開花

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 ようやく、「開花」のタイトルで記事を書くことができます。
薄紫色のアパガンサスの花が咲きました。(正しくはアガパンサスです。間違えて思い込んだ名前...後に判明。)

で、今回は”開花”に因んだ人智学の断片を書き残しておきましょう。
引用の多いものになるかと思います。
kyokoippoppo.hatenablog.com

4つの体

4つの‘’からだ‘’ではなく‘’たい‘’と読むのがふさわしいのでしょうか?
まずはこれを、ちょいと説明しておかなければならないでしょう。
ここは引用に頼らず書いてみましょう。
4つの体人智学の基本的な考え方です。
そして、色々ついていけない私にも、何とか理解可能なものなのです。

物質体・・・・私たちが持つ身体がこれにあたります。
鉱物、植物、動物も物質によって成り立っています。

エーテル体(生命体)・・・・‘’在る‘’だけではなく、命をもち育ってゆく体がエーテル体です。
人間、植物、動物がこれを持ちますが、鉱物はこれを持ちません。

アストラル体(感情体)・・・・星の体という意味で、なぜここに⭐星のというワードが入るのかは興味深いところですが手強そうなので、今回はスルーします。
感情体とも呼び、まさしく感情を司る体です。
続く文章は容易に想像できることでしょう。
そう、人間と動物が持つもので植物はこれをもちません。

自我・・・・・これは人だけがもつものです。
我々の核ともいえるもので、自己意識の担い手です。

繰り返しを生み出すエーテル

 今回はアガパンサスの開花の話題ですので、エーテルについて書かれている箇所を引用します。
アガパンサスは、次々と細長い葉を内側から出して、その後真ん中から長い茎を伸ばし蕾となりました。

そして今回傍らに置いた本は、ルドルフ・シュタイナー著、西川隆範訳の『こころの不思議』です。

 植物は鉱物とは異なって、エーテル体に浸透されています。植物においてエーテル体は、生命原則、繰り返しの原則です。もし植物がエーテル体の活動だけに支配されていたら、根から始まって葉がどこまでも繰り返されていたことでしょう。エーテル体によって、生物の各部分がどこまでも繰り返されます。エーテル体は、どこまでも同じものを生み出そうとするからです。ですから、生命の中には、同様のものを生じさせる繁殖力があります。それは本質的に、エーテル体の活動に拠ります。

フムフム

 人間と動物においても、繰り返されるのはエーテル的原則に起因します。脊柱において環状の骨が繰り返されているのは、エーテル体の活動に拠ります。

葉の生長の末に花が咲き、脊柱の上には頭がある

植物の生長が上方で完結し、花において生長全体が完結するのは、地球のアストラル物質が外から植物の中に入り込むからです。人間においては、脊柱の環状の骨が上方で頭蓋骨へと拡張しています。
それはアストラル体の活動に拠ります。「完結するものはすべてアストラル体に基づく。繰り返しはエーテル体に由来する」と、言うことができます。

(大文字はkyokoによる)
f:id:kyokoippoppo:20190227195659p:plain:w200:left 私たちは、植物の花を顔に見立ててお絵かきをすることがありますが、これって実は理にかなっていることなのすね。

 花を持たない蔓性の植物は完結することなく、どこまでもエーテル体の影響が及んでいると考えてよいのでしょうが、
はて朝顔は?鉄線は?・・・これはエーテル体とアストラル体が交互に及んでいるということなのかな?

また、植物の花は地球のアストラル物質が入り込むことによって咲くことができるという記述がありましたが、この”地球のアストラル物質”というものは何なのか?これも今は謎のままおいておきましょう。
『こころの不思議』というタイトルのこの本の中に、何故植物の生長についてが書かれているのか?
そこにも不思議を感じます。

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