友よ・・・岡林信康

 反戦歌をテーマに、連載形式で綴っていこうと思いついたワタクシです。
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とはいえ、音楽の知識も乏しく聴くジャンルも広くはありません。
You Tube」「反戦歌」で検索してみたところ、たくさんの動画が並んでいました。
これらを貼り付けながらの記事となります。
BGMとして聴きながらスクロールしていただけるように、まずはトップにYouTube動画を置いてみることにしました。

 初回は岡林信康有名人ですので敬称略で・・)の『友よ』です。

TAISEI・AKIBA氏の動画

 で、ですね・・・
今後紹介していくものの選曲についてですが、私自身がチョイスしてこそ、自分のブログ記事としてふさわしいことは承知しつつも、ある方の選曲を手引きとして利用されてもらうことにしました。
秋葉大聖という方が発信する動画です。
反戦歌」で検索し、
たまたま見つけたもの。
再生し始めてすぐに、「おお!」と前のめりになり、最後まで一気に試聴いたしました。


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彼の姿を見るに、まだ若いお方のようです。

ここでは、1960年代からの反戦や、メッセージソングと呼ばれる歌が紹介されています。
立板に水のごとくよどみなく語られる解説に感心すると共に、その内容が大変に豊かで驚きました。
歌が生まれた時代背景がしっかりと語られているのです。
歌は単体で世に現れるわけではなく、時代の空気の中で育まれ生み出される。
生まれるべくして生まれ、それを受け入れ支持される土壌がそこにあるのです。
TAISEI氏はそれを語ります。
歌はもとより、背景となる時代をも掘り起こし発信しているのです。

この動画は2022年春に公開されたもの。
そう、ロシアによるウクライナ侵攻間もない頃ですね。
時勢に合わせての公開だったのでしょうか?
TAISEI氏は、現在の世界状況を正確に把握することはむずかしいとした上で、それでも興味関心を持つことは大事だと語ります。
過去に歌われ、今も人々の心に残る歌。
それらを整理し、歴史をたどり、その精神を今に繋げていきたいという心意気を感じます。

 実は私がみつけたこの動画は
反戦歌の特集の第2弾だそうです。
これに先立つ1回目は、2年前、2020年の終戦記念日に公開されており、ここでは、1回目で紹介しきれなかったものとして新たな8曲が紹介されています。

その1曲目が岡林信康の『友よ』でした。

『友よ』

動画は解説のみですので、この記事に添える歌唱動画は別番組のものを貼り付けます。


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こちらは、1969年の安田講堂攻防戦映像が乗られております。

(東大安田講堂事件は、全学共闘会議全共闘)および新左翼の学生が東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件であると共に、大学から依頼を受けた警視庁が1969年(昭和44年)1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件。)

 さて
『友よ』の歌詞を追っても、ことさら反戦を打ち出してはおりませんし、社会にもの申すほどの強いメッセージも見当たりません。

岡林信康はこれを、学生運動の応援歌として作ったわけではないのです。
しかし、この歌は当時の学生たちから熱狂的な指示を得ました。
友よ!
戦いの炎を燃やせ

は、ストレートに若者の心に刺さったことでしょう。
行動の先に見える希望
輝く明日
報われるその日

という言葉は学生たちの燃える心に、エネルギーの満ちた身体に、
燃料のように作用したのでしょう。
この歌は若者の集う場所で好んで歌われたのでした。
運動の高揚のために好んで使われたのでした。
そんなこともあり、岡林信康学生運動の影の指導者なのでは?と憶測されたという事です。


当の岡林は、そのことに戸惑いと疑問を早々に感じていたようです。
そもそも、この楽曲とセットのように語られる「新宿西口フォークゲリラ集会」ですが、岡林本人はここに足を向けてはいないというのです。
彼は1969年9月には、社会から一時身を隠しております。

(地下広場や地下通路、駅前や商店街の路上などでフォークソングを歌うフォークゲリラと呼ばれる人たちが日本のあちこちに現れたのは1969年になってからのこと。最もよく知られているのは東京の新宿西口のフォークゲリラ。1969年の6月28日には道路交通法を適用した機動隊が突入している。)




 後の林真理子氏との対談において、岡林は次のように語っています。
dot.asahi.com

:若いころ山谷のドヤ街でギターをかき鳴らしたり、学生運動の波の中でカリスマ的なリーダーになっていったというのが、私の勝手な岡林さんのイメージなんですけど、それは不本意なことだったんですか。
岡林不本意ではあるんだけど、僕は学生(同志社大学)をやめたから学生運動というものを知らないんですよ。デモも一度も行ったことないんです。新宿西口でみんなフォークソングを歌って大騒動になったというけど、あそこに僕は一度も行ったことないんです。

:そうなんですか。
岡林:ただ、なぜか僕はそういうことのリーダーみたいなイメージがあって、今でも東大紛争の昔の映像が出ると……。
:岡林さんの歌が必ずバックに流れます。

岡林:それは迷惑なことだよね。考え方として左翼的だった時期もあるし、妄信していた時期もあったけども、しばらくすればそんなものがバカげた考えだということもわかってきた。左翼思想にガチガチになって旗を振ったというのはウソですよ。だいたい俺はみんなと徒党を組んでどうこうというのがイヤなの。個人的な人間だから。
:反体制と言われることもイヤだったんですか。

岡林:そうやね。俺がつくった歌に反戦歌なんて一曲もないよ。男と女の歌しかなかったから、政治家をこきおろしたり先生の悪口言う歌をつくっただけ。それは新鮮やったけど、「反戦歌手」のレッテルをつけられた。

:メロディーがすごくきれいでしたね。

岡林:メロディーは賛美歌のおかげやね。母親のおなかにいるときから賛美歌を聴いてたから、メロディーラインは賛美歌の影響をすごく受けてると思う。

!!!賛美歌の影響ですと????

一つの曲を追っただけで、自分の知らないことを知識として得ることができました。
自分の思いこみに気づくことができました。

とはいえ・・・・ご本人の意志とは違う形であったとはいえ、
この時期に若者たちの心を捕らえた曲として『友よ』は世に残っているのです。
TAISEI・AKIBA氏が紹介する次なる曲は何でしょう?
それについて調べることでどんな世界が見えてくるのでしょう。