さむさむサンデー・おいなりサンデー

さむさむとガタピシ!! 

 先日夏至を越え、太陽の軌道は早くも秋への準備を始めました。
そして、オホーツク海沿いのわが町は、寒さに見舞われています。
以前次男からプレゼントされた極暖インナーを着込み、朝、夕、ストーブを焚く始末。
気温が15度に届きません。

 そんな週末日曜日、夫のリクエストに応えるべく朝はお稲荷さん作りでスタートでした。
朝、手を動かしさえすれば、お昼の心配はナッシング!適当にカップラーメンなり、インスタントスープなりを添えて食べればよろし。

その後、ミシンカタカタ。
孫のための夏用の服を作り始めているのですが、腕は悪いは、ミシンの調子が悪いは、ミシンカタカタと書いたものの、実際はガタピシ状態でちっとも進みません。

飽きたところで終了。
ソファに座りました。

『夜の虹の向こうへ』

 足の上に先週末図書館から届いた『夜の虹の向こうへ』を乗せながら、ブログの下書きを始めました。

夢の中で‘’夜の虹‘’をみたのが、先月5月24日のこと。
kyokoippoppo.hatenablog.com

夜に虹が出る現象などあるはずないと思っていたのですが、念のためにと調べたら、実は起こるのですね。
月光が水しぶきや雨に当たることによって起きるとのこと。
それはやはり、満月の時が起こりやすいとのこと。

この夢をみた日が、射手座満月の夜だったこともあり、嬉しい驚きを感じました。
さらに「夜の虹」に関連して知ったのが、高砂淳二氏という自然写真家の存在と、彼の著作物である『夜の虹の向こうへ』でした。
高砂氏とハワイとの繋がりについても知ることとなり、
「ホ・オポノポノ」実践中の私は、さらに驚き喜んだというわけです。

早速本書を図書館へリクエストし、手元に届いたのが6月22日の金曜日。
次の満月のタイミングでした。

素晴らしい本でした。
高砂氏はこれまでのご自分の人生を「見えないレール」に乗って歩んできたと語ります。
興味のあること、好きなことを追いかけ、様々な人と会ってきた高砂氏。
それは計画に沿った道すじではなくほとんど‘”なりゆき‘’任せ。
その導きを彼は「見えないレール」と称するのです。

 そんなレールの上を走っていたあるとき、僕の目の前に‘’ハワイ‘’というものが登場し、‘’夜の虹‘’が現れた。そのあたりを境に、僕の中にこれまでにない大きな潮流ができることになった。

そのダイナミックな潮流を、読者も追うわけです。
崇高なものの存在を信じることができました。
それによる素晴らしき導きが実際にあることを知りました。
掲載されている写真も美しいものばかりでした。

夜の虹に初めて出会い、その撮影に成功してから、彼はこれをテーマに写真集を出すべく動き出すわけですが、天候や地理的な条件など、人間の知識の及ぶ範囲での行動を繰り返しても、そうそう簡単に虹は出現しないのです。

されど、その行動が無意味かといえばそれは違う。
夜の闇のなかを手探りで滝壺へと向かう彼の行動。
ただただガソリンを消費し、虹と出会うために広大な土地を走り回る時間。
そんな、彼のとことんまで人事を尽くす行動と思いの末に、まるで天からの承認であるかのように素晴らしい景色がプレゼントされるのです。
本書は、天と人との濃密な交流の記録といって良いでしょう。
そして、天や土地と深く繋がるハワイの治療師や、ネイティブ・アメリカンの人々との交流を記録した書物でもあります。

ホオポノポノ

 本書終盤では「ホ・オポノポノ」についてが語られます。

一般的に「ホ・オポノポノ」と記述されることが多いのですが、音声にすると「ホオ ポノポノ」と読まれます。
高砂氏は「ホオポノポノ」と記述しています。

ハワイに「光のボウル」という言い伝えが残されています。
モロカイ島の一族‘’光の番人‘’によって伝えられたもの。

どの子供も完璧な光で満たされたボウルを持って生まれてくる。
しかし、嫉妬や怒りを持つようになると、石ころをボウルに入れていくことになり、光は消えてしまう。
その子供も石ころになってしまうだろう。
でも、石ころでいることが嫌になったなら、いつでもボウルをひっくり返せばまた光は戻って来る。

こんなお話です。
これは、ホオポノポノの原理だと高砂氏は書いています。

天と繋がるパイプが詰まってしまったら、自分を赦せば良い、周りを赦せば良い、そういうことではないか?と。

ハワイ語で許すことをKARAというのですが、この言葉は同時に光を取り戻すという意味も持つとのことです。
ameblo.jp

 満月の晩にみた夢が私をここまで連れてきました。
喜ばしいことではあります。
しかしね、この夢はグースカ眠りながら見たに過ぎません。
ホオポノポノの実践は、「ただでできるしね!」くらいの気持ちで手軽に実践しているのみ。
私の暮らしは、天を敬っているだろうか?
自然を見つめているだろうか?
生活は丁寧だろうか?

高砂氏の本を読み、素敵だ!
と思い、勝手に親近感を感じたものの、物事を追求し行動するレベルや、思いの深さがとてもとても桁違いだわ。

そんなことを感じたkyokoなのでした。

そんなkyoko、簡単お昼の前に、これを公開して、あとはのんびりと過ごすことでしょう。
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