おいしい給食!!!!

 ちょいとラフな記事を挟みたくなりました。
昨日の笑えた出来事を書くことが目的ですが、周辺ネタも織り交ぜて・・・。

母の好み??

 いつの事だったか?
娘が私に尋ねたことがあります。
「お母って今まで流行りの歌手に憧れたとか、ファンになったということはなかったの??」

「そうだねえ・・・」




ないね・・。

無いのです。
その時々に好きな歌があったり歌い手さんがいたりしましたが・・憧れたり、追いかけたり、熱狂するということは、少女時代や若いころを通してありませんでした。
「好きな男優さんとかっていないの???」
「うーん好みっていうのはあるよ。」
誰???!!!!

「何つったっけなあ・・・??」

「好きだっていって名前も知らんのかい??」
「何か笑顔がいいなあ!という印象が残っているけど何っていったっけ??」

こんな具合。
この時の会話はここで途切れましたが、いつかその男優の名を思い出したら娘に伝えようと、気持ちの中に残しておきました。

そして先日捕まえました!!
新聞で紹介されていたドラマ『美味しい給食』sason2の記事において・・。

同ドラマは、1980年代のある中学校を舞台に、給食マニアの教師・甘利田幸男(市原)と、給食マニアの生徒・神野ゴウ(佐藤大志)による、どちらが給食を「おいしく食べるか」という闘いを描く、笑って泣ける学園グルメコメディ。2019年10月期に放送されたseason1、20年3月に公開された『劇場版 おいしい給食 Final Battle』の2年後を描く。


www.youtube.com
www.youtube.com
そうそうこの方。
市原隼人さん。
以前、テレビで見た映画『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』。(2008年公開)
で知った俳優さんです。(おぼろげな記憶によると)
まだ若々しかった彼の笑顔は、とても魅力的で印象に残りました。

f:id:kyokoippoppo:20211021185914j:plain:w300:left娘よ!!思い出したよ!!!
市原隼人だよ!!

我が職場の美味しい給食・火曜日は麺の日

 それはさておき・・・
職場での出来事を語ることにいたしましょう。

支援員として働く私は、6年生の教室に入ることが基本ですが、必要とされれば、2年生の教室で仕事をすることもあり、給食の時間は毎日2年生と一緒にいただきます。

給食助っ人として、特別支援担当のI先生も配置されております。
まさしく”美味しい給食”をいただいたあと、子どもたちの片付けを一緒に見守りながら二人で並ぶのですが、普段はさほど会話が弾みません。
無難に天気の話をする程度。
最近は「寒いわあ」ばかり。
共通する趣味などありませんしね。

しかし、今週火曜日。(火曜日は麺の日。その日はちくわ天ぷら付きのうどんでしたよ!)
いつものように片付けの児童を待ちながらI氏と並んで待っておりましたら
I氏ぽろりと、
「深夜観ている『美味しい給食』が面白いんだよ!」
とつぶやきました。
おおお???『おいしい給食』ですと????

先日、このドラマsason2の新聞記事を目にし、お気に入りの俳優市原隼人の名前を改めてインプットしたばかりだった私、
さらにはユーチューブにて予告や公開映像も楽しんだばかりだった私は、珍しく素早い反応をすることができました。

市原隼人のアクションが楽しいですよね。!!」

「でもさあ・・第二弾でるらしいけど、同じパターンでしょ。
それって飽きないのかな?」
・・・と私。
「飽きませんよ。このパターンがいいんですよ。もう笑いまくりですよ。」
I氏。
『美味しい給食』ネタでの、楽しいやり取りとなったのでした。

水曜日はカレーやら丼もの

 
 さて次の日水曜日。
この日のメニューは季節のカレー。
きのこと茄子の入ったカレーでした。
そしてゆでキャベツとボイルホタテのサラダ。

しかし、茄子、きのこ、ホタテは子どもたちにとって魅力的なものではないのです。
皿に盛られたものは必ず食べきるきまりになっている代わりに、事前に量を減らすことができます。
量を減らす児童も多かったし、いつもなら空っぽになるご飯もルーも残っていましました。


「ああ、美味しいのにな!もったいないなあ。」
と鍋を覗き込むI氏。

そこへ、食べ終わった食器を片付けに一人の児童がやってきました。
そして、
「I先生とK先生(私)と、どっちが年上なの?」
と聞いてきたのです。
「ええ!!?」
とやけに大きな驚きの声をあげたI先生。


「どっちだと思う?」と私。
なんとなく答えづらかったのでしょうね。
子どもは首をひねり、「もういいです」と言いたげに笑いながら、答えることなく教室へ戻っていきました。

I氏のぼやきが始まりました。
「いやあ!ショックだなあ。そんな風に見えるのか?まだ50だぞ。」

そんな風ってどんな風だ???


「子どもなんてみんなひとからげですよ。大人の年なんて区別できませんよ。」
と私。
「それにしてもだよ。」
と彼。



そこで私。
「っと!待って下さい?一目瞭然だろ!とそう言いたいんですか?」



「いやや、そ、そんなわけでもないけれど…。」
もごもご・・・・

「いやあ!そんな時はさ!
Kさん若見えですね!って言って下されば万事収まるんじゃないですか?」


「ま、まあ、Kさんが若いってことか?」
もごもごもご

言いづらそうにI先生は口にしました。
私はおかしくておかしくて大笑い。

まあね。
私は職場において最長老。
子どもの質問はショックだったのでしょう。

これを、アップする本日は木曜日。
パンの日でした。
今日は黒糖パン、マカロニサラダ、カボチャコロッケ、ポトフのメニューでしたよ。

木曜日のパン給食を食べると、私はいよいよ週末が間近に迫ったと感じることができます。

明日は中華メニューの日です。
我が町の給食はセンターから運ばれてきます。
とても美味しいです。
学校での美味しい給食と楽しいひとときの話題でした。

ゆっくりとね!!!

ティールはどこに?? 

 引き続き、今までの一連の記事の先を綴る気持ちではおります。
ただ、
ティールに向けて」という意識はしばらく引っ込めておくことにします。

このタイトルですと、どうも「これ」に縛られ過ぎてしまう。

日常を綴ったり、我が子たちのことを綴ったり、心にとまったことを綴ったりする中で、「ティール時代」というものを感じ取ろうとしてみる。
そんな風にしてみるのはどうかな?
アンテナは立てておいて、何か感度があったらそれを書き残すのです。

ティールに向けて
という一直線の矢印を改めて、

ティールどこにあるかしら?
というくらいの柔らかさで。


 夏に知った「ティール時代」という言葉。

kyokoippoppo.hatenablog.com


それを追いかける記事を綴ることを「」と称した私です。

でも、前回の記事で私は、

それに向けて歩いたとはいえず、切り株に座って本を広げていただけだったのでは??

と書きました。
そして、ちょいと止まると…。

はてさて・・・・となると、
座っていたあと立ち止まったわけで、どこが旅だったものだか?
って思い苦笑してしまいます。


でも、
せっかく知った「ティール時代」という新しい扉も、
ここまで本やらネットやらで調べた周辺の知識も、私にとって大切なものであることに変わりはありません。
記事に寄せられた皆さまからのコメントも貴重なものばかりでした。

周りを見渡せば・・・

 
  夏、私が「ティール」という言葉を知り、関連の記事をアップした頃に、これに呼応して本書を読んで下さった方がおられます。
jidobungaku.hatenablog.com

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の話題」を提供してくださるmatushinoさんです。
彼女は、私に先んじてこの本を手に入れ、その感想を残しておられます。

表題になっている

子育て本は、もうこれ一冊でよいかも

という思いや、記事中の

もう新しい時代完全に始まっちゃってますよね。人の意識の変容が起こってる。

という感じ方に私はうなってしまいました。 
私自身は、このような確信を語る域に達してはおりません。

matushinoさんの中にストレートに流れこんでいるこの本の内容が、私にはそっくり流れてきておりません。

私の中に、流れを阻害する何かがあるのかもしれません。
これは良い悪いの問題でなく、事実としてそのように感じるのです。
私がティール時代というものを理解したければ、自分のその部分を知ること…それに尽きるのではないかな?

だからこそゆっくりと、
歩きすぎないように、
急がないように、
嘘が混じらないように、
学んでゆきたいものです。


matushinoさんの記事の中でチロリと打ち明けられている
うちは子どもが荒れたので・・・という部分。

現在のmatushinoさんを形作ったのは、まちがいなく苦しかったに違いないこの体験なのでしょう。
そして彼女の苦しみは、もちろん当時のお子さんの壮絶な苦しみそのものであるわけで・・
「子ども」という存在は、全力でこれを表明し、対峙する親の有り様を変えてゆくものなのでしょう。


matushinoさんの記事からの引用です。

もうね、人間関係含め、ぜーんぶ世界作ってるのは自分なんですよね。
今まで心に響いた本は、どれも形は多少違えど、同じことを言ってました。

もう、いい加減、認めよう。ぜんぶ、私なんだ、ってこと。

良いも悪いも、自分が世界を作ってるんだ、ってこと。

だから、未来は明るい。

未来は自分が作る・・そうなんだね!!



昨日は図書館へ寄り、しばらく離れていた物語を借りてきました。
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 「物語」からしばらく遠ざかっていましたからね・・・それを求める気持ちがむくむくわいてきちゃったのですよ。
うふふ・・・matushinoさんおすすめの作家さんマーガレット・マーヒーの本2冊(紹介されていたものがなかったので同じ作家さんの作品を・・)
学級の子どもたちにも手にとってもらえそうなので職場に持っていきましょう。

もう一冊はタイトルと挿絵に惹かれて引き抜きました。

ティールに向けてのぶらぶら旅・・・足をとめて

アキアジ

 もと夫くんとの別居生活をきっかけに故郷に戻って来た娘・・。
大規模な酪農業を営む同級生宅の賄い仕事を主な収入としながら働く日々です。
先日は社長の釣果であるところのアキアジ(鮭)を捌くお仕事が入りました。
これもお仕事の一部です。
夕方届く一尾を我が家で捌かせて欲しいとやってきました。
夕ご飯のおかず(味付けして揚げるばかりの鶏肉)提供するから・・・そんな気遣い付きでの訪問でした。

それを聞いた夫が出刃包丁を研ぎ始めて・・。
物を待つ!
やってきました!!

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娘が流しに立ちました。
鱗を丁寧に取って、腹を裂き・・・
おおおおメスです。
筋子がたっぷり。
「ここで暮らして良かったことは魚が捌けるようになったことだな!!!」
と娘・・・そして
でも、札幌で暮らすようになったらもう、こんな大きな魚捌くことなんてないね。」
と言いました。



そう・・来春の孫の入学のタイミングで札幌に転居することが決まった娘です。
娘の今後については、また改めて綴ることがあるでしょう。


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身は塩して切り身に・・、
筋子はばらして、醤油漬けにしました。

どうなる???!!!ぶらぶら旅

 
 タイトルにあるように、何だか足が止まってしまいました。

ティール時代に対する興味が無くなったわけではありません。
それに向かって進んでゆきたい思いも持っております。
前回の記事で私は次のように書いております。

いくらさまよっても、理屈で理解しようとする自分から抜け出せず、感覚的に「ティールへ向けての変容」というものをつかめない私です。

そう・・この気持ちがつのってしまった感じ。

自分の足で歩いているような気がしていましたが、
違うな!!!と。

私は切り株に座って本を読んでいたに過ぎなかったのではと感じたのです。


正しい知識を入れるべく本を丁寧に読み解くとこも、周辺の事実や歴史を知ることも決して無意味なわけではありません。

しかし・・・その作業を続けた今、
わかったことはわかったこととして、
では?
私は何を思うのか??何を感じるのか??

そこが大変に希薄であることに気づいたわけです。


ティール時代の子育ての秘密』は、経済界に訪れた「ティール」という変容が、いずれ世の中の変容、人それぞれの変容の流れを生む、という天外氏の確信のもと書かれた人間教育に関する一冊です。


・・であるならば、日々公立の小学校で仕事をする私自身がどうのような思いでどのように仕事をしているのか??
子どもたちにどのような眼差しを向けているのか?
そこでの教育システムや担任の言葉にどのような感情を持っているのか??

そういう生々しい現実もしっかり連動させて、進まなくてはならないと思います。

前回は『シュタイナー教育を語る』より「黒い羊」について話題にしました。
そして今回は天外氏が説く「天敵」との向き合い方について書くつもりでおりました。
「天敵」とは、自分にとって苦手であったり、苦痛と感じる対人関係の相手を指します。

天外氏はそのような「天敵」は自分が作り出している。
自分のシャドーの投影であると述べておられます。

ここの解説を、書物から抜き出したり貼り付けたりして記事を作るつもりでおりました。

が、それは今回やめにします。

ちょっと立ち止まりたくなりました。

 旅は続けますよ。
ただ・・自分は何をどう感じるのか??
それをもっと丁寧に探ってゆく必要を感じています。

それで何をどう綴ってゆくのか?
は全く分かりませんがとりあえず今回は、足を止めました。

ティールに向けてのぶらぶら旅  ⑨

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 渡り鳥が声をあげながら空を行き来する季節となりました。
毎年みる風景ながら、鳴き声を聞くや空を見上げ、しばし眺める季節です。

(写真は、わが庭の枯れた植物&通勤途中にある空き家の、放置された庭から失敬した枯れアジサイ

 さて・・・・気ままなぶらぶら旅だから・・・と心のなかで言い訳しながら、まさしく、だらだらと記事を書き連ねております。
いくらさまよっても、理屈で理解しようとする自分から抜け出せず、感覚的に「ティールへ向けての変容」というものをつかめない私です。

自己教育


 前回は、『シュタイナー教育を語る』 (著者:高橋 巌 角川書店
より、自己教育について述べられている箇所を取り上げて記事にしました。
もちろん「ティール」を説いた本ではありません。
しかし ところどころに共通する箇所を見つけることができます。
kyokoippoppo.hatenablog.com

高橋氏による
子どもを養育する立場の人間はなにより自己教育が大事である
というメッセージ・・・これは『ティール時代の子育ての秘密』に書かれている
子育ての最大のコツは自分自身が育つこと

と重なる内容です。

 高橋氏は、自己教育が成り立つ前提を数点挙げています。

過去の自分を全肯定していること。
現在の不本意な状況を人のせいだと思わないこと。

続けて意識に目を向けた場合、
狭い意識に囚われないようにすること・・・そのためには感情が高揚する体験を是非持つべきだし、その対象はその人の聖域とも言って良いほど大切なものである。

このように述べています。
かなり要約してしまいましたがこれが前回の記事の内容で、これらが、自己教育のための前提条件となります。

黒い羊

 続けて高橋氏は、「自己教育は、一人ではできない。」
と述べています。
自己教育とは、誰かとの関係性で成り立つものなのです。

誰か」というとき、それは自分にとって非常にやっかいな誰かさんだったりするのです。

ある集団に一人はいる異分子的な存在…グループの和を乱すような困った人。
この人さえいなければ、円満で気持ち良いのに…、と思わせるような人。
ドイツではこのような存在を「黒い羊」と言うそうです。
この「黒い羊」とどう向き合うかが、自己教育の始まりとなります。

ところが、この問題というのは、おかしなことにその本質が見えてくると、その黒い羊は自分の中にもいることがわかってきます。

たまたま最初に目立った者が、まずは「黒い羊」と認識されますが、人が人と深く付き合ってゆくとどこかで黒い羊と出会うことが往々にあり、そうなれば
自分は相手の中に黒い羊を見つけるし、
相手は自分に黒い羊を見るはずです。

となれば、全ての人の中に黒い羊は存在する
・・・・・・このように高橋氏は言うのです。

 自分にとって厄介な存在、不愉快な存在とどのように付き合ってゆくのか?
そういう相手に気持ちを通してゆくのは並み大抵のことではないのですが、それこそが自己教育であるようです。

このときの大事なポイントは何かというと、案外言葉は通らないということです。(中略)言葉というのは壁を作ってしまうのです。

自分の中から発せられる言葉は、そもそも自分のものなので、そうそうたやすく相手の側には届かないということなのでしょうね。


高橋氏は結局こうすれば良いとは書いておりません。
そして次のような言葉を残しております。

ゲーテファウストに「人は努力する限り迷うものだ」という名言を語らせていますが、一生懸命、自分の責任のもとに何がやろうとしたら、迷うのが当然なのです。迷う限りは努力しているのだし、努力している限りは迷うものなのです。

なるほど…。

  *  *  *

 これは、きちんと押さえておくことだと思いますが、これらのことは、自己教育において必要な姿勢であるということ。
社会生活を営む方法は全く別であるということです。


 どんな相手も理解可能で、理解しなければならないということではなく、
そういう相手に出会ったとき、それでもその相手に自分を通すことができるかな?と考えたり、
またその人を通して自分の中にある黒い羊を知ろうとする。
そうすることで自己教育ができると高橋氏は伝えたかったのではないでしょうか?

天敵

 さて、『ティール時代の子育ての秘密』では
黒い羊」に相当するものが、「天敵」という言葉で語られています。
次回はそれを追いかけて見ましょう。






ティールに向けてのぶらぶら旅  ⑧

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網走監獄博物館 (画像はtravel・jpより)


蝋人形は脱走する白鳥 由栄。
(元受刑者。収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし、今日では「昭和の脱獄王」の異名で知られる。)
 



 担当学年の児童たちが、7日の朝、修学旅行に出発しました。
本来春に予定されていた行事でしたが、コロナ感染の拡大により延期になり、その後も見通しの立たない状況が続いていました。
そんな中、いくらかでも実現可能な行き先を模索し(といっても模索する程の候補もなく)
都会旭川を避け、網走・知床へと行き先を変更していました。

 子どもたちは、友達と一緒の一泊旅行が実現さえすれば他は望まず、行き先に対するこだわりはなかったようです。
 
 昇り続けていた感染者数がみるみる下がり、緊急事態宣言も解除となり、晴れて出発の日を迎えました。

出発の朝は、いよいよ一桁の気温・・・・今季一番の冷え込みとなしました。
ピリリとした空気の中、それでも日差しはたっぷり!
子どもたちは、期待を胸に大型バスに乗り込んで出発しました。

私は引率しませんでしたので、いつもと違う2日間の勤務となりました。

自己教育

 私の旅も、ちょいと違うエリアに足を伸ばすことにいたしましょう。

手元にある『シュタイナー教育を語る』のページをめくることにしました。

著者は高橋巌という方

高橋 巖(たかはし いわお、1928年 - )は、日本の美学者。日本人智学協会代表。元慶應義塾大学文学部教授。
日本におけるルドルフ・シュタイナー研究の第一人者。
1970年代からシュタイナーの人智学(Anthroposophie)を紹介するために著作・翻訳・講演活動を始めるようになり1985年に日本人智学協会を創立する。

(Wikipediaより)

久しぶりに再読したところ、

ティール時代の子育ての秘密』との共通点なども見つかり
書き残したくなったのです。

ティール時代の子育ての秘密』は次のようなメッセージで書き出されています。

「子育ての最大のコツは何ですか?」と聞かれたら、私は迷わずにこう答えます。
「まず、自分自身が育つことですよ!」

親や先生は、子どもを教育しよう!変えよう!と視線を子どもに向けがちですが、それを改め自分の内面に向けてみる・・・それこそが子どもの教育に寄与するということです。


シュタイナー教育を語る』の最終章「母親の自己教育」では次のように綴られています。
この本からの引用は青色で表示しますね。

子どもを育てる側になった人が、自分自身にどのように関わったらいいかという、「母親の自己教育」という問題です。母親が自分自身に対して、きちっとした向き合い方をしない限り、子どもに対してもきちっとした向き合い方ができないわけですから、この問題はとても大切です。

養育者の自己教育が、子育ての大前提であるということです。
天外氏の言葉と見事に重なりますね。



「母親」という言葉に抵抗があるかもしれません・・と高橋氏は続けております。
もちろん「母親」は、一個の人間としての「自分」なのですが、それと「母親」であることの意味は矛盾しないと高橋氏は述べます。
逆にいえば、「母親」(養育者)であるということは、そのまま人間としての有り様が問われていくということでもある・・・・・そういうことかと思います。

全面的に過去を肯定する

 また高橋氏は、人生の上で味わった挫折や後悔など、さらには罪も含めて過去の全てを肯定しなければ自己教育は成り立たないとも述べています。

今まで自分がやってきたことは、全部必然的で、変えようがなかったのだ、というふうに、完全に考え方を切り替えるのです。

罪は罪なのですが、罪を引き受けるときに、その罪を未来の問題としてどう引き受けるかが問われるのです。


しっかり理解はできないものの、全肯定して進むという言葉は私を楽にしてくれました。


私はこれからのことに目を向けていけば良いのです!!

感情を高揚させる場所

感動の中に没入できると、その感情が広大な世界を垣間見させてくれるのです。

 これなど、「フロー体験」をさすような文章ですね!!

しかし、続く文章を読みますと、フロー級の没入体験に特化してとらえなくても十分なように感じます。

感情が豊になる体験がとても大切だということ。
周りからみてまるで価値のないようなことや、ものであっても、当人にとって感情が高揚するようなものならば、それは侵してはならないその人の聖域なのです。

ですからいくら趣味や道楽に夢中になっていても、それだけでは絶対に咎められません。
それはその人の死活問題なのですから。

楽しく感情が豊かになる体験がなければ私たちは自分を好きになることもできない。
自分が嫌だというような状態では、自己教育などできないのです。
そこに向けるエネルギーそのものが湧いてこないというのです。

高橋氏が語る「自己教育」というものは、額にシワよせて過去をああだこうだ考えるものではないということが分かっただけで、私は何だか爽快な気分になります。


楽しい感情ばかりでなくネガティブな感情も、出せばいい!!
と高橋氏は続けます。

いつでもとりすまして、自分がどう見られているかということばかり考えて一生を送ってしまったら、自己教育にはなりません。

シュタイナーが提唱した人智学は、大変難解で、また霊的な要素もふんだんに含みます。
しかし今回紹介した『シュタイナー教育を語る』は、思想のエッセンスを大変分かりやすく、親しみやすく伝えてくれます。

今追いかけている「ティール時代の子育て」とぴたり重なるものではないのかもしれませんが、足を向けたくなったのです。

私のシュタイナー教育への憧れは、結局憧れ止まり、未熟まま放置されておりますが、そんな自分も肯定し慈しんで旅をしていきたいですからね!!

次も本書より、「黒い羊」ということについてを話題にいたします。

  *  *  *

 さてさて心配した雨のもあたらず、6年生が元気に旅行から帰ってきました。

バス越しにヒグマにも遭遇したそうですよ!!
メールで送られてきた画像です。ご覧あれ!!!
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ティールへ向けてのぶらぶら旅  ⑦

夕焼け見事!!

 10月初日も見事な夕空でした。
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その日は娘や孫も一緒にしゃぶしゃぶデイ!
ふと見た北側の窓…青色の中に暖色に染まった雲が美しく並んでいました。
「夕焼けが始まっているわ。」
お食事途中でしたがレッツゴーお外!
玄関を開けたらお向かいのTさん(長男Hの同級生、小学校のP会員でもある)もタブレットを空へ向けけ掲げていました。

北の空を眺めながら西へ…。
おお!見事!

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内発的な動機

 さあ、ティールへ向けての旅を続けましょう。

前回は次男Yから寄せられたラインを紹介し、ティール組織を成りたたせるために必要な経営者の姿勢について書きました。

息子は、ティール組織が機能するためには、

働いている人や組織のトップに近い人達の能力が高いことが前提となっている・・・

と伝えてくれましたが、それは納得いく指摘です。

さらに、ここでいう「能力」というものが、私たちに馴染んだイメージである。

戦力になる人材
とは違うということ。

天外氏が目指すフロー経営では、そもそも「戦う」という概念が外されておりますから、求められる人材のあり方、方向性も自ずと違ってくるのでしょう。


ざっくり言ってしまえば、
自分の思うところ、やりたいことを存分に発揮できる人。

伸びやかで柔らかい人。
(人材という言葉も相応しいものに思えなくなりました。)

そして、
「存分に発揮する」ためには、発揮したい思いや中身・・・「内発的な動機」
が無ければなりません。

図書館から借りて今手元にある
『運命の法則』
の中で、フロー理論を提唱したチクセントミハイの次の言葉を見つけました。

外発的報酬というのは、他人による評価・統制を意味する。それを導入すると、楽しい遊びも不愉快な仕事になり得る

これに関して続く天外氏の記述です。

近代文明社会はありとあらゆることに「競争状態を強化すると活性化する」という原理を適用してきた。だから、能力給を導入すれば、企業は活性化するということを誰も疑っていなかった。
「外発的報酬」の弊害を、表立って世にとうたのは、おそらく「フロー理論」が最初だったのではなかろうか。


「外発的動機付け」が「内発的動機づけ」を抑圧するということが、ある実験からも見受けられたそうで、
成果主義が、仕事それ自体の面白さや楽しさをも奪う
ということが実際あるというのです。

これらの言葉を
フムフムと受け取りつつも、それを肌で分かりきれない私もおります。

そもそも仕事というものは苦痛を伴うものだ。
だからこそ、そこに身をおいた人に報酬が与えられるのだ。

自分に染み付いた旧来の仕事感は依然遺っております。
また、天外氏が指す仕事とは、クリエイティブでホワイトな仕事に限ることなのではなかろうか?

という感想も拭い去れません。


とりあえずはそんな自分のまま、その先へと歩みを進めましょう。
ようやく、「教育」の領域ヘと。

褒めてはいけない

 すると、これまた教育界の常識を覆すような場所へとたどり着くのです。

前述した外発的報酬の弊害を、そのまま教育にあてはめたもの。

ティール時代の子育ての秘密』で天外氏が紹介する「子育て金言集17」はモンテッソーリの教育論より次のような言葉を紹介しています。
子育て金言集17

子どもに指示・命令をする、間違いを訂正する、褒める、などは「フロー」を妨害します。一切の束縛をなくし、完全な自由を与えなければいけません。(モンテッソーリ

金言集17には「フロー」の言葉が入っておりますが、モンテッソーリ教育は、ミハイによって「フロー理論」が提唱される以前に確立しております。

彼女は、「フロー」という概念がまだ存在しなかったころから、すでに子どもたちの没頭する様子に注目して観察を続け、
没頭できる体験を「モンテッソーリ教育」の柱に据えました。

この没頭できる体験を、後にチクセント・ミハイ氏が自分の提唱する「フロー体験」と同じものとして指摘したのです。

マリア・モンテッソーリ(伊: Maria Montessori、1870年8月31日 - 1952年5月6日)は、イタリアの医学博士、幼児教育者、科学者、フェミニストモンテッソーリ教育法の開発者として知られる。

モンテッソーリ教育法においては、子どもたちは生まれながらにして知ることを強く求めているもので、思慮深く用意された支援的な学習環境の中であれば、自発的に学び始める力を持っていると捉える。モンテッソーリ教育法は子どもたちを身体面、社会面、情緒面、認知面で発達させることを目指す.

(共にWikipediaより)




子どもたちが生まれながらに持っている「知ることを強く求める」働きを、健やかに伸ばすためには
指示・命令をする、間違いを訂正する、褒めるという行為を、養育者は控えなければならないということ。

子どもを褒めて育てるのは大事。
褒めると子どもは良く育つ。

このような指摘に対して違和感を持つことのなかった私は、”褒める”行為を今の仕事でも頻発しがちです。
それがコントロールにつながることにに気づいていないといったら、嘘になります。
コントロールにつながることを知りながら、「褒めることは良いことだ」という常識によりかかり、常用しているのです。

私は、ここでも立ち止まることとなります。

子育てにおいて指示・命令をする、間違いを訂正する、褒めるという行為を封じることなど可能なのでしょうか?
容易にイメージすることができません。

私の場合

 私の子育ては甘い!甘やかしていると指摘されがちでした。

もちろん、子どもの自ら育ち学ぶ働きを干渉せずに見守ることと、甘やかすことは違います。
そもそも私は、モンテッソーリの教育論を意識して子育てしたわけでもありません。


「甘い」「甘やかしている」と指摘された私の有り様は、いったいどんなものだったのでしょう??

林竹二やシュタイナーの教育理念には強く憧れたものの、所詮憧れ止まり!!

私の子育ては右往左往の連続でした。

とっくに子育て期を過ぎた私ですが、今「モンテッソーリ教育」「フロー体験」「ティール時代」などの言葉を前に、立ち止まり考えております。

この旅は一生続くような気がしてきましたよ。

kyokoippoppo.hatenablog.com

ティールに向けてのぶらぶら旅  ⑥ 

生温かい風と奇妙な空いろ

 昨日9月最終日・・児童と共に4日間の学期間休業となる私!!
緩んだ気持ちで職場を後にしました。
生温かい風が吹いていました。
夕餉の時間(夫のアルバイトが終わって、最近早いの)・・・目を向けた窓の外が奇妙な色に染まっていました。
食べかけご飯もそのままに、外へ飛び出した私!!スマホ持ってね!!
一面の雲の裏側を、西へ傾きつつある太陽の光がくまなく照らし、ベール越しのような不思議な色となり地上に注いでおりました。
一ヶ所あいた隙間から光がも漏れだしています。

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東に目を転じれば、雲の切れ目の向こうには、やけに青々とした空が見えました。
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旅の続き・・で???何がどう分かった????

 「ティール時代」へ向けての時代の変容・・・・そもそも分かる人には分かる話で、私のように、本を読んでは解釈しようと色々こねくり回す人には所詮分からない世界なのかもしれません。
そんな気分になりながらも、・・そこに近づきたい、分かろうとしたい私です。
なので・・今日も・・・。
一連の記事に飽き飽きしている方もいらっしゃるかと思いながらも・・続けましょう。

● 天外氏は「戦う経営」の限界や、そこから派生する負のものを知るようになる。
● チクセント・ミハイ氏が提唱するフロー理論が、初期ソニーの経営の姿と重なると感じる。
● 天外塾において「フロー経営」を伝える活動を進める。
● フロー経営のありかたは「ティール組織」の目指すことろと重なる。
● 経営者のみならず、「人育て」という観点から次世代の教育論として世に出されたのが『ティール時代の子育ての秘密』である。

 前回はこのようなことを書きました。
経営のあり方としてのティール組織が、どう子育てとつながるのか?
そのあたりを何とか整理したくて周辺をうろうろしていたわけです。
本日もまだその辺りを歩いております。


ティール組織」のおさらいです。

ティール組織という概念は、2014年にフレデリック・ラルーの著書「Reinventing Organizations」で紹介されました。
旧来型組織とは一線を画する組織のあり方として提示されたもので、それにより組織や人材に革新的変化を起こすことが期待されています。
組織内の階層的な上下関係やルール、定期的なミーティング、売上目標や予算などといった、当たり前のように行われている組織構造や慣例を撤廃し、意思決定に関する権限や責任を管理職から個々の従業員に譲渡するなどのあり方です。

次男からのライン

 私がこの夏、ほわっとした印象のみで、「ティー」について綴ったとき、それを読んだ次男がラインをくれました。


まさか母さんのブログでティール組織が出てくると思わなくて、ついラインした」・・・とのこと。

次男は、様々な曲折を経て今は東京の会社で働いております。
仕事内容は???

ユーザーのモーメントをとらえ、ユーザーが「今」欲しているコンテンツを、欲しているその瞬間に最適なチャネルで繰り返し届けることができるカスタマーエンゲージメントプラットフォームです。


次男の職場のウェブページの一部ですが・・・・私には理解不能な言葉たちです。


そして次男のラインの一部。
次男に貼り付けの了解を伺ったところ、快諾を得たものの、

本来のティールの解釈とピタリ重ならないかもしれないからね!!」とのこと。
次男が受け止めたティール組織の有り様であるとしてお読み下さいませ。

私には分かりやすく納得できるものでした。


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天外氏の書籍の内容は、(本書に限らず他の書物も)スピリチュアルな印象を受けますが、
彼はソニーで活躍された技術者であり、成果主義を批判する立場に立つ経営者なのです。
ですから彼が語る「教育」は、より時代にフィットし、未来に向けて活躍できる「人材育成」である・・・と考えて良いと思います。

土井 利忠(どい としただ、1942年2月2日 - )は、兵庫県出身の技術者・経営者。「ホロトロピック・ネットワーク」代表。ペンネームは天外 伺朗(てんげ しろう)。

Wikipediaより

次男が綴った文章・・

自分の中で決めつけに似た、そう思っている、そう思いたい、自分はこうであるという強い主張や意見ってのは、裏を返すと他人の意見や価値観の違いを認めないと同義で、これが起きる原因が発達段階の未熟さって言われてたりするんだよね。

権限は持つものの発達段階が未熟な大人によって成長や可能性が阻害されてしまう・・・
こういうことが起きており、そこからコーチングの必要性が高まっていると文章は続きます。
ほうほうなるほど・・。


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おお!!
チクセント・ミハイ氏のフロー理論の入り口がカール・ユングの講演会だったこと
は,前回の記事で紹介しております。

kyokoippoppo.hatenablog.com


 どこそこ会社の社長であるとか、重役であるとか、どれだけのお金を稼ぐという事実がそのままその方の発達段階の成熟を示すものではないのですね。

今の時代にふさわしい人間の発達や人の姿を追求すると・・・・もう今までの価値観は通用しない。
そういうことのようです。

息子の文章をひっくり返してみましょう。

自分の中の決めつけに似た、そう思っている、そう思いたい、自分はこうであるという強い主張や意見を手放せること。

(happy-ok3さんからいただいたコメントを読み、確かに…!と思ったのでこの部分を訂正します。原文は残したままにしておきましょう。)

「強い主張や意見に、むやみに固執しないこと。」

このように訂正いたします。
何でも簡単に手放すわけにはゆきませんものね。手放せないものを持つことは大切なことでもありますものね。
ある程度の緩みを持つ大切さを表現したかったのです。
happyさん、ありがとうございます。


続けて、
他人の意見や価値観の違いを認められること。

となります。

これは『ティール時代の~』の巻末資料
4. むやみに「いい人」、「強い人」、「立派な社会人」のふりをしない。装わない。格 好つけない。 
5. 自分の弱さや欠点をさらすことに抵抗感がない。
6. むやみに人を批判しない。  
10. むやみに「いい・悪い」の判断をしない。 
14. むやみに「正・誤」を判別しない。 
16. むやみに「コントロールしよう」とはしない。


などと重なる姿ですね。


少しずつ腑に落ちてきました。
病弱っ子甘えっ子だった次男からこのようなラインを受け取る日が来るなんて、この頃は思いも寄らなかったわ!!
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