海へ還る日

kyokoippoppo.hatenablog.com
この記事の続編です。
八月の銀の雪
に収められている一編一編を紹介するという試みです。

前回は表題作である『八月の銀の雪』を紹介しました。


人を深く知ると、その人の別の層が見えてくる。

そんな物語でした。
それに続く他4作品も似たような構成となっております。
人が人と出会い、人間の内面が明かされていくという内容です。
同じような構成でありながら、それぞれが独特の魅力を持つのは何故なのか?
わざわざ、一編一編のエッセンスをブログ記事にして残したいという思いを私に抱かせた魅力は何なのか??

この理由とは、意外にも、私が当初敬遠した「理系的」な要素なのです。
さらには、フィクションの中に存在するノンフィクションの存在です。

海へ還る日

 果歩ちゃんという女の子の母親であるシングルマザーが登場します。
果歩ちゃんは、生まれつき心臓の弁にわずかなずれがあり、半年ごとに検査を受けています。
極軽度な障害であり、病院にはまだまだ重度の障害を持ったお子さんがいて闘病をしていることを母親は知っている。
でも、この弁のずれが大きくなっていったらどうしよう・・・。
そんな心配が募ります。
小さな不安のさざ波が、常に彼女を脅かしています。
一人ぼっちで頼りなげな彼女。
彼女は母親に育てられたという記憶がありません。
父親が誰だかも知りません。
彼女の母は未婚のまま19歳で彼女を産み、子育てを自分の母親(彼女の祖母)に託し、そのうち新しい家庭へ移っていってしまいました。
祖母は彼女を慈しんではくれましたが、貧しい暮らしでした。
旅行や外食、心踊るような誕生日プレゼントとは無縁の暮らしでした。

子どもながらに、自分はそういうものに当たっていないと知っていた

のでした。(傍点部分をアンダーラインにして引用しました。)

そんな彼女は、職場で出会った男性と何となく付き合い、その結果子どもができ・・・・結婚しました。
がほどなく離婚。
母子生活となりました。

わたしに父がいなかったように、この子のそばにも父親はいない。わたしの母が私に何もしてくれなかったように、わたしもこの子に何も与えてやれない。
 結局この子は、ただわたしの人並み以下の遺伝子だけを受け継ぐのだ。物心がつく頃には、自分がはずればかりを引いたということを知り、空虚な生を生産するのだ。

(傍点部分をアンダーラインにして引用しました。)

彼女の、生きてゆくための推進力はか細く頼りなくなっておりました。

出会い

 そう・・・『八月の銀の雪』では、必ず人との出会いがあります。
彼女が出会ったのは、上野自然史博物館で働く女性「宮下」でした。
混み合う電車の中で声をかけてもらったのがきっかけです。
定年後も委託職員として働く彼女は、ここの博物館で生物画を描く人でもありました。
絵を得意とする宮下さんでしたが、絵を職業としていたわけではありません。
報告書に添えるイラストを手がけたことをきっかけとして、その後絵画教室に通うなど、自身の研鑽を積み、本格的な生物画を描けるようになったのでした。

生きる世界が違う宮下さんに対し気後れも感じる彼女でしたが、宮下さんが語る「鯨」の世界に興味を持った彼女は、交流を続けることとなります。

博物館主催の講演会にも足を向けた彼女。
よれよれTシャツにビーチサンダル姿の講演者網野は、クジラやイルカについて様々な興味深い話をしてくれるのでした。
イルカに行われた知能テストに関して網野は次のように語りました。

「・・・・知能テストなんてものは所詮、我々人間が『これが知性だ』と勝手に思い込んでいるものを測る手段に過ぎない。そんなもので彼らの頭の中を評価しようなんて、傲慢じゃないかとね。そもそも、クジラやイルカが何を思い、どんなことを考えているのかは、我々には絶対わからないわけですから」

 宮下や網野は、彼女のお悩みを汲み、特別な助言をしたわけではありません。
二人は自分の興味に忠実に歩いてきたのであり、与えられた仕事に誠実に向き合ってきたその姿を見せただけなのです。
それが一人の孤独な母親に作用しました。
彼女は前を向いて歩いてゆけるようになるのです。

人が持つ小さな好奇心や興味・・・・形にもなっておらず、とるに足らないような「思い」であっても、それは十分に人の助けとなり、生きるパワーとなるのだなあ・・・・そんな思いを抱かせた作品でした。
自分には何も当たっていないと思い込んでいた彼女でしたが、彼女の中には、根絶やしにされず息づいていた「思い」があったのです。

クジラの生物画

nlab.itmedia.co.jp
続く2つの画像と引用文はこちらからお借りしました。

 写真と見紛うほどリアルなクジラの絵は、科博が監修・発行しているだけあって生態に忠実でいて迫力満点。体の模様一つ一つまで色鮮やかに再現されている。1990年の初版から2014年の第4版まで幾度と描き直し、描き加えられてきたクジラの絵。これら全てを描いたのは、外注の絵師でもなければ、専門の職人でもないという。

なんと、描き上げたのは、科博に半世紀以上勤め、現在は委託で哺乳類の骨の整理や鳥の標本づくりを手伝う女性スタッフだというのだ。

おお!!??
宮下氏がここに??
と思ってしまいますね。

『海に還る日』は、伊与原氏が、国立科学博物館委託標本作成師渡辺芳美氏の仕事に感銘を受けて書いたものなのです。
小説に登場する「宮下」の経歴や私的なプロフィールは渡辺氏と関係はありませんが、渡辺芳美氏という実在するモデルがおられたということです。

私がこの作品の魅力として挙げた
フィクションの中に存在するノンフィクションの存在。
とはこういうことなのです。


この記事の最後に我が家のアルバムにある写真をお披露目。
我が子たちが幼かった頃、わが父母が存命だった頃、上野科学博物館を訪れた際の写真です。(1997年末)
この物語にも出てくる実物大シロナガスクジラの像です。