長引く息子の鬱を、心配するやら解決方法を知りたいやらで、ネットを検索ばかりしていた事を前回の日記に書きました。
様々な意見があるものの、
「鬱は休養、薬、時間によって回復するものだ」
というのが概ねの意見でした。私はフムフムと頷くわけです。そしてその時必ず思うのが、
「その間お金の問題はどうするのだろう?」
というもの。
その人が属する職場や、人的環境である家族や身内の有り様によっても当然違ってくるだろうけと、金銭的な不安は付き物だと考えるわけです。そしてその不安が病に障れば、休んでいても休まらないという状況に陥ります。体調の安定を待たず仕事に復帰し、あっという間に再発したという話はざらにありました。
さてさて、『ネガティブ・ケイパビリティ』の考え方はこのようなお悩みにどのように応えてくれるのでしょうか?
この本の第五章は「身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ」というタイトル。
精神科診療現場に寄せられる様々な悩みに対し、ネガティブ・ケイパビリティの、立場ではどう応じるのか?が、書かれているのですが、これがなんとも・・・・そもそものスタンスが、「答のでない問題に耐える」というものなのですから、はなから答えを提示するという姿勢ではないのです。
では、何もしないのか?といえばそうではなく、
耳を傾け続ける、慰め共感する。見守る。同情する・・・と、こんな感じなわけです。
そんな事なら何もしてないに等しい!診療に値しない!と思われる方も多いでしょう。
みなさんはいかがですか?
ネガティブ・ケイパビリティに対する評価のわかれるところでもありましょう。
わたしは?と言いますと・・・
それを支持する気持ちになったのです。
帚木蓬生氏が、
「これを知っているか知らないかでは生きやすさが全く違う」と断言するネガティブ・ケイパビリティ。「もち堪えてゆけば実りがある」という
この考え方に賛同し、模索してみる気持ちになったのです。
お金お金💰お金があったら不安が減る と切実に思います。お金!欲しいです。ネットでみかける副業の文字。
ブログ、アフィリエイトのことばに誘導されてブログを書くことを考えました。
でも、時期を同じくして読んた『ネガティブ・ケイパビリティ』によって、ブログへの姿勢は変わりました。
様々な心配や不安を、かかえながらも、持ちこたえるためのツールとして、ブログを利用することにします。
急がず一日一日持ちこたえる。一歩一歩すすみましょう。
お金はやっばり欲しいから、たまにミニロト買います。
メルカリもやってます。パチンコは我慢します。