『さとしわかるか』

失ってゆく

福島 智(ふくしまさとし)という方をご存知でしょうか?

以下Wikipediaからの抜粋です。

福島 智(ふくしま さとし、1962年12月25日 - )は、日本のバリアフリー研究者。
東京大学教授(博士(学術)、東京大学)。専門は、バリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティ
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事。世界盲ろう者連盟アジア地域代表。世界で初めて常勤の大学教員となった盲ろう者


「盲ろう」という障がいから、ヘレンケラーの名を思い浮かべる方は多いことでしょう。
ヘレン・ケラーの発症は1歳半のとき。
極幼いときでしたので、発語を覚えることができず三重苦を背負うことになりました。

福島智氏の障がいも、後天的に見舞われたものですが、発語が身についた後のことでしたので、話す不自由は無いそうです。

しかし、ヘレンの三重苦と比べて、それが”程度として軽い”などといえるでしょうか???
そもそも両者を比較することなどできませんが、その体験の質の違いを思わずにはいられない私です。

1歳半のときに視覚と聴覚を奪われたヘレンは、
見えて聞こえた記憶をほとんど残さなかったのではないでしょうか?
色も、音も知らずに成長したと思われます。
大きな困難であり、苦しみであったことは間違いありませんが、ゼロ地点からの成長であることを思えば、サリバン先生と出会った後のヘレンの体験は、主に加算されるものであったといえましょう。
新しい世界を知ってゆく。
未知のものを知ってゆく。
無かったところに世界が生まれてゆく・・。

そのようなものだったのではないでしょうか?


福島氏の方はどうでしょうか?


 福島智氏は、3歳で右目、9歳で左目を失明しておられます。
さらに、18歳のときには失聴し、全盲ろう者になったのでした。
大事な感覚器官が次々に奪われていく・・。
そういう体験をなさっているのです。

見える世界が・・・聞こえる世界が・・・
病魔とともに失われていく体験の恐ろしさ。
それは、ヘレンも知らぬ過酷なものだろうと思うのです。

私は、目を閉じたままの状態でどれだけの時間我慢していられるでしょうか?
無音となった世界で、何を感じるでしょうか??
もし、自分が永久に見えぬ世界、聞こえぬ世界に閉じ込められたら・・・
底知れぬおそろしさと不安のために、錯乱状態になると思います。

この本によって「福島智」を知った私でしたが、


先日、学校図書室で『生きるって人とつながることだ!』を見つけ、こちらを先日読み終えました。(装丁の違うものですが)

そもそも光を失うことだけでも、相当な衝撃だろうと思う私ですが、福島氏はこの体験を、次のように書いておられます。

私が失明したのは九歳のときだった。私にとって失明体験は、それほどショックではなかったようだ。

びっくり仰天です!!
理由として、
まだ九歳であったし、もともと楽天的な性格でもあったから・・。
このように綴られています。
九歳までの間に、目の不自由といいだけ付き合ってきたからでしょうか??

とはいえ、光を全く失ってしまった喪失感は相当なものでしょう。

見えなくなったことで失ったものは大きい。

しかし、

音楽、スポーツ、テレビにラジオ。自由なおしゃべり。そして白杖を使っての一人歩き・・・。音を頼りに楽しめること、できることは無数にある。

このように文章は続きます。

実際に、自分に残された世界の中で福島氏は、おおいに楽しみ、活動していたのでした。

世界の喪失

 しかし、彼は、貴重な「音の世界」までも失ってしまうのです。

中学2年生のときに、右耳の聴力が低下し、高校2年生の冬には左耳の聴力が急激に低下していきました。
生きる世界が徐々に奪われていったのです。

 そうしたある日、私は実家にあったピアノの鍵盤を叩いてみた。同じ鍵盤を叩いているのに、音程が変化していく。それはちょうど、ピアノ調律のとき、一つの鍵盤が微妙に音を変化させていくような感じだ。あのぞっとするような悲しげな響きは今も忘れられない。そして約三カ月の間に完全に失聴し、全盲ろうになった。

私はこの「世界」にありながら、実は別の世界で生きていた。私一人が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、暗くて狭い、静かな「世界」で生きていたのである。

 しかし、福島智氏はこのような地点から、社会とのつながりを取り戻してゆきます。


今は、東京大学の教授という職を得て、ご自分の体験を社会の役立ちに差し出しておられます。
元来持ち合わせているユーモアを発揮して生活を楽しんでおられます。



それを知ってもなお、私は氏が経験した絶望の深さや痛みに、心が震えるのです。
さらには、息子のその苦しみを間近でみなければならなかったご両親の痛みはいかばかりだったか??
と思わずにはおられません。

『生きるって人とつながることだ!』中で、母親の手記、『さとしわかるか』も世に出ていることをを知りました。
このお母様こそ指点字を考案された方。
光も音も無い世界に取り残された息子を、なんとかこの世界につなぎとめようとの思いから編み出したのが「指点字」なのです。


・ 「指点字」は、目も耳も不自由な人とのコミュニケーションのために、点字タイプライターのキーの配置をそのまま人の指に当てはめ、手と手で直接行う会話法です。
・ 6つの点で構成される点字の組み合わせを、左右の「人差し指・中指・薬指」で相手の指を「トン トン」とたたいて言葉を伝えます。
・ 道具も使わず、慣れるとかなりの速さで会話ができ、指と指との触れ合いで心の通った情報のやりとりができます。

指点字」は、9歳で失明し18歳で失聴した東京大学福島智教授(2008年現在)の母親が、氏が失聴した1981年に指をキーのようにタッチすることで会話ができることを知り、広く世に知られるようになるきっかけとなりました。

(こちらから引用いたしました。)www.benricho.org


町の図書館に所蔵されていることを知り、さっそく借りてきました。

「さとしわかるか」
これは単なる本のタイトルではありません。
お母さんの心の叫びです。
さ・と・し・わ・か・る・か



今読みかけの本もありながら、まずは手元におきました。