「旅を満喫」
というタイトルですが私は兎にも角にも出不精で、先日土曜日は、庭の草とりの後は、居間のソファに座ったきり。
先週の編み物の続きと読書で時を過ごし、夕方を迎えました。
本日読み終わったのは
『ぬけまいる』朝井まかて著
です。
お以乃、お志花、お蝶
三人の幼なじみが伊勢までの旅に出るというお話です。
あら!
ドラマ放映もされているのですね。知りませんでした。
猪鹿蝶
伊勢へ参ることを
「お蔭参り」
といいますが、三人は、ひょんな話の成り行きで、着の身着のまま、何の旅支度もしないまま、自分の生活から離れ、唐突に旅立ってしまいました。
以下Wikipediaからの抜粋です。
この三人の場合は、まさしく抜け参り!!
お蔭参り(おかげまいり)は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。お蔭詣で(おかげもうで)とも。数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった。お伊勢参りで抜け参りともいう。
お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これが、お蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんである。大金を持たなくても信心の旅ということで沿道の施しを受けることができた時期でもあった。
ひょんな話の流れから、思いたった伊勢参りではありましたが、やはり逡巡する気持ちも起こるもの。
今出るか?明日にするか?
意見も割れるもの。
さて?どうする?
と迷ったときに使ったものが花札でした。
これに道を決めてもらおう!
こうして
三人の道中が始まるのです。
ここで登場する花札、物語の展開の重要アイテムとなっております。
ほら!
さてこの三人の名前、
そう!
「いの」「しか」「ちょう」
猪・鹿・蝶なのです。
幼なじみの女三人、さぞや仲良く、微笑ましき旅かとも思いますが、それぞれ気性も違えば、生活、生育環境も違います。
あけすけで、派手好み、男好きなお蝶。
彼女は自分の美貌をしっかり自覚し、色気をアピールしたがります。
お蝶とはまるで正反対、背が高く胸もぺちゃんこ、髪を結うことすら面倒な以乃。
この二人は直情的。
特に、感情が激すれば相手の頬に平手打ちをかまし、馬乗りになってのケンカまでする勇ましい以乃。
志花は、感情をあまり出さない怜悧な美貌の持ち主。
そして、剣術の腕はなかなかなもの。
この三人、若い頃は土地のゴロつきを相手にしても一歩も引かない気丈夫で、町の娘たちのあこがれの的でもありました。
そんな猪鹿蝶も、大人となり、それぞれの生活を営むようになります。
それぞれの立場で、一日一日を越えてゆく。
そのうちに、不満や悩みが澱のように溜まっていったのでした。
ソファに居ながら
私は、居間のソファにお尻を沈めたまま、彼女たちの旅を追いました。
手形も持たない、銭とて有り余るほど持たない三人の珍道中。
もちろん、お話です。
創作です。
土地土地での出会いも、間一髪の危機回避も、お話だからこそのもの。
でも、道中のお店の様子や、町人の着るもの、飾るもの。
関所のリアルや、旅籠の佇まいなど、歴史検証がしっかりなされた描写が土台にありますので、現実と仮想が、程よい塩梅で混ざり合い、たいそう面白く読みました。
そして・・・・
ここからは、とても個人的なこと。
江戸を出て、川崎へ、保土ケ谷へ、さらには箱根へ。
その道中を読みながら、私は、自分の小学生時代に訪れた遠足での風景や、箱根の温泉街の風景をふと思い出したのです。
もちろん時代が違うのですがね。
それに、改めてページを繰ったものの三人は江ノ島界隈など歩いちゃいないのですがね。
川崎、保土ケ谷の地名を目にした私の心は、桜もまだ咲かぬオホーツク海沿岸の町から、育った界隈へと彷徨いだしたのでしょうね。
さらには昔ながらの観光地や、土産物屋の描写が、私を、私個人の過去へといざなったのでしょう。
江ノ島の土産屋物屋が並ぶ界隈・・・・・店先にふかし饅頭の湯気があがっていて、店内には貝細工の小物や、土地のお菓子などが並べられていた…その映像が鮮明に浮かびました。
昭和30年代の江ノ島。
イメージにあう写真なかなか見つかりませんでしたが、チョイスした3点をご覧下さい。
画像はこちらより⇒日本珍スポット100景 | 日本全国の珍妙・奇妙な観光地・珍スポット(B級スポット・パラダイス)を五十嵐 麻理がレポート。地図・詳細情報つき!
(画像はCULTURIZEより。現在の写真ですが私がイメージしたものと近いので・・。)
(画像は、茅ヶ崎・藤沢・鎌倉の情報サイト とことこ湘南より)
土産に垣間見る江の島の変遷~「ちょっと昔の江の島みやげ」展のもの
そして、
どこから見たのか?
いつ見たのか?
記憶も残っていないのに、夕闇のなかで確かに見た箱根の温泉街の灯りなどが、ふっと胸に浮かんだりしたのです。
一瞬のタイムスリップ
三人は、西へ西へと進み、季節も春から夏へと変わっていきました。
お蝶はそのまま行き過ぎようとして、ふと足を踏み入れる止めた。振り向くと、店裏に立て掛けられた葦簀が一面、朝顔におおわれている。赤や白、青が色とりどりに咲いていて・・・・
さりげないこの文章。
お蝶が鮮明な花の色を目のはたでとらえ、足を止めたように、私の心もそこで一瞬止まりました。
幼いころ体験した神奈川の夏を思い起こしたのです。
一瞬のこと。
さっと浮かんだまでのこと。
ジリジリと照りつける夏の日差しが不意に脳裏に立ち上がりました。
それも、幼い頃の私が見て感じたものとして浮かんだのです。
つまり、私は、物語と共に伊勢までの道中を旅し、
そこで経過する季節を旅し、
ついでに心に刻み込まれている”過去の風景”まで垣間見たわけです。
ああ、面白かった。
三人の珍道中のあれこれは書きません。
神宮の参道を歩く場面で物語は終わります。
三人は路をもどってゆくのです。
抜け参り後の生活が、どのようになってゆくのか?
安泰などは待ってやしないだろうけれど・・・・。