日々の営みとスピリチュアル

ホッケ!ホッケ!ホッケ!

 週の始まり月曜日にドドーンと届いたホッケホッケホッケ!

仕事から戻ってそれを見たとき、やはりまずは
「ええー?!」
と溜息混じりの声がでました。
ひと息つく間も無く、これらを捌かねばならぬのか?

家にいる夫が、多少なりとも手をかけておいてくれたら良いのに…。
とも思いました。

しかしどうあれこれを放置するわけにはいかんのです。

ならば、
気持ち良く
取り掛かろうではないか!

私はそのように気もちを切り替えました。

ブログの記事にもできるではないか!
と。

写真をパチリ!
さあ!始めよう!


手始めの写真よ!!
魚は、まだまだまだまだあるのです。
途中から夫も参戦してくれましたよ。


終わったああ!!!


火曜日の朝には何とか魚干しの網の中へ収めました。

記事にするの?しないの??

 が、直ぐに記事にする意欲が湧かず一晩放置!
魚を捌いて干したというだけの記事なら、似たような内容のものを過去に投稿していますしね。やあめた!!

kyokoippoppo.hatenablog.com



翌水曜日の朝…
 あらあら・・私の気持ちは投稿する方へ傾き始めましたの。
スピリチュアルに関する記事をここにちょいと添えた上で投稿しようと思い始めたのです。

前日までは、これとは真反対なことを感じていました。

生臭い魚の画像の続きに、スピリチュアルは相応しくない!
と思ったわけね!!
そうなると、魚を捌いて干しただけの内容となる。
それでも十分なのでしょうが、伴う私の意欲が追いつきませんでした。



スピリチュアルな世界が醸し出す雰囲気!
美しい天使
整った部屋
爽やかな自然
大いなる安心

私はそれらを眩しく眺めます。
スピリチュアルの世界のイメージをこのように受け取る私です。


でも、待て!
このように受け取るばかりでは、この世界は永遠に自分の実生活と切り離された憧れであり続けるのではないか?
肉体を持って産まれ、自我というものに縛られ、金銭と不安を結びつけがちな私の現実とスピリチュアルの世界は、隔たってはおりますが、だからといってその世界と自分の現実の間に、自ら境界線を引くことはないのではないか?
魚を捌きその内臓を掻き出す私と、スピリチュアルを、別世界のものとして近づけない姿勢は不用なのではないか!
と感じたのです。
それが、水曜日朝のこと。

朝から雨降り。
魚は玄関フードに引っ越して扇風機の風をあててもう少し干すことにしました。
一日働いて、家に戻ったものの、朝の気持ちは萎れておりました。
記事を仕上げる気力もなく、むしろざわついた胸騒ぎを感じたまま床につきました。

木曜日の朝となりました。
気温15度にも届かぬ天気です。

何とか干しあがった魚をお裾分けと自宅用に仕分けしました。

私は信じるのか?

そうそう、スピリチュアルについて…。

 結局ね。
自分がこういう生活をしながらも、「神なる源」を信じるのかどうなのか?
スピリチュアルというのはこのことに尽きるのだなと思ったのです。
あまりに、当たり前の、大前提といえる気づきなのですが、
今やっとそう気づいた私です。

目の前でとびっきりの奇跡が展開しなくても、引き寄せとやらで願望通りの富が転がりこまなくても、自分が、「大いなる源」と繫がる存在であることを受け取ることができるのか?

スピリチュアルを知るとは、それに尽きるのだろうな!
そう気づいた次第。

更に、実は私は既にその恩寵を受けており、様々な奇跡を体験済みなのだろう。
そのようにも気づいたのですよ。

まだまだ、揺れて、不安につかまることもありそうですが、今の私をとりあえずここに記録しておきましょう。
6月最終日の夕方
これを投稿いたします。

6月最後の週末

久しぶりの夕焼け

 6月24日金曜日。
ニュースでは、各地の真夏日猛暑日の様子を伝えておりましたが、嘘ではありません。
当地は寒かった。
職場教室の暖房を入れました。
外は雨・・風は生ぬるく夏の気配を辛うじて伝えてくれるのですが、お日様がずっと顔を出さずじめじめした日が続いており、老朽化した校舎の中は寒いのでした。
・・・・ぶるぶる。
北海道は梅雨が無い、と言われておりますが、この時期「オホーツク海高気圧」の影響が強いと寒々ジメジメとした天候が続いてしまいます。
高気圧でジメジメ??
と思いますが、そういうことらしい。

翌日は一転夏の陽気!と夕方の天気予報は伝えれるもののほんとかな??
ふと西の窓に目をやれば・・おおおオレンジ色の光が満ちている。
急いで外に出てみると・・・見事な夕焼けでした。

予報通り晴れるかな??

廃村鴻之舞

 夜7時半よりNHKで『廃村の記憶〜鈴井・多田が金山跡で感じたものとは〜
という放映があることを知り、見てみました。
www.nhk.jp


鴻之舞鉱山跡地は若い頃夫とドライブしたことがあります。
村そっくりゴーストタウンになっている風景に心底驚きました。


この金山について以下Wikipediaから一部抜粋します。

紋別市鴻之舞にある。鴻之舞は、紋別市中心市街地であるオホーツク海側から約25キロ程度、遠軽町の旧丸瀬布町方面に南下した地点である。
この地を含めて、オホーツク海側、特に北オホーツク枝幸のパンケナイ、ウソタンナイなどの川では、明治30年代頃に砂金が発見され、砂金掘りたちが集まり、「ゴールドラッシュ」となった。

鴻之舞鉱山は、金・銀・銅などを産出したが、中でも金の埋蔵量は佐渡金山・菱刈金山に次ぐ日本で第三位の産金の実績であり、1940年(昭和15年)には年間金2.5トン、銀46トンを産出。1955年(昭和30年)には金年間2.98トンの最高産出量を記録した。

鉱山の発展に合わせて、鉱山労働者とその家族の居住する街区が、藻鼈川・道道に沿って形成され、最盛期(1942年頃)には人口14,640人を数えるまでになった。
第二次世界大戦後、1948年に操業を再開したが金価格が下落し、資源も涸渇したことから、1973年に住友金属鉱山鴻之舞鉱山の閉山を決めた。

木製の構造物は既に朽ち果て、集落もないが、大煙突、発電所跡、学校の側壁跡などのコンクリートやレンガ製の構造物が藪や林の中に散見される。鉱山があったことを示す碑、鉱山犠牲者の慰霊碑が建立されている。


画像もWikipediaより。

廃村上雄柏

 番組では並行するように上雄柏という廃村も紹介されました。
かつての住民堀江春夫さんが案内役。
堀江さんは、ある日尋ねた故郷の、あまりに荒れ果てた風景に愕然とし、涙を流しました。
荒れるにまかされ、母校も手も付けられずに朽ちており胸を痛めたのでした。
それを機に、堀江春夫さんの活動が始まります。
居住地(当時は滝上在住)から故郷へ通っては、瓦礫を片付け始めたのです。
たった一人で。何年もかけて。

さらには、かつての校庭に花壇を作り、今でも現在の居住地旭川から定期的に通って手入れを続けておられます。
誰の目にもふれることない花壇の手入れを続ける思いは堀江氏の故郷を思う切なる心そのものです。


以下、廃村に関わる記事を多数書いおられる「HEYANEKO」さんのホームページ廃村ひとすじ! HEYANEKOのホームページからの抜粋です。



www.din.or.jp

北海道滝上町上雄柏(かみゆうはく)での体験を紹介したい。
オホーツク沿岸の紋別市か45キロほど内陸に入った上雄柏は農業と製材を生業としていたが、昭和40年代に人口が急減、2007(平成19)年に最後の住民が転居し、無住となった。「どのような廃村なのか」と思いながら昨年5月に訪ねると、学校跡は整然としており、跡地を示す碑のそばには花壇があった。
 花壇は上雄柏小中学校卒業生の堀江春男さん(1957年生まれ 旭川市在住)が独力で整備したと知り、今年3月上旬ご本人を訪ねた。堀江さんは上雄柏の農家に4人きょうだいの次男として生まれ、高校卒業後は航空自衛隊に入隊。2012年に退官して両親が住む滝上町の市街でビル管理の仕事に就いた。
 37年ぶりに上雄柏へ帰ったとき、あまりに荒れ果てた母校の姿に言葉を失い涙が流れ、怒りさえ込み上げてきたという。だが、がれきの隙間に咲くスイセンの花を見て「希望の明かりがともった」と感じ、故郷で生き続けた花を中心に学校跡を整備しようと思い立つ。  取り組みを始めて3年目の秋、成果を車いすの父に見せることもできた。これを区切りに、2015年の春、堀江さんは旭川市に転居することになった。
 計画づくりから完成後の手入れ、さらには手入れができなくなっても学校跡が後世に残るよう敷石を配置するなどその周到さには敬服した。廃村のさまざまな姿を見てきたが、元住人のこれほど強い思いに触れたことはなかった。

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我が母校

 我が母校・・「上菅田小学校」も2020年に閉校してしまいました。
私が通っていたころは児童で溢れ校舎が足りず、校庭がプレハブで埋め尽くされておりましおたのに・・。
kyokoippoppo.hatenablog.com

そして現在のわが職場、息子娘たちの小学校も今年度いっぱいで閉校となります。
その後は「義務教育学校」として再生します。
きれいな新校舎がグランド横に建設中!!

来年度はピカピカの校舎へお引越しです。
喜ばしいことではありますが、児童数の減少という現実、小さなものが次々と統合されてゆく時代の流れを感じます。


これをアップする本日は25日、日曜日。
朝からピッカリ晴れました。
清々しい天気です。

図書館はしご

GOGO図書館!

 わが町には、立派な図書館が2つあります。
もともとあった2町が合併したものの、ありがたいことに図書館はそのまま残されました。


と、ここまで書いたところで唐突ですが、You Tubeの貼り付けをさせていただきます。
Hが、編曲作品をまたまたアップしたのです。
最近サイクル速いな!
今回使用されているのはボカロ曲。
短めに仕上がっています。
ポチッとして聴いていただけたら幸いでございます。
www.youtube.com




さて、続き。
昨日、日曜日、近い方の図書館で数冊返却し数冊借りたその足で…って車ですけど、同じ道沿いの中湧別地区の図書館にも寄りました。

暑い!と感じるほどの陽気で、気分も高まります。

ずっと雨模様でスッキリしない天気が続きましたからね。
初夏を思わせる天気が嬉しい嬉しい!
 

 一日の終わりに寝床で本を開くのが私の楽しみです。
常に何冊か抱えておきたいのです。
 たまにしか訪ねない図書館を覗くのは、私にとっての小さな小さな非日常!
小さなワクワク!を感じることができます。

書棚から引っ張り出した本たちを紹介しましょう。
 
先日読み終えた『病院カフェ』がおもしろかったので、同じ著者中島たい子氏による
『漢方小説』

これまた、楽しいはず!!と期待大の原田ひ香氏のこの2冊!

哲学、スピリチュアルコーナーのあたりもふらふら巡りこちらを。
  

『神様とのおしゃべり』
借りようかどうしようか?
ちょいと迷いペラペラとページをめくりましたらね、
今までに何度も出会ってきた馴染みのフレーズが目に入りました。

現実とは、その人が信じた通りに、見えているだけの幻である

この世はあなたの望み通り。起こったことは全て、あなたが望んだから起こっておる

ほんとうに・・・・スピリチュアルの界隈の方は、どなたもこのような言葉を残しておられます。

うーむ。
私にはまだまだ納得いかぬ、実感できぬこれらのフレーズ!
それが私を追いかけるようについてくる。

本との出会いも必然だ!
この本は、私のために目の前に現れたに違いない!

そんなことを心でつぶやきながら借りてきました。
とてもユーモラスに書かれており、読みやすそうでしたのでね!

午後いっぱい

 さて本を開きましょう。
村雨辰剛と申します』『漢方小説』から読み始めました。
午後いっぱい、ソファに座りっぱなしで・・・・・それでもいいの!
貴重な休日!好きなようにすごしたいの!

そのうち、空が曇ってきてゴロゴロと鳴りだしました。

日差しが弱くなり、薄暗くなってきて、
ポツリポツリと降り出した雨。
そのうち滝のような雨となりました。
風が庭の木の枝を揺すり、風とともにざっざっと雨が窓を叩きます。

そして、それが止むといきなり晴れ間が戻りました。

ごろごろピカピカ

 夜は
『神様とのおしゃべり』を開きました。

スピリチュアル世界への興味は、まだ枯れてはおりません。

夜にも雷雨がありました。
ピカピカと空が明滅し、眠る私の瞼を開かせました。
まだ2時よ。
その後
なかなか寝付けず、不思議な夢を見ました。

さあ!
一週間の始まりです。
雨があがり、ピカピカの日差しに輝く朝。
こちらのピカピカは歓迎よ!!!

6月も下旬となりました。
明日は夏至です。

その後のおふたり

 我が娘Aが、子連れで故郷湧別に戻ってきたのは約3年前のこと。
その3年間に、二人は様々な話題を提供してくれました。

娘が作った料理やお菓子、孫と楽しんだ工作、雪のかまくら、ルンルンおでかけ!!
そこで食べた美味しいもの!!
ブログの記事に登場することたびたび・・・。

その娘と孫はこの春札幌へと転居しました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

私の生活もとたんに変化しましたが、当の二人の変化には及びません。
庭付きの広い町営住宅から、マンション9階のコンパクトなお部屋で暮らすことになった二人。

娘は様々な生活シュミレーションを描き、もう何十回と金銭収支のシュミレーションをメモし、臨んだ生活です。
相応の覚悟もあったことでしょう。

・・・が、孫のKちゃんにしたら
「さっぽろのおうちにすむ」
「さっぽろのがっこうにいく」
ということを、ぼんやりと描く程度で、この生活の変化を受け入れたに過ぎません。

入学という初めての体験を、新しい土地でどのように迎えるのか???
娘と私の関心事はそれに尽きました。
入学式後の登校初日はこんな出来事もありまして・・・
kyokoippoppo.hatenablog.com


いくらか覚悟はしていたものの、次の日から”泣きの登校”が始まったKちゃんでした。

その様子を電話で知らせてくる娘に、
「仕方がないね。ここは踏ん張りどころだ。そのうち慣れてくるよ。」
と答える私。
そんな慰めしかできませんでした。


学校側の新入生への眼差しが手厚い期間は、泣いているKを見つけて駆け寄って下さる先生もいたことでしょう。
・・・・が
そんなモードは初めの数日間ではないでしょうか?

私の勤務校だってそんなもの。
そもそも泣いて登校する児童はいませんでした。
登校を続けられるだろうか??と心配された私の担当する男の子も、なんとか学校に馴染んでくれました。


(画像は娘Aのインスタグラムより。以下同様)

が・・・わが孫Kは次の日も次の日も次の日も
学校の入り口で泣くというのです。

「ママ!事故に合わないで!!」
「ママ!ぜったい死なないで!!」
そんなことを口走りながら泣くそうなのです。

頃合いを見計らって始めたママの仕事。
その職場が、地下鉄に乗って通うパン屋であることが不安だったのでしょうか??
ママの通う場所がとてつもなく離れていて、自分の知らない場所に行ってしまうとう怖さがあったのでしょうか?
自分の足場さえ不安定でもろいところへもってきて、ママも遠いところに行ってしまう!!

湧別にいたときのママの職場は、車でちょいと走った先のM家の台所。
Kも知っていて、時には共に行くこともあった場所。
自分のテリトリーと地続きと感じられる場所でしたからね。

ママの職場の変化も、Kに影響を与えていたと思われます。


が・・・それにしても・・・・です。

長いな・・・・。


 玄関先でのKの泣きは、朝の定番の風景となったようです。
ある時は上級生が、あるときは同級生が声をかけてくれて玄関へ。
そのうちK担当の特別の先生まで出現して・・。

担任はどうしても教室にいなければなりませんので、他の先生が登校を出迎えてくれるようになったそうです。
この期間、担任は電話で励ましてくれたそうですし、教頭先生は我が子の「泣き」にめげず登校させる娘を労って下さったそうです。
娘にしたら、我が子が登校を渋ったからって休ませるわけには参りません。
働かなくてはなりませんからね。

でも、今は金銭を追う時期では無いと感じた娘は、Kの心の負担をいくらかでも軽くすべく、働く時間を短縮し、放課後の時間を共にできるよう調整を図りました。(放課後の学童保育の日数を減らしたのです。)

そして6月・・・・ようやく
泣かずに登校できるようになったそうですよ。
入学から2カ月後の様子です。

赤線で消した部分は目下の心配事が書かれてあります。
決定したことではないので、目隠ししてあります。



そしてこれ!!
おもしろいね!!

kyoko・・・日常に戻ってきた!

 タイトル仰々しいですね!!
私の日常生活は、別に滞ってはおりませんでしたからね。
戻ってきた!という表現は大げさなのです。
ただ、スピリチュアルに関するネット空間を漂っては、それに関する記事を書いたり、手に取った本の物語にひたる日々。
私の眼差しはふわふわと浮遊しがちで、ブログの内容も日常から離れたものになっておりました。

 そもそも、娘と孫が遠くに離れてからというもの、「何した」「何食べた」「どこ行った」の記事は激減しております。
もちろん私は、何かをして、何かを食べて、極近場での買い物には参ります。
が・・書き残す程の出来事には思えず、そこへもってきてのスピリチュアルやら、フィクションの物語やらへの傾倒でしょ・・・・
本の感想6話を続けて書き、スピリチュアルに関する記事に一区切りをつけた私は、今静かに、ほっとした気分で「日常に戻ってきた自分」を感じております。

日にちはさかのぼりますが、撮ってある写真とともに、我が日常を綴りましょう。

恒例!!ホタテ稚貝の処理作業

 5月15日から、始まったホタテ稚貝の放流作業は、後半の悪天候で、伸び伸びになり月末にようやく終わりました。
最終日、お給金と共にいただくのが、大量の稚貝です。
今年もやってきました。
このボウル直径は30センチ以上あります。

いくらかご近所や知り合いに分けた残りの状態がこれなのです。
さらに・・・・今まで大いに頼りにした娘の手はありません。
大鍋で茹で上げ茹で上げ、夫の手も借りながら貝から外し、ウロを取る。
10行程くらい繰り返したでしょうか?
途中の写真を撮る余裕はありませをでした。
むき身はいくらかを娘の所へ送ります。
残りは干しました。
素干しの他に、夫が燻製も作りました。
ダンボール燻製箱でね。
放課後の職場のおやつとして持っていき、残りは夫の
お酒のおつまみになりますよ。

牛乳豆腐

友人MちゃんからTELがきました。
牛乳豆腐いるかい?」
「いるいる!」
と答えた私。

牛乳豆腐・・・ご存知ですか?
検索するとレシピも出ています。
牛乳を加熱し酢を加えるとお豆腐のように固まる、と書かれているものがほとんど。
しかし、酪農の盛んな地域では、母牛の初乳(市場には出回りません)を使い、酢に頼らず凝固させて作る「本来の牛乳豆腐」を食べることができます。

酢を使ったものはカッテージチーズに近いものになりますが、本来の牛乳豆腐はそれとは別物。
味も格別だということです。

今日の贅沢 | ゆいだより以下こちらの記事からの抜粋です。

牛の初乳を低い温度で湯煎するとプリンプリンに固まります。これが牛乳豆腐です。
牛乳に酢を入れても出来ますが、初乳で作った本物とは格段の差があります。
私たちで作った山葡萄のジャムをトッピングしてデザートに。
ああ、今日も至福の食卓でした。

Mちゃんが知り合いからもらい、私のところへやってきたのは、
その”格別!!”な牛乳豆腐でした。
Mちゃんは、焼いて食べると言っておりましたが、私はそのまま醤油を垂らしていただきました。
つるりんとして見えますが、きしきしという感じの独特の食感です。

こちら初乳についての漫画見つけました!!
参考までに・・。
agri.mynavi.jp

最後に花盛りの我がお庭!!

チラリのぞいて足を踏み入れる・・・⑦

 飛び飛びながらこれまで綴ってきた、このタイトルでの記事ですが、今回でおしまいです。
おしまいというより、一区切りですね!
一区切りとなる今の思いを、何とか正確に、正直に書き残すことができるかしら?

そんな記事にお付き合い下さる皆様!
いつもの厚かましいお願いでごめんなさい。
数日前にアップされた長男Hの編曲作品を貼らせて下さい。
www.youtube.com

前回から日にちを置かずにアップされ、私、びっくりいたしました。
前回あげた『それを愛と呼ぶなら』を、この度はピアノ連弾に仕立ててあります。
ピアノ連弾の作品を、公開するのは初めてのこと。
彼は彼なりに、生きていくために、進んでいくために試行錯誤しながら活動しております。

応援のためにポチッとして聴いていただけたらありがたい!!
(ん??ちょっとこれ!!聴くという行為をなさるのはお相手ですが・・その行為を受け取るのはこちら側。いただくという謙譲語で良いのか???よんばばさん!!教えてたもれ。)

hikikomoriobaba.hatenadiary.com
どうかポチッとして聴いて下さいませ!!
これなら間違いなさそうだ!!

本3冊!!

 スピリチュアルネタと言いながらも、まず見ていただきたいのがこちら。

図書館で仕入れては、読んだ本たちです。

事故物件、いかがですか?東京ロンダリング
 お金が無い、行くところが無い、住むところが無い!
ここまで切羽詰まった状況を体験なさる人は、そう多くはないでしょうねえ。
しかし、この物語にはそんな人たちが登場します。
そして、訳あり物件に住むことになります。
家賃を取られないばかりか、日当が支払われますのよ!!
何故なら、これはルームロンダリングというお仕事だからです。
ロンダリング…実際にありそうなお仕事ですが、原田ひ香氏が考えたフィクションです。


『ぼくたちの家族』
 母親に重篤な病が見つかったことをきっかけに、家族に介入せざるを得なくなった息子二人。
母親が、数枚に渡るカードで借金をしていたことが発覚。働けど事業が軌道に乗らず、こちらも母親の数倍の、つまり桁が1つ多い借金を抱える父親。
滞納、督促が日常的になっている生活実態が顕わになりました。
この二人は決して無軌道に遊び暮らした訳ではないのです。
目の前の生活を一日一日越えてゆく過程で、こんなことになってしまいました。
作品を読む私も、ゾワゾワと不安に襲われ、「心に良くないわ!」と、読むのを中断しそうになりました。
しかし、物語は少しずつ光の方に導かれてゆきます。


『院内カフェ』
 病む人と、それを見守る人々、ドクターや看護師たちが集まる病院。
そこに併設されたカフェが舞台となっています。
人は病むことで、繰り返していた日常のリズムが断ち切れらます。
非力な自分、不安な自分と向き合うことになります。

スピリチュアル・・・どうなった??

kyokoippoppo.hatenablog.com

 まだ雪の残る頃、まだ娘と孫がそばにいたこの頃から「スピリチュアル」的なものを頻繁に探索するようになりました。
(それまでにも、関する本を読んだりして興味は持っておりました。)

スピリチュアルに関連するサイトを、見つけては渡り歩いていた私です。
が・・・・これらの本を読む間は、それが滞りがちになりました。
作品の世界に気持ちが寄っていった結果です。

物語の中の人物は、不安や怖れに見舞われ、
どうしたら?!
どうして?!
と叫びたいような
出来事と対峙します。
また、得体のしれない焦燥感や不安感に見舞われたりします。

著者は、そこから脱する道を描いてゆくわけですが、
それらはどれもスピリチュアル的な解決法ではありません。
そりゃそうだ!
スピリチュアルを、描く作品ではないからね!

で、私は、その、なんていうのでしょう?
人間が人間のままで、つまり自我的な人間のままで、悪戦苦闘し、右往左往しながら道を進んでゆくこれらの物語に大いに励まされたのです。

物語を読みながら、
おお!その迷いは悪い波動だそ!それが現実になるぞ!
などとは思いませんでした。
この人物は、ここでハイアーセルフと繋がって救済された!と感じた場面もありませんでした。

私は、実物大の私のままで、これらを読み、楽しみ、励まされたのです。

自分の読書体験と、スピリチュアルを関連させることそのものがナンセンスなのかもしれません。

でも、私は、スピリチュアルとは無縁の本を読むことで、スピリチュアルについて改めて考えたのです。

7つもの記事を重ねながら私がたどり着いたことは以下の通り。

●私は、スピリチュアル的な世界を直感的に知り、確信する地点は至っていない。それで良し!!

●しかしながら、人間はその核に生まれる前から死後に至るまでひと続きの魂を持っており、それぞれ目的を持って地上に降りてきていることに関しては、「そうなのだろう」と思う。

●今の人生で家族となった人たちは、もともと強い縁で結ばれている仲間である・・これに関しても受け入れて、大切な絆であることを忘れずに暮らしたい。

●これらを心にとめながら、なるべく前向きに、できるだけ朗らかに生きていきたい。
それでも湧き上がるネガティブな気持ちがあれば、それも否定せず、認めた上で手放していきたい。

●それぞれの導きに従いスピリチュアルの世界を知る人がおられることは事実。
その方たちの放つ言葉は、示唆に富んでいる。その言葉を受け止め、よりどころにしつつも、性急に現在の立ち位置から遊離することのないよう注意が必要。

●私には私に見合った進化の仕方があると思う。

人との出会い本との出会い

 この記事で話題にした作品も、また前回まで話題にしていた『八月の銀の雪』も、人が人と会うことによって物語が紡がれております。


私には、スピリチュアル的な体験など無い!
と思いがちですが、
私と人との出会い、本との出会いがもう、導きそのもののように思います。
また、私がとにかくとにかく不安で、そのさなかに始めたこのブログというもの。それも、大切な出会いであり、ブログを通して出会った皆さんの存在も、私に作用し、私を楽しませ、勇気づけてくれる大切な存在です。



結局スピリチュアルの世界に足を踏み入れたものの、私の足は踏み出せず、大きく動きはしませんでした。
でもね、そこに留まりながらも周りを見渡せば、
おお!まだまだ、この場所で見つかるもの、感じるものがありそうです。

 日曜日の朝。
朝日が顔を出しました。
台所出窓に置いてあるガラス瓶が光を反射して美しい。

太陽はその後、天気予報通りに雲間に隠れ、姿を消しました。
でも、朝の太陽の光が私に届いたそのわずかの時間、それは心躍るひとときでしたよ。

凧と風船・・・十万年の西風

『八月の銀の雪』

これに収められている一編一編について記事を残しております。
今回が最終章となります。
『十万年の西風』です。

六角凧

澄んだ海の色は、浅瀬ではまだらに緑がかり、沖へいくにつれ青を濃くしていく。秋晴れの空は遠くなるほど白味を帯びているので、濃紺で引いたような水平線がくっきりと見えた。

読者の視線も、海と空の混じり合う水平線へと誘導されるような描写です。

その先にあるのは白い浮遊物。
やや縦長の六角形の凧でした。
大型で、昔ながらの形の凧。
さほどの興味も持ち合わせず、それでも辰朗は車を止めた駐車場から砂浜へと降り立ちました。

辰朗の目的地はすぐそこながら、そこへすんなり足を踏み込めない気持ちでもあったのです。
そこは北茨城市の北端、長浜海岸。
凧をあげていた男性に近づき言葉を交わし・・・そう、二人は出会いました。

「形は六角形が良いのですか?」
辰朗

先人の試行錯誤が生み出した形というのは馬鹿にできないものでね。六角凧は弱い風でもよく揚がるし、今どきの凝った凧と比べても安定性は極めて高い。
海外でも『Rokkaku』と呼ばれてよく使われているんですよ。」

そう答える男性。
幼い頃に凧を仕込またという、新潟三条生まれの人でした。
お父さんに仕込まれたのか?
と尋ねた辰郎に、
父は僕が幼い頃に戦死したと答えました。

辰郎には、幼い頃父親とゲイラ凧を揚げた思い出があり、それがふと心に浮かびます。

 凧を揚げる男性は滝口と名乗りました。
さらには、自分が気象学の元研究者だったことも明かしました。
定年退官したあとも、
凧揚げは趣味、観測は習慣!
という気持ちで凧を揚げ、高層の気象データを集めているのです。

良いタイミングで居合わせた辰郎は、その観測を手伝います。
高層の気象観測には気球を使うことが一般的ですが、気球を揚げるとなると大掛かりな仕掛けと見合った地理的な条件が必要です。
その点凧なら、アクセスの難しい場所でも手で持っていかれます。
南極や山岳、海上では凧での観察が適しているというのです。

そんな話を聞かせてくれる滝口でした。
そして辰郎に、
どこから来てどこへ行くのか?
と尋ねます。

その問いは、辰郎の人生の問いと重なるものでした。

原発の町で・・

 辰郎はずっと原発で働いてきました。
凧揚げを共にした父も、そこで働く人でした。
父親はその建設に関わってきたのです。
その仕事に誇りを持ち、とりわけニ号機の建屋については
「父ちゃんが建てたようなものだ」
と自負していました。

その二号機の配管継ぎ目に、わずかな歪みが見つかったのは、震度4の地震のあった翌日。
東北大震災後の新規制基準の審査も大詰めというタイミングでもありました。
辰朗の報告を受けた部長は、この報告書の点検実施日を一日前の日付にするように伝えます。

つまり、この歪みは継ぎ手そのものの部品の不良か劣化とすることで、地震とは無関係であるように、工作を命じたのです。
地震の影響となると、それは設計そのものの問題とされるからです。

電力会社からの指示やほのめかし。下請けとしての忖度。それらが長年かけて絡み合い、定着したのであろう隠ぺい行為だった。

自分が働き、家族を養う職場。自分の家族ばかりでない、このこの町で暮らす多くの人たちの生活の糧を提供している職場。
そこで行われようとしている不正。
内部告発という考えが浮かんでは、打ち消す辰郎でした。

結局彼は、自分の一存で会社を辞めました。
そして、見ておくべきだったのにそれをしてこなかった場所…福島へと車を走らせたのでした。

使用済核燃料の放射能の影響は、この先十万年続く。
福島の原発炉の下に残る、溶けた核燃料も同様だ。
その長き間の安全性を、誰がどのように保証できるというのでしょうか?
十万年先がどんな世界か?
封じ込めた放射能の心配をせずに、もっと平和なこと…空や風へ好奇心を寄せたいものだということを辰郎は口にします。
すると、滝口
「風も平和に使われるとは限らない」
と言いました。

風船爆弾

 滝口は、第二次世界大戦時に日本で作られ、使用された「風船爆弾」のことを話し出しました。

紙とこんにゃく糊で作られたという風船爆弾は、戦争末期に軍が考案した苦し紛れの作戦のように捉えられがちですが、滝口の説明によれば、
調達が容易ということに加え、重さ、耐圧性、水素透過性のすべての点において、優れていたということでした。
神風という名の偏西風に乗った爆弾の一部(約10パーセントである一千発)は、アメリカまで到達しました。
オレゴン州でピクニックをしていた民間人・・・5人の子どもと妊婦だった女性が犠牲者となりました。
またこの武器は日本人の犠牲者も生みました。
放球時の暴発事故により、4人の兵士が即死したのです。
4人の弔いをする余裕はなく、遺体は斜面の山で焼かれたのでした。
(実際の犠牲者は3人です。作品ではこれに滝口の父親を加え、4人としています。)
その痛ましい犠牲者の一人が滝口の父親であった、という箇所はフィクションです。
しかし、風船爆弾の実際や、アメリカでの民間人の犠牲者、事故による日本人犠牲者については事実です。



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(画像はこちらからお借りしました。)
辰朗と滝口が出会った海岸のほど近くに、風船爆弾犠牲者の鎮魂碑がありました。
茨城県北茨城市大津・・放球基地の一つがそこにあったのです。

そのすぐ先は福島県
辰朗のその先については語られておりません。


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 自分の思いにかられて、5つの物語を紹介しました。
物語と事実が入り混じる作品たちはどれも興味深く、”知らなかったことを知る”良い機会となりました。
記事にお付き合いして下さった方々・・・ありがとうございました。