その後のおふたり

 我が娘Aが、子連れで故郷湧別に戻ってきたのは約3年前のこと。
その3年間に、二人は様々な話題を提供してくれました。

娘が作った料理やお菓子、孫と楽しんだ工作、雪のかまくら、ルンルンおでかけ!!
そこで食べた美味しいもの!!
ブログの記事に登場することたびたび・・・。

その娘と孫はこの春札幌へと転居しました。
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私の生活もとたんに変化しましたが、当の二人の変化には及びません。
庭付きの広い町営住宅から、マンション9階のコンパクトなお部屋で暮らすことになった二人。

娘は様々な生活シュミレーションを描き、もう何十回と金銭収支のシュミレーションをメモし、臨んだ生活です。
相応の覚悟もあったことでしょう。

・・・が、孫のKちゃんにしたら
「さっぽろのおうちにすむ」
「さっぽろのがっこうにいく」
ということを、ぼんやりと描く程度で、この生活の変化を受け入れたに過ぎません。

入学という初めての体験を、新しい土地でどのように迎えるのか???
娘と私の関心事はそれに尽きました。
入学式後の登校初日はこんな出来事もありまして・・・
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いくらか覚悟はしていたものの、次の日から”泣きの登校”が始まったKちゃんでした。

その様子を電話で知らせてくる娘に、
「仕方がないね。ここは踏ん張りどころだ。そのうち慣れてくるよ。」
と答える私。
そんな慰めしかできませんでした。


学校側の新入生への眼差しが手厚い期間は、泣いているKを見つけて駆け寄って下さる先生もいたことでしょう。
・・・・が
そんなモードは初めの数日間ではないでしょうか?

私の勤務校だってそんなもの。
そもそも泣いて登校する児童はいませんでした。
登校を続けられるだろうか??と心配された私の担当する男の子も、なんとか学校に馴染んでくれました。


(画像は娘Aのインスタグラムより。以下同様)

が・・・わが孫Kは次の日も次の日も次の日も
学校の入り口で泣くというのです。

「ママ!事故に合わないで!!」
「ママ!ぜったい死なないで!!」
そんなことを口走りながら泣くそうなのです。

頃合いを見計らって始めたママの仕事。
その職場が、地下鉄に乗って通うパン屋であることが不安だったのでしょうか??
ママの通う場所がとてつもなく離れていて、自分の知らない場所に行ってしまうとう怖さがあったのでしょうか?
自分の足場さえ不安定でもろいところへもってきて、ママも遠いところに行ってしまう!!

湧別にいたときのママの職場は、車でちょいと走った先のM家の台所。
Kも知っていて、時には共に行くこともあった場所。
自分のテリトリーと地続きと感じられる場所でしたからね。

ママの職場の変化も、Kに影響を与えていたと思われます。


が・・・それにしても・・・・です。

長いな・・・・。


 玄関先でのKの泣きは、朝の定番の風景となったようです。
ある時は上級生が、あるときは同級生が声をかけてくれて玄関へ。
そのうちK担当の特別の先生まで出現して・・。

担任はどうしても教室にいなければなりませんので、他の先生が登校を出迎えてくれるようになったそうです。
この期間、担任は電話で励ましてくれたそうですし、教頭先生は我が子の「泣き」にめげず登校させる娘を労って下さったそうです。
娘にしたら、我が子が登校を渋ったからって休ませるわけには参りません。
働かなくてはなりませんからね。

でも、今は金銭を追う時期では無いと感じた娘は、Kの心の負担をいくらかでも軽くすべく、働く時間を短縮し、放課後の時間を共にできるよう調整を図りました。(放課後の学童保育の日数を減らしたのです。)

そして6月・・・・ようやく
泣かずに登校できるようになったそうですよ。
入学から2カ月後の様子です。

赤線で消した部分は目下の心配事が書かれてあります。
決定したことではないので、目隠ししてあります。



そしてこれ!!
おもしろいね!!