母が残してくれたもの

今週のお題「母の日」

ペチュニア

 「京子はすごいよお!」
という感嘆の声を、母からもらったのはいつだったでしょうか?
「ベランダのよ、ペチュニアがよ、咲いたよ!えーーー。すごいオオオオ。」
何事にも大げさな母はそのように言いました。
13年も前・・・2006年のことです。
その年の7月、胃ガンの手術を受けた母の、退院後の生活を助けるために私は上京したのです。
 家の中は、どこもかしこも汚れていて、びっくりしました。三度の食事も、お風呂洗いも、床ふきもやっていなかったわけではないのですが、もう、念を入れてという働き方ができなかったのでしょう。

 ベランダには、箱型の白いプラスチックの鉢が置かれており、枯れたペチュニアが並んでいました。
土も減っており、根元にはビニールポットを型取った形の土が、姿を見せていました。
二つのうちの一つは完全に枯れきっておりました。
しかし、もう一方の鉢の方は、根元付近に緑の葉が芽吹いていたのです。そこで私は完全に枯れてしまった苗を引き抜いて捨て、ポットに残った土を再生可能な方の鉢に移してやりました。f:id:kyokoippoppo:20190513060705p:plain:w330:right

ハサミで枯れた上部分を取り去り、緑の葉だけにすると、これでもかというほど、水をかけてやりました。
その時の「ペチュニアが元気になりますように。」
という願いは、「母が元気になりますように。」
という願いと重なっていました。
枯れかけたペチュニアが、母の姿とだぶったのです。


しかし、花と母のその後を身近で見守ることはできませんでした。北海道に戻る日がやってきたのです。
胃のあたりを押さえながら、這うように移動している術後の母に、「鉢の世話をしろ」とは言いづらく、かといって置物のような暮らしぶりの父には、母の手伝いを頼むだけで精一杯でしたので、私は滞在最後の朝に水をやり、その後のペチュニアの運命はなるにまかせることにしました。

その後

 そしてしばらく後、私は母から先の言葉を聞いたのです。
健気に咲こうとしている花の蕾を見つけた母は、「おや!」と驚き水をやり、肥料もパラパラと撒いてみたのだというのでした。f:id:kyokoippoppo:20190513065636j:plain:w200:right
「京子すごいよお。真っ赤だよお!京子は植物の世話も上手だよお!」

 一方母も、色々食べられなくなっちゃった悲しみしにも慣れ、身体に合わせて食べる流儀にも慣れ、術後の身体と付き合うことそのものに慣れていったのです。

再発

 しかし、1年半後・・・・ガンは肝臓に飛び再発しました。

手術は無理だといわれ、抗がん治療を始めましたが、
「まるで自分の身体じゃないみたいだ。このような身体で生きていても意味がない。」
と言い、その治療はやめました。

「おかげさまでどこも痛くないよ。」
と母は言い、死への準備を着々と始めました。

すでに市民葬(川崎)の積み立ては完了しておりました。
家族には、きっぱりと「祭壇も棺も最低のもので良いのだ。葬式に金なんてかけなくて良いからね。」
伝えられておりました。

電話周りの便利貼り紙には、死亡時電話するところとして社会保険庁の電話番号と、夫婦の年金番号までがマジックでしっかりとメモされておりました。
更には不用品引き取り業者の番号まで。

死亡も死亡後も、母にとっては日常の延長であり、その段取りも大事な‘’自分の生活‘’だったのです。

延命措置を望まないという意志を明確にするため尊厳死の文例にのっとり文書も用意しました。
ただ母が思い残すのは、我が死のあとに一人になる夫のことでした。
「どうしようよ。長生きして子どもたちに迷惑かけたらよお。私が先に逝くなんて思いもしなかっよ。」
ともらすのでした。

八重桜

 その後、痛くはなくてもだるいと訴えるようになった母でした。
年が開けた2008の春には、「台所に立てなくなった。」と言い、弟夫婦の家でしばらく過ごしましたが、とうとう入院することとなりました。
「あんたはもう、葬式の時来ればいいんだからね。」
と念を押すように言われていた私でしたが、周りからの助言に従う形で上京し、母を見舞うこととなりました。

「きょうこー。よく来てくれたよう。悪いよお。」
例の大げさな母の言葉を聞くことを想像しながら顔を出した私でしたが、母は私の顔を驚きもせず見つめ、ささやくような声で、
「静かに逝きたい。」
と言ったのです。
窓の外は八重桜が満開で、ひっきりなしに桃色の花びらを降らせておりました。

数日後の4月28日、母は静かに逝きました。
様子から、そろそろだろうと思い病院に泊まった日の翌朝、息をひきとりました。

むくみがひどぐ点滴は外されており、モニターすらついておりませんでしたのでまさしく身体ひとつの母。
その母の顔を、さほどの切迫感もなくながめておりましたら、
はふーと最後の息を吐きました。
なんとなく佇まいが変わった姿で亡くなったことがわかりました。

「よかった。楽になった。よかった。楽になった。」
私は母の頭をなでました。
母の死を見たことで、私は
「死ぬっていいことだな。」
と心から思えました。
もちろんこれは、”高齢でそれに相応しい死”を指しております。
実際私自身が死を身近に感じたとき、どのような態度を取るのかはわりません。
しかし、「死ぬって悪くない」という思いは、母が残した最後のプレゼントだと思うのてすよ。
お母さんありがとう。
  *  *  *  *
下記の記事は、そんな母の、私にとってネガティブな部分について書いてあります。
こういうことも含めての「私の母」なのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

さて、一人残された父は比較的元気にひょうひょうと暮らしておりましたが、母の命日から一年も経たないうちに風呂場て急死してしまいました。
電話をかけて
「元気!」
と聞くたびに決まって
「生きてるよ。」
と返した父でしたのに。
いきなり死んじゃった。
これはこれで、父らしい最期でした。
お父さんありがとう。

kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com