長浜氏の教育に対する理念
『地方公立校でも「楽園」だった』の著者である川村美紀氏が大学院で学んだ際の教授であった長浜功氏。彼の教育に対する理念は以下のようなものだと思います。
・教育は貧困を克服するための力にならなければならない。
・その際体制側や権力者と対峙するかもしれない覚悟を備えていなければならない。
・自分自身や、地域、他者の生活に、より良い示唆を与えるものでなければならない。
長浜氏本人の著作を読んだわけではなく、よって引用したものでもありません。
『地方公立校でも「楽園」だった』
で紹介されていた文章を読み、こういうことだろうと要約したものです。
(おそらく大きく違うということはないと思います。)
長浜氏の考えをそう理解した上で、これを今の教育現場に持ち込むことはできそうもないな、と感じる私です。
長浜氏が、このような持論を述べた当時の「貧困」と、現在の「貧困」のイメージにそもそもズレがあります。
地域的な問題とか、第一次産業ゆえの問題として、貧困が語られることは今は少なく、どちらかというと非正規社員や、片親家庭、奨学金の返済、老後の設計、働けない働かないなどという個々の様々な事情が原因となっています。
社会的な認知も進みつつあるとはいえ、多くは「貧困」の課題は、個々で対処するほかなく、自己責任の結果ととらえられるおそれすらありそうです。
ですから、教育の方向性としては、だからしっかり勉強して、有用な人材になれ!という風に流れがちなのではないでしょうか?
息子の、通った高校では、非正規と正社員では生涯に頂く給料が、こんなに違いますよなどと説明して、マネーリテラシーを学んだようです。
同じ話をPTAに向けても語り、親の意識にも訴えようとしておりました。
「正社員」が安心のキーワードでした。
内田樹氏が『下流志向』で述べているように、
学校で着席して待つ子どもたちは、いまや消費者的な意識が強く、労働や生活という実感をほとんど持っていないと感じます。
kyokoippoppo.hatenablog.com
彼らを教える立場の教師自身もまた、似たような学童、生徒時代を過ごし現在に至っている方が多いのではないでしょうか?先生方は待遇の良い公務員であり、貧困という実態をつかみにくいことでしょう。また個々の教師が児童生徒の家庭問題にぐいぐい食い込むことは今では難しく、そんな教師と子どもたちで貧困や、社会の矛盾や、労働環境や、生活の向上を主眼とした学びを構築するなんて、ちょっと想像もできないのです。
四つのお話
しかし本来教育とはこういうとのであるべきだ、という長浜氏の持論を私は簡単に捨て去ることはできません。
しっかり胸に留め置きたい考え方だと思っています。
とともに、いくつかの物語や自伝が頭に浮かんでおります。
⚫『カムイ伝』創作(漫画)
⚫『イクバルの闘い』実話を元にした創作
⚫『この道のむこうに』自伝をベースにした作品
⚫『乞食の子』自伝
教育の原石を見るような、物語や自伝です。登場する人物にとって、「学ぶこと」は「糧」であり、それを取り上げられたら``飢餓感‘‘に苦しむほどの強い欲求であることが伝わります。
ただし、これらの物語が、長浜氏の理念と重なるかどうか?は疑問です。学校教育とつながる要素はほとんどありませんので、ブログ内容とズレているのかもしれません。
ただ、長浜氏が残した文章に触れたとき、ふっと私の心に浮かんだ作品だったのです。
次回よりそれらを数回に分けて紹介したいと思います。