音楽だよ🎶『甘き死よ、来たれ』

 Hの新作がアップされました。

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映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の挿入歌、『甘き死よ、来たれ』です。

Komm, süsser Todはドイツ語です。
バッハによる、同じタイトルの曲が存在しますが、挿入歌との共通点はタイトルのみです。


 さて、今回のHの動画は静止画が1枚貼られただけ。
なあんだ。
となればスクロールのお供として我がストック写真をお見せする従来通りの仕様に戻してお届けしても良いのでしょうが、前記事では「色」についてをテーマに書いてゆくという宣言もしております。

なので、今回はそちらで…。
と言いつつも、特別に温めていた話題も無いのです。
色の波長であるとか、花の色の仕組みとか、補色についてとか、科学的に掘り進むことも有りですし、スピリチュアル的な要素で色を語ることも可能です。

でも、今の私は、そこへ向かう気持が何故か全く湧きません。

あの話題、この話題?と考えを巡らしている間にも、脳裏に現れるのは、幼い日に見た色の体験です。

おそらく5〜6歳頃に見たもの。
木造平屋のおうち。
母の実家が材木屋だったため、建てることのできた小さなマイホームなのでした。
掃き出し窓の外側には、雨戸があり、朝に夕に木製の板戸をスライドさせて、戸袋出し入れするのです。

雨戸の建てられた部屋はまだ暗く、それでも私はせんべい布団で目を覚ましていました。
外は既に明けていて、光が板戸の隙間から差し込んでいました。
それが、虹色になって板の一角を染めていました。
そこだけが、淡い色のステンドグラスのように美しく、それをじっと見ていました。

たったそれだけのこと。
けれども私の最も古い色の記憶なのです。
今となっては幻だったようにも思える色の記憶。



 AIというものが、注文に合わせた画像を作るということは知っておりましたが、どうだろね?
試してみようかね?
とクリックを重ねて見ました。

…が、当たり前ながら私の見たものとは違うわけで…
はい!没にしました。
代わりにこいつをポチッとな!


朝日の差し込む東側の部屋。
その壁に虹色の線がくっきりと。
写真に収めたものの、今となっては、何が作用してこのような現象を生み出したのか?
記憶を残していませんのよ。


原曲もこちらに貼っておきましょう。

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痛いところから見えるもの…②

 

 こちらの本に関する記事の2回目です。
前記事では、著者の頭木弘樹さんが、見舞いに訪れた知り合いと痛みを分かち合えた感慨から思わず涙を流したという話を紹介しました。
痛い体験は、肉体的に苦しいことに加え、誰とも分かち合えない孤独感をも味あわされます。
 ですから、さほど親しい間柄ではなかったにも関わらず、目の前の男性が見せた共感の涙によって頭木氏の感情も一気に噴き出したというエピソードでした。

病者の痛みを他者が共感することは、ほとんど不可能なことと言ってもよく、これはもう仕方のないことなのです。
世間並みの優しさや親切心を持っている人が病人を見舞ったとしても、当たり障りのない慰めや励ましを伝えることしかできません。
それで良いしそれで十分なのだろうと思います。


 ただね、中にはデリカシーの欠落している見舞客もいるもので、そんな見舞客と患者のやり取りを頭木氏は見ることになりました。

本書中の「痛みとマッチョイズム」の章の中にその箇所があります。

 とある男が病室の男性を訪れる。
「どうだ?調子は?」
などと声をかけ、病人が痛みについて語るのを聞いていましたが、その会話の途中で、やおら小学生の息子と釣りに行った話を始めたのです。
なんでも、父親の竿の釣り針が息子の顔に引っかかってしまうアクシデントに見舞われたというのです。
返しのついた針は、素人か取り除くことは難しく病院で処置してもらうことになりました。

その際、その息子さんは、針を取り除きその後何針か縫う処置の間全く泣き言を発しなかったというのです。
その日に焼けた男は、自分の息子を「立派な男だ」「えらい奴」だと何度も繰り返しました。

 ベッドのおじさんも、「さすがあなたの息子さんだけあるねえ」などとほめていた。
しかしこれはあきらかに、痛い痛いと泣き言を言うな、おまえはおれの小学生の息子より情けないぞというメッセージであった。おじさんもそれを感じただろう。

いやあ、実に嫌な見舞い客ですわ!
  
私は頭木氏が、その男を「日に焼けた男」と表現していることに目が向きました。
その表現に何らかの意図があったか否かはわかりません。単にその男の容貌の事実を書いたに過ぎないのかもしれません。

しかし、この6文字の中に、病室に閉じ込められて、社会的な活動を休止せざるを得ない病者、アウトドア的な活動から最も遠い存在である病者と、外で闊達な活動ができる健康体の男との対比が滲み出ているように感じたのでした。

 さて、頭木氏ご自身の体験に話を戻しましょう。
氏の病気体験のスタートは、大学3年生の時に発症した潰瘍性大腸炎です。

私が20歳でなった難病、潰瘍性大腸炎は、いわば「出すぎる」病気だった。

今まさにの下痢をしている当時の頭木氏にとって、出なくなる苦しみがあることは未知のものであり、またその苦しみを想像することはできませんでした。
ところが、手術後15年後に突然腸閉塞を経験することになります。
開腹手術を受けた人がその後、癒着性腸閉塞を発症することがあると聞いてはいたものの、15年後になるとは思いもよらぬことでした。
この症状は、持病として氏の生活に貼り付いてしまい、それからというもの頭木さんは、腸が発するサインを常に意識し、気をつけて暮らすことになります。
悪いことに、腸閉塞の痛みは大変強いものらしい。
「3大激痛」と呼ばれる痛みは、心筋梗塞、尿路結石、群発頭痛なのだそうですが、腸閉塞を4つ目に選ぶ人もいるようです。

さらには、有効な予防策はないらしいのです。
もちろん、食生活はある程度の制限をかけて暮らすことになりますが、詰まるときは水を飲んだだけで詰まるというのです。

頭木さんにとって比較的有効だった対策は、身体が予兆を感じたらいっさい何も食べず、飲まず…一滴も!ひたすら歩くというものでした。
同病の方から得た情報でした。
頭木さんは、外を歩いたり、部屋で踏み台昇降運動をすることで何とか腸閉塞を回避しようと努めます。
夜中であれ、病が近づく予兆を感じたら踏み台昇降。
1時間やってもダメなら少し休みまた行う。
痛みから逃れたい一心の行いなのでした。

 そのような予防策で外を歩いていた時のエピソードがとてもとてもしみました。
行き交う人々は、たいていそれぞれの行き先を持っています。
一方頭木氏に行き先はありません。
ただ腸を通すためだけに歩いているのですから・・・。
痛みから逃れようと歩き続ける頭木氏の逼迫感は誰一人にも伝わりません。
そして頭木氏自身も、行き交う人々の中に潜んでいるかもしれない、苦しみやせつなさに気づくことはできないのです。
 

 ため息も白く見える冬のある日、歩行中の頭木氏は道路工事をしているところに出くわしました。
そしてその現場が発するすごい騒音に胸を打たれるのです。

たくましい人たちがもくもくと、削り、叩き、掘っている。
 しかも価値ある行為だ。私の行き先のない歩行とはまるで違う。
カフカが日記に書いていた、こんな言葉を思い出した。

夕べの散歩のとき、
往来のどんなちょっとした騒音も、
自分に向けられたどんな視線も、
ショーケースの中のどんな写真も、
すべてぼくより重要なものに思われた。
『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』  拙訳 草思社文庫

この言葉が、いっそう身にしみた。

 
ありふれた風景が見る人心の中に持ち込まれ、何らかの作用をもたらす様が描写されており私の心にもしみたのでした。
 痛みは人を孤独にします。
痛みという檻の中に閉じ込められて、人との交流もままならず、社会的活動からも遠ざけられてしまいます。

それでも頭木氏は、その苦しみや悲哀について文章にし価値ある著作物として世に出しました。

身体的な様々な痛みや苦痛、さらには心の痛みについての興味深いエピソードがたくさん盛り込まれた1冊でした。

『痛いところから見えるもの』

 読み終えた本について書き残そうと思いつつも、しばらく手を付けられずにいました。 
貴重な三連休の中日、ようやく腰を上げ下書きに取り掛かりました。

著者は頭木弘樹という方です。


ご自身の体験談に始まり、知人の、病室仲間の、古今東西の書物の中の「痛い」を集めた内容です。

「はじめに」の中で、頭木氏は次ように書いています。
「世の中には二種類の人間がいる。痛い人と、痛くない人だ」
この二種類の人の間に架け橋をかけることは可能か?
痛みの体験の中で見る景色を、「痛くない人」にも見てもらいたい…そんな思いで書かれた作品です。



 
 この記事では、本書の中で印象に残った箇所を紹介していきます。
ずっと健康体だった頭木氏が難病に見舞われたのは、大学3年生のとき。「潰瘍性大腸炎」を発症したのです。
いきなり激痛に襲われるようなものではないものの、下痢と血便が腹痛とセットで続くという厄介な症状です。

もう血だけというような血便が、1日に20回以上続き、熱も高くなっていった。貧血と高熱で意識が朦朧とし、お腹の痛みに苦しんで、壁をかきむしるようになっていた。

壮絶です。
この段階で病院にかつぎこまれました。


その後、結局手術を受けることになるのですが、そこで麻酔のミスという痛み体験のおまけが付きました。
看護師さんに痛みを訴えても
「大丈夫ですよ。」
とかわされる。
たまらない痛みに耐えかねて、先生を呼んでくれなかったら窓から飛び降りると訴えたところで…とはいえ立ち上がり移動することも不可能な状態だったのですがね…ようやくドクターが呼ばれ、麻酔の追加処置をしてもらえたのでした。

看護師には、どうしても伝わらなかったこの痛み。
そう、痛みは人には見えないし感じないのです。
人の痛みに寄り添うことって実は難しい。
「お辛いですねぇ」くらいの慰めならできる。でも実感として分かち合うことは不可能なのです。

 これには、後日談があります。
ようやく激痛から解放され6人部屋の病室に戻った頭木氏でしたが、同様の手術を受けた患者たちは、ほほ無痛の手術だったので彼の体験した痛みを理解できませんでした。
…となると共感も得られず、仕方ないこととして受け止めていた頭木氏でした。

 そんなときに、以前同じ部屋にいた中年男性がお見舞いにやってきました。
かつての病室仲間を尋ねてきたのですが、その人は既に退院しておりました。仕方なく、唯一残っていた顔見知りである頭木氏のそばへやって来てベッド横のパイプ椅子に座ったのでした。

 その男は頭木さんと馬が合うタイプではなかったし、同じ病室にいた時も言葉を交わすことはなく、ほとんど交流のないまま別れていました。
しかし顔を出して、そのまま引き返すのもためらわれたのでしょうか、その男性は気まずいような顔をしながらも傍らへやって来たのです。

ありきたりの会話が交わされます。
「その後どう?」
「手術しました」
そして、術後の痛みについてもついでに言い添えたところ、その男性は、ポロポロと涙を流し始めたのでした。

彼は、アルコール依存症で、その影響もあり麻酔がうまく効かなかった患者でした。
当時その話を聞いた際、酒浸りの生活を自慢気に話すその人をやや軽蔑してとらえていましたし、麻酔が効かぬのも自業自得と彼の痛みの体験に同情できなかった頭木氏でした。

その男が、頭木氏の痛みの体験談を聞き、涙を流し始めたのです。
そして驚くことに、頭木氏の目からもぽろぽろと涙がこぼれだしました。
それまで、泣きたいとも思っていなかったのに。
ただ一人の、痛みを分かち合える人が目の前に現れたことで、蓋をはめられ表出できなかった頭木氏の感情が溢れ出したのです。

2人でおいおいと泣いた。

 そのおじさんが痛みを理解してくれたからといって、何の意味もない。重要な相手でもない。先にも書いたように、まるで気が合わなかったし、普通に世間で出会っていたら、知り合いにさえならなかっただろう。
 それでも、私は今もときどき、そのおじさんのことを思い出す。孤独を感じたときに。

もう会うことはないだろう。ても、お互いの心の中にいる。

 痛みはとても個人的な体験で、孤独感と分かちがたく結びついています。
身体の痛みは、「孤独感」という心の痛みや苦しみに直結していくのですね。

 さあて皆さま!
皆さまは今まで、どのような痛みを体験なさいましたか?

 私なら、お産の痛みがあります。最初の出産後同じ病室の2人目3人目の出産の方たちをみて私は思ったものです。
こんなに痛く苦しいということを知った上で次の出産に向き合えるなんて信じられない
と…。


そう思った私でしたが、その後、2人の子どもを産んだのです。


 乳腺炎の痛みも強烈でした。
出口が塞がれた乳腺の中で、乳がどんどん蓄えられて行き場がない。
おっぱいの全てがカチカチに固まり、少しの刺激でも飛び上がるほどに痛い。
1秒1秒を耐えるのが苦しいほどの痛みでした。たった1本の乳腺の詰まりなのですがね。

あとは、たまあにやらかす便秘状態からの下痢。
これも出ようとするものがありながら、出口が塞がれている痛みです。
脂汗かきながら悶絶する痛み。

私の痛みの体験レベルが、全ての痛みの中のどこいらへんの位置づけかは分かりません。
下っ端レベルなのかもしれません。
でも、でも、痛いのは辛いよね。

三連休最終日、記事の公開にこぎ着けました。

このテーマ続きます。
よろしくね!

音楽をおつまみにしながら…

 Hの編曲作品がアップされたので、まずは貼り付けいたしましょう。
AIによるものではありますが、ところどころで映像が切り替わりますので、今回もkyoko提供の写真は添えません。
(前記事にてストックを放出してしまったという事情もありまして…)

ポチッとしていただいたあとはご自由にご視聴下さいませ。

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 『ダイアモンドクレバス』は、2008年に制作されたアニメ「マクロスF」で使われた楽曲です。
 皆さま、SFアニメの金字塔とも呼ばれる「マクロスシリーズ」をご存知でしたか?
私は全く知りませんでした。
このシリーズは、1982年制作の『超時空要塞マクロス』を皮切りに、約40年間にわたり、全18タイトルが世に送り出されているというのですから驚きです。

作品に添えられた楽曲もそれぞれ魅力的で、『ダイアモンドクレバス』は、中でも人気の高い一曲のようです。
ピアノ&弦楽&フルートでの編曲になっています。


 さあて、写真を貼らないとなればどうするか?

テーマを決めて何かを綴っていこうと考えたのですがそのテーマなるものをどうしよう。
そうね…


「色」にしましょう。
色について、思ったこと感じたこと知ったことを少しずつ書き進めていきましょうかね。
身近な話題から始めて、だんだんと不思議でおもしろい色の世界へと足を踏み入れてみたいのですが、さあどうなりますか?



…とあれば、ここに1枚だけ写真を貼ります。
2/20の朝日です。
加工を施しましたので、実際に目に映った映像ではないのですが、透明な光がこのように花びらのように色づき形づくられることの不思議を思わずにはいられません。

出勤途中で、樹木からの朝日を目にすると私は、目を細めて四方八方に広がる光線を楽しみます。
その光線は虹色に彩られ、それはそれは美しいのです。


2月も後半になり、3月の節句が近づくとお店には桃色の装飾が施され、北国においても春がすぐそこまで来ていることを感じることができるのです。


極々身近な色の体験として、私たちは寒色、暖色を感じ取ることができます。
実際に色そのものに温度はありません。
しかし、その色を体験する私たちはそこに温度を感じ取ります。

そのような色の作用によって、私たちは季節感を味わうこともできます。

 先日職場の友達から、お菓子をいただきました。
袋の中にはうぐいす餅が…。
ああ美味しいねぇ和菓子。
美味しいくいただきながら、「春」まで味わえたのはこのお餅ご優しい黄緑色をしているからだよね。

桜餅の桃色もそう。
お雛様飾りの菱餅もそう。
春だなあって思わせる色なのです。

色は私たちの心にも作用します。

鎮静、高揚、不安、安らぎ、刺激…。
色と心、色と人、色と身体・・・
Hの動画紹介に合わせて書いていくことにします。

春が少しずつ

 図書館に返却の延長を申し出て借り続けている本、『痛いところから見えるもの』を興味深く読み終えました。
ブログで紹介したいと思いながら、何だろね、文章を紡ぎ出す気力が足りません。
そのまま没になりそうな…。

 ただこの間、数枚の写真を撮りためました。
今回はそれらを紹介するラフな記事にいたします。

100均で手に入れたマクロレンズで、雪の結晶を撮りたくチャンスを待っていましたが、結晶状の雪に恵まれなかったり、気温が高くレンズを向けている間に溶けてしまったりでなかなか収められませんでした。
それでもようやく撮れたのがこちら!
少々加工を施して背景を緑がかった色にしてみました。




2月14日、16:47分の日没風景です。
どんどん日が伸びて、5時台の日没になるのはいつかしら?






家の前に車を停めて目をやれば…
おや?
可愛いお馬さん。
高めの気温が続いた日、枝からポトリと落ちた氷が面白い形になりました。





日の出の時刻も早くなりました。
部屋に差し込む朝日が眩しくうれしくパチリ!
加工を施してお届けです。





 今朝のこと、台所の窓から見えた大きな雲。
上着も着ないで外へ出て写真に収めました。




 同日出勤時、途中で降ろす缶とプラスチックの資源ゴミを手に持った私の目が、面白いものを発見しました。

路肩の雪の壁がオレンジ色に光っています。

向かいのお宅、2階の窓ガラスが朝日を反射してそれが雪に映し出されていたのです。

私の出勤時間帯と、昇ってきた太陽の高さが上手くマッチしたための現象です。

写真を撮って、資源ゴミを置いて再び歩き始めた私。
足元はピカピカツルツルの氷で、迂闊に足を運べばすってんころりん間違い無し。
小股で、足を斜めに繰り出さぬよう細心の注意をしながら歩きました。
このような氷が出現するのは、溶けて水になった氷が再凍結するからです。

 そう、紹介した写真たちも、朝のツルツル道路も、春が少しずつ近づいていることを教えてくれていますよ。

こおりゴロゴロ

 おうち大好きな私ですが、昨日の建国記念日、私は車を走らせました。

流氷が接岸していないかな?
写真に収められるかな?と思いまして。
流氷情報に当たりましたら、薄くはあるものの接岸しているようです。
 
外に出て冷たい空気吸って、選挙後の気分の入れ替えもいたしましょう。

レッツゴー!🚐
行き先はこちら。

 
サロマ湖オホーツク海に挟まれる砂州の先の方まで。
車で15分程走れば到着します。


幹だけ残した木が並ぶ。
君たちいったいどうしたね?

右に湖を眺めながら走ります。
海岸に降りることのできる先端部に到着。
車を降りて海を見渡せる壁に上がる。


ありゃあ!
なあんにも無い。


流氷は去っており沖にも姿は見えませんでした。

それでもせっかくここまで来たからね。
浜へと降りてゆきました。



だあれもいない。
広い浜にひとりぼっち。

波打ち際には、流氷の置き土産の大きな氷がゴロゴロ転がっていました。







ほのかに青く光る新鮮な流氷を見ることはてきませんでしたが、ゴロゴロ大きな氷の塊の転がる浜も良かったよ。

妄想が半分以上かもしれないけれど

 こんなこと…妄想が半分以上かもしれないけれど…。
と前置きを据えておきましょう。
また、長い記事になることも…。
苦痛な方は、ご遠慮なく離れて下さいませ。

 この度の選挙結果…事前に情勢は伝えられていましたが、それにしても圧倒的でしたね。
これが今の日本人の民意なのだと受け止めるしかありません。
ストンと気持が落ち着きました。
結果は動きませんからね。
これに関しては、もう、ああだこうだと考えることもしないでおこう。
そんな気持ちになりました。

 それなのにね……考えているのですよ。
どんな妄想よ!と思われるかもしれないようなことを。

 きっかけは、数日前に目にした北海道新聞(以下道新)の記事です。
切り取ろうか?どうしようか?
と思いつつ、古新聞としてまとめてしまいました。それを再び広げて散らかしながら探すことはしたくない。
そこで、デジタル記事を当たってみました。

ありましたよ。
こちらです。
雨宮処凛氏の新著『25年、フリーランスで食べてます』の紹介記事です。

記事全文ではないので貼り付け許されるかな?


雨宮 処凛(あまみや かりん、1975年1月27日 - )は、作家、反貧困ネットワーク世話人、『週刊金曜日』編集委員、厚生労働省ナショナル・ミニマム研究会委員、「こわれ者の祭典」名誉会長。

(ウィキペディアより)

彼女は、右翼の思想に惹かれた理由として、当時の右翼団体が彼女の生きづらい原因を見事外側に示してくれたからだと語っています。
約2年間の活動の後、そこを離れた雨宮氏は「反貧困」の活動へと向かうようになり、現在に至ります。


 この記事を読んだ私はすぐに、ある男性のことを思い出しました。
「メンズ・リブ・フォーラム 札幌」を立ち上げた人物。
名前も忘れておりましたが、この人のことを過去に発信していた紙媒体の通信に書き残しております。
引き出しからそれを探し出しました。2007年の6月号。
松野元という方の転身についてを綴ったものですが、その出どころはさらに2年前、2005年5月の道新記事です。
彼の「改憲」から「護憲」へという180度の転身の経緯が取り上げられておりました。
以下それの要約となります。

 松野氏は若い頃利潤を求めるだけではない働き方をしたいという理想を抱き、首都圏の生協などで約8年間働きましたが、理想と現実との大きな開きに失望し、札幌へUターンしてきました。

自分の生き方、社会のあり方に関心を持ち続ける彼は、漫画家の小林よしのり氏ら、現行の歴史教科書を「自虐的」と批判する人たちの本を読み、次第に傾倒していきます。
日本の歴史の光の部分にこだわり、目を向けるようになったのです。「新しい教科書をつくる会」にも参加。そこでの仲間と一緒に保守系市民団体を作りました。
2004年の参議院選挙の際には、自主憲法制定を訴える候補を支援すべく、活動を開始。
しかし警備会社に勤める彼は、活動に関わる時間が思うように取れませんでした。
そんな彼に対し、仲間から中傷が入ります。
「弱音を吐くな」「過労死しろ」というような内容のメールが執拗に送られてきました。
それを受け取る松野氏は、その排他性、攻撃性に耐えられず代表を降りることに。
 このことをきっかけに、彼はこれまでと違う立場の人と深く話してみたいと考えるようになっていきます。
北大助教授による「男性学」の講義を受け、自分が「男らしさ」に過度にこだわっていたことに気づくのです。
「自分は年収も少なく、競争社会の中では『負け組』だ。それでも自分を強く見せたいと思っていた。かつての私はそれができずストレスがたまり、代わりに自分が属する国家に強くなってほしいと考えていただけてはなかったか?」
松野氏はそう語ります。
自分が弱者の側の人間であることを自覚した彼は、社会保障や福祉という分野に目を向けていくようになります。
さらには、「護憲」の立場になって活動を行うようになりました。

 

 要約としながらも長い文章になりました。
その後の松野氏のことが気になり、検索してみましたがヒットしませんでした。
これは、2005年当時の松野氏の状況であることをご了承下さいませ。
また、雨宮氏と松野氏、たった2名の例が全てに当てはまると主張したいわけではありませんので、それも予めお伝えしておきますね。
 
 その上で私は思ったのです。
お二人が、いっとき保守系の思想に惹かれたとき、すでにその内面においては逆の作用が働いていたのではないか?
所属する組織や国の、強さや揺るぎなさを頼り所属することで、内在する弱さや心許なさから逃れようとしたものの、それによって生きやすさは得られなかった。
置き去りにされた内面からの訴えは、次第に大きくなり、収まりきれなくなり顕在化した。
そのように読み取れるのです。

 この度の選挙結果にも同じような構造が隠れていないだろうか?そのように考えました。
ここは、誤解の生じないように慎重に伝えるべきところですね。
この度、高市氏に期待し一票を投じた個々人の内面をこのように断じたいわけではないのですよ。
また、期待の向け先がこの度野党であったにしても同様の現象が内在することも含めて書いております。
人それぞれの一票は、どこに投じられたとしても全て貴重である前提は揺るぎません。
それこそが、選挙の価値ですから。

 
 先の選挙期間中、何故今多くの人が生活苦を実感している中、また円安による物価高を目の当たりにしていながら、それでもなお高市氏への期待が高まるのか?という疑問の声を、他者によるブログやその他ネット情報の中で目にしました。
新政党「中道」は、生活者の側に立つことを強く主張してきましたが、多くの人はこの政党に希望を見出せなかったのです。
国民の多く、特に若者たちが、元気、活力、物事を動かすパワーを高市氏の全身から受け取ったのだと思います。
そしてこの結果が生まれました。
ただね、顕在化したこの明確な現れの下で、潜在的な別のエネルギーも誕生したと考えられないでしょうか?

 ここからは、ますます妄想がかって受け取られかねませんが続けます。

これまでに何回か話題にした、瀬知洋司氏のこと。
高次元の存在である「小さいおじさん」と長く暮らす人によって発信された顕在意識と潜在意識のこと、エネルギーの働きについて。
瀬知氏の著書『となりの小さいおじさん』によれば、

エネルギーはバランスを取る。1なら1、2なら2、右なら左へ、上なら下へ。同じ力でバランスを取る。一方通行じゃない。往復する。つまりゼロを目指す。

ということらしいのです。
人間の顕在意識と潜在意識との関係も同様とのこと。
kyokoippoppo.hatenablog.com
 

 この度の選挙結果は、自民党に歴史的な勝利をもたらせ、今後の高市政権の安定が顕在化しました。
しかし、小さなおじさんの言葉をそのまま受け取れば、これは潜在的なところで常に逆に働くエネルギーを内在化させたことを意味します。
 個人的な規模でいえば、雨宮氏や松野氏の中で生じたと思われるこのベクトルが、今後の日本の歩みの中で働くであろうことを私は思うのです。

 今後のこの国の動きや変化を静かに見つめていきたいと考えております。
自分の生活においては、過度なエネルギーの振れ幅に振り回されぬよう暮らしていこうと思います。
なかなか難しいことなのですがね。


最後に本日視聴した動画をここに。
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