チラリのぞいて・・足を踏み入れる⑤

 このテーマについて・・・もちろん手放してはおりません。
この頃「共時的に」と言ってもよいような手応えで、それに関連する記事が目に入るようになりました。
まあ、私が追いかけているのですから、偶然!と驚く程のものではありませんがね。

とりたてて新しい発見や進展があったわけではありませんが、今の状況についてそろそろ記事として残しておこうと思います。

が、その前に長男HのYou Tube動画を貼らせて下さいね!
応援してやりたい一心の親心です。 ご理解下さいませ。

 この度は、話題の曲をいち早く投下することを狙ったとのこと。
(22年4月15日公開の映画)
再生した上で、今記事をお読みいただけたらありがたいです。

www.youtube.com

想念が先・・・らしい

 今回のスピリチュアル系の記事を書き始めたきっかけは、津留晃一氏のメッセージを知ったことでした。
理解を深めるために、メッセージを解説する小嶋道広氏のYou Tube動画を見たりしました。

お二人は、断言なさっておられます。

出来事が先なのではない!
想念が先なのだ!

と。
私が心配するから、心配事となる出来事がやって来るというわけなのです。
このことは②の記事で既に書いていますね。
つまり、私は、起点であるそこでまだ足踏みしています。

想念が先という説に対して、
じゃ、心配しなければ良いのね、そうすれば心配事はやってこないのね?
と問えば、
小嶋氏はYESと断言なさるでしょう。

うーん・・でもそれ、信じられますか??

だって・・戦火の中、震えて過ごす人の現実も、不慮の事故に巻き込まれた人たちの不運も、その方たちの想念の結果だというのでしょうか???
そんなこと・・・・???
当然なる疑問が湧くのです。

ただ、その疑問をとりあえずは置いておきまして、ここは津留氏、小嶋氏の主張に従って、先に参りましょう。

現実を作るのは想念である。
ですから想念を変えれば現実が変わるわけですが、
が、

そもそも人間は、先々を心配するようにできあがっている!
出来上がっちゃっていると・・。
我々が人間である限り、心配というのは、もうふっと浮かび、それを知るやそれを考えて追いかけてしまうものなのです。
(人間が自分だと思い込んでいる自我と離れることで、そのサイクルはものの見事に断ち切れるという、メッセージにつながってゆくのですが、それは今後の話題にいたしましょう。)
確かにその通りです。
心配事なんてものは、ふいに姿を現して形を結ぶし、こやつの姿を見ないように身構え、ついたてを立てたたところで、飛び越えてやって来ますからね!
そうやって迂闊に、湧かせてしまった想念が現実にやってくるなら。
ちょっとたまりませんわ!
kyokoippoppo.hatenablog.com

「ああ!!今、一瞬でもネガティブなこと(不安なこと)を感じてしまったああああ。」
「やっちあたあああああ!!!」
感じてしまった、想起してしまった!波動を発信してしまったという悔やみが
「不安は現実のものとなってきっと姿を現すに違いない!!」
という新たな不安を呼ぶのではないかしら??
ネガティブな想起にさらにネガティブなあんをかけた状態にならんかね???と

このシリーズの②で書いたことを、相変わらずここで書いている私。
同じ所で佇んでいますねえ。
つまり、
津留晃一のメッセージやら、小嶋氏のYou Tubeやらは、ちっとも私を安心させないし、所詮遠い世界だと感じるのです。
「あなたは今のままで完璧で”変わろう”と思う必要はない!!」
と、これまた断言なさる小嶋氏ですが、彼のYouTubeを次々と見るうちに、何故か、今のままではいけないような気持ちになってしまうのです。
これは、私の受け取り方が間違っているのだと思うのですが、そう感じてしまうのだから仕方ない。

引き寄せの法則

 今や誰もが知る「引き寄せの法則」ですが、これこそ想念が現実を作るということを大前提として語られるものですよね。
こういう法則があるとして、
これだって、一片の「疑念」が混ざれば、成功しないばかりか、疑念にふさわしい現実を引き寄せてしまうかもしれません。
なかなか、簡単なものではありません。
 
想念が現実を作るということが本当だとしても、これを、そのまま有難がれないというのが、正直な私の心境です。

それでも、スピリチュアル的なものへの興味が枯れずにあるのは、やはり、そこに魅力を感じるからです。

たまさんの記事で知り、私も取り寄せ読んだ本。
喜びから人生を生きる! - 歌う珈琲屋さん

そこには次のように書かれてありました。

すべての命はつながっているので、自分が上機嫌でいれば、全体にも大きな影響があるのは確かです。
 でも、もしもネガティブな考えが忍び込んできたら、それを批判せずに受け入れて、ただ通り過ぎるのを待っている方がいいように思うのです。感情は、抑圧したり追い出そうとしたりすればするほど、押し返してくるでしょう。そうではなく、何の判断もせずに、ただ自分の中を流れるのを許していれば、思考や感情は通り過ぎていくのです。

もし不愉快な状況を生み出したのが自分のネガティブな思考だと信じれば、私たちはびくびくするようになるに違いありません。

もう私・・膝を打つしかありません。
そうそう、これなら私は安心できます。
彼女は「自分に正直になり、大切にする」ことを勧めるのです。

『喜びから人生を生きる』の内容は、津留晃一のメッセージや小嶋氏の解説内容と重なっていて、ほぼ同じことを伝えているのだなあと思いました。

違いがあるとしたら、その手渡し方なのかな?
そんな風に思いました。

自分の気持ちを置き去りにしてはいけない

 同書に書かれていた次のことも大事だと思います。

それは、
外側に導きを求めていると自分を見失ってしまう、
ということ。

スピリチュアルな世界は、平凡に暮らす多くの人にとって自分より高いものです。
良き導き手を求める気持ちも当然湧きます。
自分の先を行き、自分の知らない世界を知り、より真理に近い存在である導き手の考えや感じ方に自分を合わせていかなければ・・と思いがちです。

でも、大切なのは自分。
この世に生まれ、今を生きる大事な大事な自分を、性急に作り変えようとしてはいけません。
私は、どんな私であっても価値があるのです。



 私はこれからも、津留晃一氏のメッセージを読み、解説をして下さる小嶋道広氏の動画を視聴することでしょう。
それらを受け取りながら感じる自分の感情を見守りながら…。
みっちゃんさんの動画、なかなか魅力的ですからね。

  *  *  *

 ダチョウ倶楽部の上島さんが亡くなってしまいました。
自殺だったようで、びっくりしております。
私、ダチョウ倶楽部好きだったな!
人を笑わせ、和ませてきた方。
芸人として不動の立ち位置を確立なさっており、「成功した人」でもありました。
それでも、上島氏にとっては苦しいと感じる現実がおありだったのですね。


私はつくづく思いましたよ。
私は幸せなのだと!
だって、ままならないことに見舞われ、困ったり、恥ずかしかったり、情けなかったりすることはあるけれど、「死にたい」と思ったことはただの一度もありませんもの。

自分が幸せであることを、私はしっかり胸に刻もうと思います。

上島氏のご冥福を祈りつつ。