新着記事としてお知らせされている方もおられるかと思いますが、過去記事2019.7.14のリライト版です。当時、ニコニコ動画アップのタイミングでこれを書きました。リライト版ではその後足場を移したYouTubeを貼り付けております。
あまり日をあけずに⑤を書くことができます。
動画がアップされたのです。
過去記事をもれなく貼ることはいたしません。
興味を持って下さった方は『長男のこと』というカテゴリーで、記事を読んでいただけましたら幸いです.
ざっとこれまでの経緯を書きますね。
⚫中学3年生になって初めてピアノを触り、その後夢中になりました。(1999年)
⚫高校進学はせず、卒業後は近所のコンビニで働き始めました。
⚫バイトとビデオ鑑賞とピアノの日々・・・。
始めはバンド譜のピアノパートを弾いておりましたが、『ピースメーカー』という映画(ビデオで鑑賞)がきっかけで、クラシック音楽に興味を持ちました。
⚫卒業後約一年の春、札幌で行われた『素人ピアノ自慢コンクール』に出場。(2001年)
音楽を愛する人との新しい出会いがありました。その出会いがなければ今のHはありません。
そういう点からも大事な出来事といえます。
●そこで出会った仲間からの誘いを受けて、秋には札幌時計台ホールでの演奏にのぞみました。
その後のことを綴りましょう。
何時いいですか?
春には「ピアノ素人自慢コンクール」、秋には「時計台」・・・そして12月には地元のピアノ教室の発表会がありました。
曲目は何だったかなあ?記録記憶がなく詳しく書くことができません。
さて、その会場にHのかつての同級生の・・・・(これまたHだ。困ったぞ。)hiro○○君がいたのです。
彼は、別の同級生の発表を聞きに来ていたのですが、そこにHが出演し、その演奏を聞くこととなったのてす。
発表後彼は私に声をかけてくれました。
「おばさん、Hちゃんかっこよかったてす。指が見えなかった!!」
と・・・・。(弾いた曲目は、テンポの速い曲だったのでしょうか?)
私は
「ありがとう。元気だったかい?」
などと言い、社交辞令的に
「遊びにおいで」
と、一言添えたのでした。
「はい!」
との返事をしてくれ、お互い二三歩離れたところ
彼は、たたたと走り寄り、
「おばさん!いつ行っていいですか?」
と聞いてきたのです。
私の社交辞令に対し、彼も社交辞令的に答えてくれたのだろうと受け止めた私でしたが、彼は真正面から私の言葉を受け止め、まっすぐに返してきました。
「はっ?!あっいい。いいよ。Hと都合が合えばいつでも。」
その後どのような流れで実際に我が家に来たのだったか?
その日に、演奏後の息子とやりとりをしたものか?今となってはガラ携と呼ばれる当時の携帯でやり取りしたのか?
アーリースクリャービン
とにかくhiro○○君は、友人一人を伴って我が家に遊びに来たのです。
その、友人はY君。
隣の町の(今は町村合併で同じ町となっております)中学校の卒業生ですので、Hとは初対面。
ビアノもたしなむ少年ですぐに打ち解けました。
そして、なんと翌年の2月に行われる「町民音楽の広場」に、それぞれ出ようではないか、と相談が決まったのでした。
「町民音楽の広場」は、町の有志によるイベントで、音楽好きの人たちが自由に発表できる場です。
ピアノ演奏あり、合唱あり、吹奏楽部の演奏あり、弾き語りあり、バンドありの楽しいイベントです。
Y君はいざ知らず、hiro○○君はピアノ初心者です。
Hが手ほどきをすることとなりました。
ピアノCDを聞いて発表する曲を絞りこんでゆきました。
Hの狭い部屋に10代後半の男子が閉じこもりピアノをならしては話し合っている。
「アーリー(初期の)スクリャービン」
などという声も聞こえてくる。
この時期、ロシアの作曲家であり演奏家であったラフマニノフへの興味から、同じロシアの作曲家スクリャービンにHの興味が移っていった頃でした。
kyokoippoppo.hatenablog.com
hiro○○君は、スクリャービンの前奏曲の中から一曲を選び発表曲に決め、我が家に練習に来るようになりました。
Y君も大抵一緒。
彼はポップス系の曲を手慣れたように奏でておりました。
Y君は再婚した母親が始めた新しい家での暮らしに馴染まなかったものか、hiro○○君に劣らぬ頻度で我が家を訪れ、そのまま泊まっていったりしました。
無事発表
2月・・・・hiro○○君、Y君、Hは無事それぞれの発表を終えました。
hiro○○君の発表曲についてHに尋ねたところ、スクリャービンの5つの前奏曲、OP16のNo3であったとのこと。
こんな曲です。
5曲まとまて入っております。動画を4:20秒あたりまで早送りしていただくとその曲を聴くことができます。
大変美しい曲です。是非お聞き下さい。
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もちろんhiro○○君の演奏は、必死に譜を追うような演奏で、もっとスローなものでしたが、つまずくことなく最後の音にたどりついた瞬間、ほっと胸を撫で下ろしました。
よくぞここまで!と思いました。
一方Hが発表したのは、ラフマニノフのエチュードト短調。
こちらです。
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もちろん、当時の息子の演奏もこのように洗練されたものではありません。
そういえば、さいごのダララララ♪で苦しんでいたな。
でも、ドレミのドすらわからず始めたピアノ歴の2年目としては、なかなかの上達ぶりだと思うのです。
この時・・・2002年「第15回町民音楽の広場」には次男のYも中学校の吹奏楽部への賛助出演という形で参加しました。
まあ賛助出演というより、お情けで出していただいたという感じかな?
ギターを抱え、覚えたてのドレミを駆使して、ビートルズの「レットイットビー」を、ソソラミソ ドレミミミイ~と単音で弾いていたと記憶しております。
(この次男も、後に とあるビジュアルバンドのメンバーとなり、ギタリストとして活動する時期があります。
次男の物語も強烈!!そのうちに話題にすることがあるかもしれません。)
◆“スクリャービンらしい”響きとは、どのようなものでしょうか?
野平:彼はピアノの音色をとても生理的に捕まえている気がしますね。ピアノの低音から高音までの響かせ方が完璧です。実に美しく柔らかい響きに満ちています。彼にとって和音とは、個々の音に分解されない融合した響きだったのではないかと思います。つまり、ドミソの和音がドとミとソという音の重なりとしてあるのではなく、渾然一体となった響きであって欲しいと願ったのではないでしょうか。どれだけ多くの音符を書いていても、それらは全体として一つの響きであって欲しい。そういうことを夢想した人だと思いますね。オーケストラの響きの多彩さなどは、スクリャービンにとってはむしろ現実的すぎたのかもしれません。ピアノという楽器一つに限ることで、かえって非現実的な響きの融合を体現できたのかもしれない。ピアノはスクリャービンが日常的に弾いていた楽器であり、心中を告白でき、生活の奥深い所に入り込んでいた存在だったと思います。
私のお気に入りの一曲も見つかったので貼っておきましょう。
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この動画「6つの前奏曲」の3番目!!これが好きなのです。
ため息がもれるほど好きなのです。
3:20秒あたりまで早送りすると聴くことができます。
その頃弾いていた曲のリストです。
息子の部屋から出てまいりました。
捨てるには忍びなく、写真に残しここに貼った上で処分することにします。
ということで、これから先は処分品の保存コーナーですので、スルーして下さいませ。
スクチャービン・・確かにありました。