ティールに向けてのぶらぶら旅  ⑧

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網走監獄博物館 (画像はtravel・jpより)


蝋人形は脱走する白鳥 由栄。
(元受刑者。収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし、今日では「昭和の脱獄王」の異名で知られる。)
 



 担当学年の児童たちが、7日の朝、修学旅行に出発しました。
本来春に予定されていた行事でしたが、コロナ感染の拡大により延期になり、その後も見通しの立たない状況が続いていました。
そんな中、いくらかでも実現可能な行き先を模索し(といっても模索する程の候補もなく)
都会旭川を避け、網走・知床へと行き先を変更していました。

 子どもたちは、友達と一緒の一泊旅行が実現さえすれば他は望まず、行き先に対するこだわりはなかったようです。
 
 昇り続けていた感染者数がみるみる下がり、緊急事態宣言も解除となり、晴れて出発の日を迎えました。

出発の朝は、いよいよ一桁の気温・・・・今季一番の冷え込みとなしました。
ピリリとした空気の中、それでも日差しはたっぷり!
子どもたちは、期待を胸に大型バスに乗り込んで出発しました。

私は引率しませんでしたので、いつもと違う2日間の勤務となりました。

自己教育

 私の旅も、ちょいと違うエリアに足を伸ばすことにいたしましょう。

手元にある『シュタイナー教育を語る』のページをめくることにしました。

著者は高橋巌という方

高橋 巖(たかはし いわお、1928年 - )は、日本の美学者。日本人智学協会代表。元慶應義塾大学文学部教授。
日本におけるルドルフ・シュタイナー研究の第一人者。
1970年代からシュタイナーの人智学(Anthroposophie)を紹介するために著作・翻訳・講演活動を始めるようになり1985年に日本人智学協会を創立する。

(Wikipediaより)

久しぶりに再読したところ、

ティール時代の子育ての秘密』との共通点なども見つかり
書き残したくなったのです。

ティール時代の子育ての秘密』は次のようなメッセージで書き出されています。

「子育ての最大のコツは何ですか?」と聞かれたら、私は迷わずにこう答えます。
「まず、自分自身が育つことですよ!」

親や先生は、子どもを教育しよう!変えよう!と視線を子どもに向けがちですが、それを改め自分の内面に向けてみる・・・それこそが子どもの教育に寄与するということです。


シュタイナー教育を語る』の最終章「母親の自己教育」では次のように綴られています。
この本からの引用は青色で表示しますね。

子どもを育てる側になった人が、自分自身にどのように関わったらいいかという、「母親の自己教育」という問題です。母親が自分自身に対して、きちっとした向き合い方をしない限り、子どもに対してもきちっとした向き合い方ができないわけですから、この問題はとても大切です。

養育者の自己教育が、子育ての大前提であるということです。
天外氏の言葉と見事に重なりますね。



「母親」という言葉に抵抗があるかもしれません・・と高橋氏は続けております。
もちろん「母親」は、一個の人間としての「自分」なのですが、それと「母親」であることの意味は矛盾しないと高橋氏は述べます。
逆にいえば、「母親」(養育者)であるということは、そのまま人間としての有り様が問われていくということでもある・・・・・そういうことかと思います。

全面的に過去を肯定する

 また高橋氏は、人生の上で味わった挫折や後悔など、さらには罪も含めて過去の全てを肯定しなければ自己教育は成り立たないとも述べています。

今まで自分がやってきたことは、全部必然的で、変えようがなかったのだ、というふうに、完全に考え方を切り替えるのです。

罪は罪なのですが、罪を引き受けるときに、その罪を未来の問題としてどう引き受けるかが問われるのです。


しっかり理解はできないものの、全肯定して進むという言葉は私を楽にしてくれました。


私はこれからのことに目を向けていけば良いのです!!

感情を高揚させる場所

感動の中に没入できると、その感情が広大な世界を垣間見させてくれるのです。

 これなど、「フロー体験」をさすような文章ですね!!

しかし、続く文章を読みますと、フロー級の没入体験に特化してとらえなくても十分なように感じます。

感情が豊になる体験がとても大切だということ。
周りからみてまるで価値のないようなことや、ものであっても、当人にとって感情が高揚するようなものならば、それは侵してはならないその人の聖域なのです。

ですからいくら趣味や道楽に夢中になっていても、それだけでは絶対に咎められません。
それはその人の死活問題なのですから。

楽しく感情が豊かになる体験がなければ私たちは自分を好きになることもできない。
自分が嫌だというような状態では、自己教育などできないのです。
そこに向けるエネルギーそのものが湧いてこないというのです。

高橋氏が語る「自己教育」というものは、額にシワよせて過去をああだこうだ考えるものではないということが分かっただけで、私は何だか爽快な気分になります。


楽しい感情ばかりでなくネガティブな感情も、出せばいい!!
と高橋氏は続けます。

いつでもとりすまして、自分がどう見られているかということばかり考えて一生を送ってしまったら、自己教育にはなりません。

シュタイナーが提唱した人智学は、大変難解で、また霊的な要素もふんだんに含みます。
しかし今回紹介した『シュタイナー教育を語る』は、思想のエッセンスを大変分かりやすく、親しみやすく伝えてくれます。

今追いかけている「ティール時代の子育て」とぴたり重なるものではないのかもしれませんが、足を向けたくなったのです。

私のシュタイナー教育への憧れは、結局憧れ止まり、未熟まま放置されておりますが、そんな自分も肯定し慈しんで旅をしていきたいですからね!!

次も本書より、「黒い羊」ということについてを話題にいたします。

  *  *  *

 さてさて心配した雨のもあたらず、6年生が元気に旅行から帰ってきました。

バス越しにヒグマにも遭遇したそうですよ!!
メールで送られてきた画像です。ご覧あれ!!!
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