多一さんと馬たち・・・④

かと** あれから15年

 2006年佐呂間図書館で行われた読書会のことを話題に、2つの記事を書きました。
あれから15年。
多一さんが車を手放してからというもの、お会いする機会も減り、手紙を書くこともなくなり、すっかりご無沙汰状態で何年も経ってしまいました。

 そんなある日、北海道新聞に嬉しい記事を見つけました。
こちらです。
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(後半部分は、後ほど貼ります)
図書館に問い合わせたところ、さっそく用意して下さり読むことができました。



新聞記事によりますと、多一氏は86歳になっておられます。
すっかり「おじいさん!!」です。
そんな「おじいさん」が生み出した「ポンコ」。
なんとみずみずしく、愛らしい子馬なのでしょう。


 人間年をとりますと、幼な児に戻るなどと言われます。

晩年を迎えた多一氏の心も、十頭の馬と暮らした故郷に回帰しているのでしょうか?
家族と共にあった馬たちは、多一さんの心から去ることはありません。
水を飲ませ、身体をこすり、鼻息をほほに感じた馬たちとのふれあいは、多一さんの身体に刻まれており、それは、様々な形で物語に登場してきました。



 馬と共にあった少年時代・・・しかしその時代は、不自由な時代でもありました。
厳寒の北の土地の生活そのものが、ままならないことの連続だったことでしょう。







でも、ここでいう「不自由」はそのことではありません
多一さんの少年時代は、「思うこと」や「願うこと」が外側から設定され、刷り込まれてしまっていた・・・・そういう時代だったのです。

男子は、たくましく育ち、お国のために戦う気概を持たなければなりませんでしたし、
女子は健康な子どもを産み、お国のために喜んで差し出さなければなりませんでした。

少年期の多一さんは、それを疑うことなく取り込み、「お国のために」という志を胸に抱きながら暮らしていたそうです。

しかし、敗戦!!
お兄さんは沖縄の戦闘にまきこまれ、帰らぬ人となりました。

多一少年が信じた・・いや信じさせられた価値観は、墨で塗りつぶすように言われ「無かったこと」「思い出してはならぬこと」と申しわたされました。

多一さんの少年時代からやってきた馬、ポンコ。
多一さんは、この子馬に大事なたからもの与えました。

「自由」

 「自由」であることは、決してたやすいことではありません。
でも、手放してはならない大事なものだという信念がことさら強い多一氏です。
少年期の苦い体験がその信念を作り上げ、支えているのだと思います。

多一さんは、ポンコを牧場という柵の外に放しました。

ポンコの友だちは、年老いたハルニレの「エカシ」です。

エカシ」のところへ行っては、その幹のこぶでかゆい背中をかいたり
お話したりするのです。
老木「エカシ」語る言葉は、おじいさんになった多一さんの言葉でもあるのでしよう。

あどけないポンコ。
かわいいポンコ。

そんなポンコに変化がおとずれます。
ポンコの見る景色が変わります。
自分の知らない間にポンコはおとなになってゆくのです。

・・・・・ポンコはこのときはじめて感じた。頭では考えていないのに、体がどこかに行きたがっている。体のいちばんおくのほうでだれかの声が聞こえる。牛の声ではない。人間の声でもない。

風まかせに自由に歩いていたポンコが、足を停める場面。

どこに行く?
わたしの心は?
わたしの体はどっちへ行きたいの?

ポンコは、走り出します。

新聞記事の後半を貼りましょう。
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新聞記事には、”戦死した13歳年上の兄~”の表記がありますが、多一氏は「兄は戦死した」とは絶対に言いません。
 「戦死させられた」と言います。必ず、絶対に!!!
 確かにそうです。
 彼らは「戦死させられた」のです。
 たとえ志願して戦地へ行ったとしても・・。