家族を書く人

 図書館に出向いては書棚から、スピリチュアル系のものや、人生指南ものばかり引き抜いていた一時の私。

 そこから離れて「物語」を手元に寄せたことは、小さくとも私の中に何らかの変化が生じたということだろうと感じています。
ある状況を脱したように感じるのです。

そんな私を、更に「こっちこっち!」
と誘ったのが、Mosgreenさんの記事でした。


【読書の秋 前倒し】 - 農家の嫁が働きながらこっそりつぶやく独り言


村井理子氏の作品を数点紹介したもの。

 私はその中の一冊、
『兄の終い』を過去に読んでおりました。

兄の終い

兄の終い

Amazon
村井氏の体験を生々しく語ったノンフィクションです。

記事にも残しておりました。

kyokoippoppo.hatenablog.com


ここに貼った道新書評がこちら。


社会の奈落から浮き上がることができなかったというお兄さん。
村井氏は憎んでもいたという。
憎みやっかいな存在でも、実の兄が、その息子と汚部屋を残して世を去ったとなれば、知らぬふりもできません。

家族の物語…しかもその暗部を書き残す。
これはいったいどのような、心境でなされるのでしょうか?

もちろん、誰でもが体験する出来事ではないので、とても嫌な言い方をすれば、題材は「ネタ」にもなりましょう。
でもそれだけの理由で、この作品が生み出されたとは考えられません。

人は誰でも、味わった時間を、スルスルとなんの抵抗も無く通過して、先へ先へと滑るように進むわけではないのですね。


ある人は文学作品にして、
ある人はブログ記事にして、
書くことをしない人なら人に語る行為によって、
自分の体験を振り返り、なぞりなおし、再度取り込んで、苦しかった体験をも、自身の血肉(人生の蓄えのようなもの)にしていこうとするのでしょう。
別の言い方をすれば、そんな体験こそが人の血肉となっていくのかもしれません。


さて、
Mosgreenさんの、記事に出会ったのが8月27日のこと。
その2日後、私はのんちさんによるこの記事に出会いました。
nonchi1010.hatenablog.com

のんちさんが、本屋をはしごしてそれでも手に入らず、ネット注文で手に入れた本が、
まさしく
『兄の終い』なのでした。

さらに彼女は、ご自身が向き合い身体を動かしやり終えた、叔父さんに当たる方の、「終い」について綴っています。

のんちさんも、このようにしてご自分の体験を書き残したのです。
残さずにはいられないというような、衝き上げるような思いだったのではないでしょうか?

それが、このようなタイミングで私の目の前に現れたことに、偶然を越えた不思議なものを感じたのでした。

社会の底辺に生きることを、わざわざ求める人はいませんし、そんな人や出来事は自分自身からできるだけ遠ざけておきたい。
それは私の、おそらく私たちの本音です。
それでいながら、そうなるしかない人の生き様や、それを見つめる家族の現実というものに、思いが向き引き寄せられ、しみじみとさせられるのは何故なのでしょう。


こちらのノンフィクションにも・・・

 村井理子氏の他の作品に触れたくて、私は早速図書館に向かいました。
そして、気の向くままに書棚から何冊か引き抜いて持ち帰ってきました。
「む」で始まる著者である、
村上由佳の作品も2冊。

『命とられるわけじゃない』(ノンフィクション)
『雪の名前』(フィクション)

村上氏は大のネコ好きで、『命とられる〜』は、愛猫との死別1年後に、運命的に出会った猫との交流が綴られています。
その語りの底流に、見え隠れするように語られているのが、彼女の家族の関係です。


 猫と運命的に出会うのが、お母様の病状悪化から臨終、その後の通夜葬儀のタイミングですのでね。
それに伴う家族親族のバタバタ、ワタワタのやりくりが当然発生し、それも語られるわけです。
で…
そこに登場する、「兄」がですね・・・・・
次兄だけなのですよ。

長兄である方が実の親の通夜葬儀に顔も出さない、といより知らされてもいない、いや、知らせようがない関係となっているのでした。
お兄さんは、二十代前半の頃、両親との仲がこじれて家を出てしまっていました。
その後しばらく保たれていた兄弟間の交流も無くなってしまい音信不通になってしまっているというのです。

我が家が特別変わっていたわけではないと思う。家族が、途中でひとりの欠員も出さずにずっと同じ家族をやっていられるというのは、じつはちっとも当たり前のことではなくて、奇跡に等しいことなのだ。

彼女はこのように書いています。


ああ、ここにも、得体の知れない家族の暗部がありました。
あくまで、猫との出会いがこの作品の主題なので、長兄と家族については、これ以上のことは書かれていませんが、私の心に強く残りました。


また、村上由佳氏とお母様との母子関係についても、感情の行き違いがあったこと、
母親の臨終が迫ってきても、一向に感情が動かないご自分の有り様に戸惑う様子なども書かれていました。


 深く関わり合い、様々な感情を刻印し合う家族。
村井氏や村上氏が、それと向き合い、作品として残してくれました。

一つとして同じ形はない家族の姿。
しかしながら、これらの作品の中に、わずかながらも重なるものや、相似する欠片を見ることができるのでした。
そして、それがこれらの作品の魅力にもなっていると感じた私でした。




次回は、村上由佳氏のフィクション作品の方、
『雪の名前』を紹介しますね。

見つけたこちらも、貼っておきましょう。
kangaeruhito.jp