『長男のこと』・・・・久しぶりのタイトルです。
長男が編曲昨品をアップしたタイミングで、こちらも連載ものの記事『長男のこと』を挙げることにしています。
前回の編曲アップは、1月中旬のこと。
昨年末には公開したかったようですが、スランプに見舞われてしまい、1月中旬までずれ込みました。
その後も、身体のコントロールがままなららない時間が続いたようです。
ようやくできた今年の2作目。
それがこちらです。
www.youtube.com
皆様!
ポチっとして聴いてくださいませ!
さて、前回の記事は『冬のKitara』を題材に書き上げました。
当時働いていた長男Hの職場、札幌のKitaraコンサートホールを訪れた時の思い出を綴ったのです。
コンサートを聴きに行ったわけではないのですがね。
これに関してはこちらで。
kyokoippoppo.hatenablog.com
『冬のキタラ』の出来事の直前に、Hは鬱の診断を受けています。
それに先立ちパニック障害を発症しておりましたので、寝耳に水という出来事ではありませんでしたが、
やはりこれは衝撃的な報告でした。
年越し、正月・・と親族が集まってもHの姿は無し!
年末のクリスマスコンサート、年明けのニューイヤーコンサートとコンサートホールは書き入れ時です。
帰省も叶わぬ忙しさだったのでしょう。
2015年・夏のKitara
そして2015年。
7月には、例年『キタラのバースデーコンサート』が催されます。
「これを逃せば、うちの親たちは、ホールの中を見ることはないだろう。」
そう思った息子は、チケットをプレゼントしてくれました。
その日のプログラムには、パイプオルガン、バイオリン(大平まゆみ)、市内中学生の合唱による
『主よ人の望みの喜びよ』が含まれており、Hはその編曲を手掛けたとのこと。
職員の仕事として行ったので、名前が残されるようなものではありませんでしたが、Hにしてみれば、自分の技術を生かして仕事をした貴重な機会だったのです。
そんなこともあり・・・・
チケットが500円というバースデー特別価格だったこともあり・・・・
プレゼントしてくれたのでした。
結婚し滝川で暮らしていた娘も、「行きたい!」と希望し、チケットを手に入れました。
音楽を聴きたいのではなく、滝川の空気から離れ、親や兄に会いたいというのが本音だったのですがね。
彼女とは中島公園前で待ち合わせることにしました。
北海道の爽やかな初夏の陽気の中。
さあ!おのぼりさん!
丸瀬布の道の駅で、夫は、お土産にfuーsoraのパンを買いました。
農家のパン屋 パン酵房fu-sora
札幌着、娘と合流!
チケットが手に入らなかった次男も、公園までやってきて久しぶりに顔を合わせることができました。
写真はHoliday [ホリデー] | 休日のおでかけならHolidayこちらから・・。
緑溢れる気持ち良い公園内を進み、ホールへ。
足を踏み入れたところに思いがけず、Hの姿がありました。
チェーンを通したコーンを並べていたのです。
「おおお!H‼️パン買ってきたよ!」
と私。
張り詰めたような顔をしてそれを制し、
「今、仕事中ですから。」
とH。
背後からは娘の声。
「お母、やめとき。」
* * *
クラクラするほどの高さの階上席!!!!
そこに身体を落ち着ける。
プログラムの最後が『主よ、人の望みの喜びよ』でした。
バッハの数多いカンタータの中で全10曲からなる第147番。第6曲と第10曲は同一曲だが歌詞を変えて歌われる。第10曲の歌詞の冒頭部分を取って呼ばれる作品。ピアノ曲や管弦楽曲としても親しまれている名曲。今回はヴァイオリン&合唱&オルガンの形式で美しい旋律が荘厳な曲となって聴衆の心に響いた。コンサートの最後を飾る感動的な演奏! ワン・コインで楽しめた素晴らしいコンサート。
当日このコンサートを楽しんだ方のブログより転記いたしました。
teruoblog687.blog.fc2.com
我々3人衆は、生でクラシックを味わうという素養がそもそも乏しく、娘などは「退屈の極み」だったようで・・。
最後まで”立派なホール初体験のおのぼりさん”状態でありました。
こちら、↓
Hのアルバムに貼り付けた挿し絵です。
夏のキタラの思い出でした。
* * *
11月には娘の出産があり、Hの誕生日(31歳に・・)がありました。
2016年
年末にはベビーを連れて娘が里帰り。
親族が賑やかに集まり、ベビーのお披露目に皆の顔もほころぶひととき。
そこにもHの姿は無し。
病状はじわじわと悪く、仕事に出られない日が出始めていました。
忙しい職場にあって任務は抱えきれない程あった中、身体が思うようにならないという息子・・・・大変だあ!!
そんな年度末。
春を越えて働こうか?辞めようかと息子は大いに迷ったようでした。
しかし、あと数ヶ月勤めれば、期間満了となる。
結局、その日までがんばろうと決めたのでした。
「仕事を世話して下さった恩師のことを考え、何とか期間満了まて働くことにした。」
そう言っておりました。
2016年7月・・・・任期満了となり、Hは、キタラの勤務を終えました。
コンビニバイトとレストランのボーイの経験しかない中卒の息子でしたが、高嶺の花ともいえる職場「キタラホール」で、5年間を勤めあげました。
契約の交わし方などの様々な実務。
外国の奏者とのやり取り。
海外への出張。
鬱という大きな荷物も背負いましたが、ここでの経験は貴重な財産といえましょう。
さて、その後。
仕事という重荷をおろしたとたん、鬱は、悪化したのでした。
これはいくらか予想できたことでした。
私にとって幸いだったのは、その息子の様子を直接見なかったこと。
当時の息子を支えてくれたのは、この病に理解のある、一緒に暮らすパートナーさんでした。
仕事を辞めたあとの息子は、社会から切り離され、自分の所在を失ったような気持ちにさいなまされたそうです。
そして、収入も・・・。途絶えました。
編曲作品をネットに公開し始めたのは、その所在のなさを埋めようとしたからでした。
誰かとのつながりを求めたからでした。
また、そこから収入を得ることも考えていたようてす。
そして、それが今に続いているわけです。
キタラ時代に続く、編曲アップ時代の始まりです。
読んで下さってありがとうございました。
※
「編曲アップ時代の始まりです。」
と、いかにもこの先を書くかのような文章で締めくくりましたが、続けて1~2記事を書き上げ、この連載を一旦締めようかな?思っております。