物をして帰る途中、急に吹雪になった。恐ろしい春吹雪だ。とうとう、馬橇は雪に埋もれて動けなくなった。(中略)
加藤さんは、選択力と自己決定力の必要性を主張します。
「おとなも子どもも含めて、私たちは(私も)人生の損得勘定にとらわれ過ぎている。自分は何のために頑張って金を稼ぎ、人に頭を下げたり、お世辞を言って暮らすのか。子どもは何のために勉強するのか。わがままも悪いことも含めて、自分で判断し選択して決定する“自己決定力”を持つためにこそ努力しているんではないでしょうか」。