多一さんと馬たち・・・③

ムチをふるう

 連載形式で書いている記事の3回目です。

前回は、2006年に佐呂間図書館で行われた読書会のこと、そこで取り上げられた作品『雪がふる』についてを話題にしました。

児童文学を主に手がける加藤多一氏を囲んでの読書会でした。

『雪がふる』には、馬のしつけのために「お父さん」がムチをふるう場面があります。

多一さんが幼かった頃、馬は農耕を助けるためになくてはならない存在でした。
家族と共にあった馬、きつい労働で家族の糧を生み出すたくましい父親。
父の背中を見て育つ少年。
そんな家族の物語に挿入された、馬をムチ打つ場面。

多一さんは、ご自分の作品を差し出して、
「やむを得ない暴力をあなたは認めますか?」
と、問うたのでした。
多一さんの話は、ある馬のことへと続いてゆきました。
それはやはり多一さんが産み出した馬で、額にくっきり星の形・・・。
だからホシコ。

『別冊・北方文芸』に寄せた作品は以下のようなものでした。



ホシコは駅へと向かっている。
たずなをとるのは、その日戦地へ赴く若者。
ところがホシコは途中で足を止めてしまう。
戦地へ行くなというのか?
「進め!」
「人様の言うことを聞かぬのか?」
という周りからの怒りの声。
若者は仕方なくムチをふるう。
たたきにたたく。

馬は再び足を進め、若者を駅に送る。
若者も、その後軍用馬として戦地へ行った馬も帰ってこなかった。

ここにも、”ふるわれたムチ”が登場します。
仕方なくふるわれたムチですが、若者はたたきにたたいたのです。

多一さんはこの作品を独立させ、一冊の本にしようと願いました。
その仕事を着実に進め、実現も間近となったとき・・・・
「待った!」と道をふさぎ、ものを言った者が現れたのです。

ひとりの女性でした。


「ホシコは誇り高い馬になっていない。」

彼女はそう指摘したのです。

「ホシコが体現しているのは、涙を飲み、息子を戦地へ送り出した母親そのものであり、リブを担い、その後も女性の問題に関わった‘’おんなたち‘’によって検証され、今も決別の努力が続いている‘’ネガティブ‘’な母性である。」

厳しくも最もなこの意見を、多一氏に向けたのは、妻であった飛島詩子氏(故人)でした。
そう・・・・
多一さんが共に暮らす人は、「みどりさん」ではなかったということですね。
「みどりさん」については、こちらを・・・。
kyokoippoppo.hatenablog.com




多一さんは、その言葉を受け取りました。
食べて消化しました。

多一さんには、子どもの立場や女性の立場を理解し、添ってきたという自負が少なからずあったと思います。
しかし、妻から突きつけられたこの言葉によって、多一氏は自分の中にしぶとく残っていた、”固く古びた芯”を知ることになったのではないでしょうか?

仕方なくふるうムチを容認した自分。
そうまでして若者を戦地に送る物語を作った自分。
そこにとどまったまま、本の出版を願った自分。


・・・そういう自分を知り見つめた時間は、『ケド戦記』におけるゲトの戦いに通じるものがあると感じました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

多一さんは、出版寸前となっていたその流れをくい止め、変える戦いもしなくてはなりませんでした。

ホシコ

そして、産み出されたのがこちらの『ホシコ』です。

ホシコ―星をもつ馬 (ことばのおくりもの)

ホシコ―星をもつ馬 (ことばのおくりもの)


雪がどんと降った朝。
出征するコウは、ホシコのたずなをさばいて駅へと向かう。
ホシコの足がぴたりと止まる。




当時の読書会で、多一さんは上述のような、「ホシコ」誕生のお話を聞かせてくれたのでした。
そして
「やむを得ない暴力をあなたは認めるか?」
と問いかけたのでした。




以下に貼ったものは、大事に取っておいた多一氏の「自作を語る」のコピーです。
後半を写真に撮り、貼り付けました。(ちょっと曲がってしまいました。)
f:id:kyokoippoppo:20210225063800j:plain






 先日
学級に置かれた図書のなかに、飛島詩子さんの作品『海へ』を見つけて読みました。

海へ

海へ

利尻島の昆布漁師の娘として生まれた少女が、
「私はどう生きたいのか?」
を考え始めます。


ああ、多一氏の奥さまはこんな方だったのだなあと思いながら、ページをめくりました。