旅一区切り
林竹二について書こうと思い、どう書いていこうか?と迷った結果
「そうだ、急ぎ旅ではないのだから」
と呟いて、戦後の教育や子どもを巡る事象に、自分史も混ぜ込みながら綴ってきました。
とりあえず、林竹二を書くところまではたどり着きました。
林竹二氏が遺した言葉や実際の業績など、伝えられることはまだまだ残っておりますが、それをくまなくここで語ろうとすれば、一冊の本並みになってしまいます。
しかもその内容の多くが、自分が未消化なままのものであり、所詮人の言葉を借りて書き写すものになってしまうでしょう。
私の中で、「さあ、書こう」というベクトルを生み出しにくくなってきたことも正直なところ。
10月からは、『我が家のお片付けブログ』も書いており、林竹二とお片付けの記事がサンドイッチ状態になっております。
前回がお片付けでしたから、今回は林竹二です。
そして今回の記事をもって林竹二から、離れることにいたします。
常に新しい授業
私は先日190回目の授業をしました。授業は主に「人間について」で、「開国」が24、5回になるでしょうか。だから「人間」についてが圧倒的に多いわけです。でも、160回以上も同じものを繰り返したという意識は全然ないのです。というより、これは繰り返しようがないんです。相手が違うんですから。だから、子どもが授業の主人公である以上は190回やれば190回が、その都度新しい経験であるわけです。テーマが同一かどうかは関係ありません。相手になる子どもの前に立ったとき、授業はその都度新しくはじまるわけです。
(漢数字はアラビア数字にして記述しました。)『からだ=魂のドラマ』より(林竹二/竹内敏晴対談)
同書には次のような言葉も。
具体的に授業の形がきまるのは、やっぱり最初の質問に対する答えが一つのきっかけになりますね。だからさいしょの子どもがなるべくドマドマしてくれるとありがたいのです。
林氏自身がまごまごさせられれば、一番良いけれど、せめて最初の子どもにはまごまごしてもらいたいと語るのです。
「はい、あなた。」
と指して
「はい~~です。」
と答えられ、予定調和的な応答が続いても、それはなんの求心力も生み出さないでしょ、というわけです。
ですからむしろ、まごついて戸惑う場面にみんなを立ち会わせたいのです。
指名されたこの子はどうする?どう答える?
さて自分なら?とグラスの子どもたちの気持ちが向かい、求心力が生まれ、問いが共有されてゆくのです。
全く先入観無しに子どもに向かい問いかける。そしてその先はどのように展開するのか未知のもの。
190回行えば190通りの展開になるのです。
生きている授業
ここで話題がちょいと飛びます。
私はブログを書き進めるために、手持ちの林竹二関連の本をとっかえひっかえし読んでおりましたが、合間に別の本も読むのです。
‘’ブログのためではない本‘’が、一日の終わりには必要です。
過日手に取っていたのは『「普通がいい」という病』という本。
「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)
- 作者: 泉谷閑示
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/10/21
- メディア: 新書
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心配しても仕方ないと思いつつも長男のうつ病に対して、打開策はないものかと思ったり、自分はこのことをどう受け止めたら良いのか?と迷ったりして、時にネットの世界をさまよう私です。
そこで見つけたのが、泉谷閑示という方のメッセージ。「おっ?」と思えるような言葉に触れ、
本も出しておられると知り、この本を図書館にリクエストし読みました。
心、身体、頭の関係と、これらがどのように作用し合い、どのような状況を生むのかが分かりやすく解説されておりました。
丁寧に何度か読みかえしたいと思わせる内容でした。
この本の中に即興について述べられている箇所がありました。ここを読んだとき前述で紹介した林氏の言葉がすぐに思い浮かんだのです。
「林氏が目指したものと同じだな、林竹二の授業は生きていたんだ!」
と納得できました。
<生きているもの>にとっては、マニュアルではなくある種の即興性が大事です。(中略)
中には、「即興」とはいい加減なことなんじゃないかとか、手抜きなんじゃないかと考える人もあるかもしれませんが、「即興」とは最も生きているやり方なのです。十分に下準備した上で即興を大切にするということは、単なる手抜きの行き当たりばったりとはまったく別物です。(中略)
即興性とは、常に新しいひらめきがあり二度と同じものはないということですが、セラピーにおいても、それが生きているセッションになるのか死んだセッションになるのかを分ける大切な要素になります。
またおもしろいことに、泉谷氏もセッションの流れは最初の数分にあるといっておられます。
はじめの数分の中にその日のセッションの総目次が現れているのだという大切なことに、ある時やっと私も気づいたのです。
息子のうつ病の心配が、興味深いメッセージとの出会いをもたらし、さらにそれが直接関係の無さそうな「林竹二」の言葉ともつながったことを面白く感じました。
さらにうれしいことに、泉谷氏のメッセージは、このブログを始めたきっかけである「ネガティブ・ケイパビリティ」ともつながりました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
そんなわけで、このブログは林竹二からバトンを受け、泉谷閑示のメッセージや、ブログふりだしのネガティブ・ケイパビリティへと繋ぐことにいたしましょう。
林竹二とお片付けのサンドイッチは今回で出来上がりです。(せっかく描いた絵に謎のクロポチが・・・そのままで失礼)
次回からしばらくは気まま旅。
お片付けの方は、続けますよ。(とはいえ現在停滞気味ですが。)