シンドラーのリスト

『囚われし者たちの国』

 今読んでいる本です。
開けば程なく睡魔に見舞われてしまうありさまで、少しずつしか読み進められません。

今回はこの著作物について書くものではありませんので、本の紹介はこちらの写真で済ましてしまいましょう。
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第1章で出会った次の一文。

1994年という理解不能な悪夢についての拷問のような詳細へと飛び込んでいく。スティーブン・スピルバーグ的な感動はどこにもない。

世界の刑務所を訪ねる旅の最初の地ルワンダにおいて、バズ(著者)が、「キガリ残虐記念館」を訪れたときの感想です。

この記念館では、ルワンダで起きたジュノサイド(集団虐殺)の忌まわしい出来事が展示されております。

私が、バズが引き合いに出した”スピルバーグ的な感動”が、スピルバーグの作品『シンドラーのリスト』であろうと想像できたのは、数日前にこの作品をプライムビデオで観賞したからに他なりません。

バズの祖父は、ホロコーストのサバイバーです。
バズの祖父は、ホロコーストの時代を生き残りましたが、深い恨みつらみに捕えられたまま生きており、その毒は家族にも大きな害となっていたのでした。

 私はホロコーストの話に飽き飽きしていた。
 いや、そんな生易しいものではすまない。ほとほと疲れはてていた。つきまとわれていた。がんじがらめにされていた。ホロコーストが不気味な雲のように私たち家族の上に垂れ込めて、じきに心の病という雨を降らせそうだった。

シンドラーのリスト

 年度切り替えの春休みの間に、娘が貸してくれたタブレットで『シンドラーのリスト』を観ました。
uwisizenさんが紹介して下さった一作で、スティーブン・スピルバーグの作品です。
重たいテーマであろうこのような作品は、敬遠しがちな私ですが、uwisizenさんのお声がけに応じる形で、観ることにいたしました。
実在の出来事が作品の題材となっていることも、知らずにおりました。
このようなことがあったのか・・・。

みもふたもない言い方をすれば、オスカー・シンドラーというドイツ人が「ユダヤ人」を買い上げた・・そういう話です。

映画は、戦争の特需を利用して一儲けしようと画策するオスカー・シンドラーの身支度の場面から始まります。
背後に流れる曲『暗い日曜日』は、以前聴いたことがあり、その記憶が呼び覚まされました。

www.youtube.com

身支度の最後でオスカーが背広の襟につけたのは、ナチ党のシンボル鉤十字のバッジです。

彼が自分の工場に、多くのユダヤ人を雇い入れたのは、安く働かせるため・・・それだけの理由でした。
服従させやすいというのも理由に含まれるかもしれませんね。

しかし、雇われたユダヤ人にしてみたらそれは、「役立たず」の烙印を免れることであり、命拾いすることにつながります。
彼らは、
「拾ってくれてありがとう。」
と思い、ある片腕の男は感激のあまりそれを伝えに来たのでした。
「ああいうことは、二度とさせるな。」
オスカーは経営を任せたユダヤ人の会計士イザック・シュターンに伝えます。

「慈善事業をしているつもりはない。」
その姿勢を保とうとするオスカーですが、次第に気持ちが変わってゆきます。
目の当たりにする惨状も彼に影響を与えたと思われますが、常に片腕となる会計士の存在・・その存在感が、じわじわとオスカーを変えていっているように感じました。


オスカーと対比する人物として登場するのが冷酷なSS将校アーモン・ゲート少尉です。
殺戮そのものが趣味という残忍さを持ち合わせています。

ユダヤ人は人間ではない。
人として扱わないそういう思想に凝り固まった少尉ですが、自分が雇入れたメイドに心を寄せてしまうのです。
「好きだ。」
という偽りの無い思いは、表出されるや直後に封印されます。
「思想」が「愛」の情に勝った瞬間、自分の思いを打ち砕く勢いそのままに、メイドを殴打するのです。

片やオスカーは、誕生日を祝福するために現れた従業員ユダヤ人の女性に感謝の口づけをします。
公然と行われた罪の行為。

ナチ党である二人の姿勢が、見事に両極に別れる場面だと感じました。


オスカー・シンドラーの目的は金儲けからきっぱりと決別します。
その財力をもってしてユダヤ人を買い上げるのです。
工場に必要な職人であるという名目で、名簿を作成します。
会計士シュターンが、オスカーが読み上げてゆく名前をカチャリカチャリとタイプで打ち込みます。
一人一人の名前。
そして打ち込まれる印字。
名前
印字
名前
印字
この映像が印象的でした。
一人ひとりが人間として立ち現れてくる。
一人ひとりの救われる命が立ち現れてくるのです。
一人ひとりが価値のある存在。
死ぬ理由のない存在なのです。

こうしてオスカーは、1100人ものユダヤ人を救ったのでした。

 しかし、これが暗い時代に差した光なら、その光の届かぬ場所であまりに多くの人が劣悪な環境に押しやられ、言葉に尽くせぬ苦しみを味わったあげくに殺されていったのです。

オスカーは買った命を知れば知るほど、買えなかった命、買わなかった命、見捨ててしまった命の尊さを知り涙します。
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感想になりきっておりませんが・・・

 非道な加害者ドイツ人と、気の毒なユダヤ人の構図の中にすっぽりと身を沈めて観てしまいましたが、
この加害性は、戦時アジアを侵略していった日本人の姿でもあり、先住民族の暮らしを根絶やしにした和人の姿でもあります。
私がこの時代、ドイツ人として生まれていたらどう生きただろうか?
そんなことを考えました。

 重たいテーマですので、すぐには記事にはできませんでした。
また、映画の紹介文止まりであり、感想文にはなっておりませんね。

 白黒の映像のなかに現れる「赤いオーバーを来て歩く少女」の存在は、大事なポイントとなるようで、多くの人が感想を残しておられます。
が、映画通ではない私は、そこに関して自分の言葉を持ち合わせておりません。
オスカーにとって、ターニングポイントとなった場面なのかな?
と思ったのがせいぜいでした。



シンドラーのリスト』観て良かったです。
sizenさん!映画を紹介して下さってありがとうございました。


 本日週末の金曜日、ようやくこの記事に向かおうとしたその日の朝のこと。
ちょくちょくおじゃまするdebtonnさんの記事にこのような動画が貼られておりました。
私が今から取りかかろうとしていたタイミングで目にしたものですから、勝手に共時性シンクロニシティー)を感じてしまいましたよ。


da64.hatenablog.com

www.youtube.com
(この動画を観たあとの追記。
驚く内容でした。復讐のためにという一念で恥辱にまみれた仕事をして生き延びたあるユダヤ人のその後とは・・・・?始めに紹介した本のテーマと重なると感じられました。)

暗い日曜日』こちらも美しいので貼り付けて保存いたします。
www.youtube.com

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居座る寒気ではないものの、今日はこんな景色の当地です。
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(小学校の2Fから北をながめる。)