ティールに向けてのぶらぶら旅  ⑨

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 渡り鳥が声をあげながら空を行き来する季節となりました。
毎年みる風景ながら、鳴き声を聞くや空を見上げ、しばし眺める季節です。

(写真は、わが庭の枯れた植物&通勤途中にある空き家の、放置された庭から失敬した枯れアジサイ

 さて・・・・気ままなぶらぶら旅だから・・・と心のなかで言い訳しながら、まさしく、だらだらと記事を書き連ねております。
いくらさまよっても、理屈で理解しようとする自分から抜け出せず、感覚的に「ティールへ向けての変容」というものをつかめない私です。

自己教育


 前回は、『シュタイナー教育を語る』 (著者:高橋 巌 角川書店
より、自己教育について述べられている箇所を取り上げて記事にしました。
もちろん「ティール」を説いた本ではありません。
しかし ところどころに共通する箇所を見つけることができます。
kyokoippoppo.hatenablog.com

高橋氏による
子どもを養育する立場の人間はなにより自己教育が大事である
というメッセージ・・・これは『ティール時代の子育ての秘密』に書かれている
子育ての最大のコツは自分自身が育つこと

と重なる内容です。

 高橋氏は、自己教育が成り立つ前提を数点挙げています。

過去の自分を全肯定していること。
現在の不本意な状況を人のせいだと思わないこと。

続けて意識に目を向けた場合、
狭い意識に囚われないようにすること・・・そのためには感情が高揚する体験を是非持つべきだし、その対象はその人の聖域とも言って良いほど大切なものである。

このように述べています。
かなり要約してしまいましたがこれが前回の記事の内容で、これらが、自己教育のための前提条件となります。

黒い羊

 続けて高橋氏は、「自己教育は、一人ではできない。」
と述べています。
自己教育とは、誰かとの関係性で成り立つものなのです。

誰か」というとき、それは自分にとって非常にやっかいな誰かさんだったりするのです。

ある集団に一人はいる異分子的な存在…グループの和を乱すような困った人。
この人さえいなければ、円満で気持ち良いのに…、と思わせるような人。
ドイツではこのような存在を「黒い羊」と言うそうです。
この「黒い羊」とどう向き合うかが、自己教育の始まりとなります。

ところが、この問題というのは、おかしなことにその本質が見えてくると、その黒い羊は自分の中にもいることがわかってきます。

たまたま最初に目立った者が、まずは「黒い羊」と認識されますが、人が人と深く付き合ってゆくとどこかで黒い羊と出会うことが往々にあり、そうなれば
自分は相手の中に黒い羊を見つけるし、
相手は自分に黒い羊を見るはずです。

となれば、全ての人の中に黒い羊は存在する
・・・・・・このように高橋氏は言うのです。

 自分にとって厄介な存在、不愉快な存在とどのように付き合ってゆくのか?
そういう相手に気持ちを通してゆくのは並み大抵のことではないのですが、それこそが自己教育であるようです。

このときの大事なポイントは何かというと、案外言葉は通らないということです。(中略)言葉というのは壁を作ってしまうのです。

自分の中から発せられる言葉は、そもそも自分のものなので、そうそうたやすく相手の側には届かないということなのでしょうね。


高橋氏は結局こうすれば良いとは書いておりません。
そして次のような言葉を残しております。

ゲーテファウストに「人は努力する限り迷うものだ」という名言を語らせていますが、一生懸命、自分の責任のもとに何がやろうとしたら、迷うのが当然なのです。迷う限りは努力しているのだし、努力している限りは迷うものなのです。

なるほど…。

  *  *  *

 これは、きちんと押さえておくことだと思いますが、これらのことは、自己教育において必要な姿勢であるということ。
社会生活を営む方法は全く別であるということです。


 どんな相手も理解可能で、理解しなければならないということではなく、
そういう相手に出会ったとき、それでもその相手に自分を通すことができるかな?と考えたり、
またその人を通して自分の中にある黒い羊を知ろうとする。
そうすることで自己教育ができると高橋氏は伝えたかったのではないでしょうか?

天敵

 さて、『ティール時代の子育ての秘密』では
黒い羊」に相当するものが、「天敵」という言葉で語られています。
次回はそれを追いかけて見ましょう。