さよなら電車

加◯誠◯君

 自分が死ぬ前に一度は会っておきたいと思っている懐かしい人がおります。
その名は「加◯誠◯」。
旧友です。
過去の恋人などではありません。

 はるか昔のこと・・・。
私が小学3年生に進級した春、その教室には、しばらくの間空席となっていた机がありました。
加◯君という子の席でした。
何でも彼は、高い木から落ちてケガをしたらしく、しばらく登校ができなかったのです。
担任から彼の様子を尋ねられた友だちはカタンと起立し、それを報告できることがいかにも誇らしい様子で
「まだ、めまいがするのでこられないそうです。」
と答えました。
私はこのとき初めて「めまい」という言葉を知り、その言葉を口にした同級生を小さな驚きと共に見つめました。

 話題の少年加◯君は、その後教室に姿を見せました。
めまいを抑え込むためか、こめかみを両手で挟みながらそれでも友だちを追い回し、狭い机の間を走り回り、鬼ごっこに興じておりました。

その頃給食で出された牛乳は瓶入りのものでした。
最後の一口を飲もうとした私の瓶の底を、上から叩きつけたのも加◯君でした。
瓶の口が強く前歯に当たり、小さく欠けてしまいました。

当時流行った小さな面子、ロウメンを持って我が家に、遊びに来たことがありました。

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秋の頃だったのでしょう。
我が母にふざけて
「おい!ババア!柿持って来い!」
などと言い放つのでした。
自分の子どもには厳しい躾をする母でしたが、加◯君の放埒な言葉に突拍子もない子どもの面白さを感じたものか、ぷっぷと吹き出して柿をサービスしておりました。

加◯君のお宅は父子家庭。
母親は健康状態が思わしくなく、悪く長く入院しているとのことでした。


中学生になった頃、彼は遠い存在になりました。
髪はリーゼントスタイルとなり、改造した制服に身を包み、定番のツッパリ少年になってしまったからです。
高校進学もしませんでした。
その後、母は街中で彼に会ったそうです。
礼儀正しく
「今、寿司屋で働いている」と挨拶をしてくれたとのこと。

彼の中で我が母は、好ましい存在として印象に残っているらしいことを、その後何十年もたってから彼と話を交わしたという旧友(ノンコ)から伝え聞きました。
彼の記憶にも、我が家で遊び、そこの親に柿を運ばせたことが残っているのでしょうか??

私は生きているうちに加◯誠◯に会って、是非とも話をしてみたいのです。

「ブウキョだよ!!」

 その加◯君が、かつての同級生たちと共にホールの前の方にいるではありませんか。
私は懐かしさにかられて階段を駆け降り近づきました。

夢での話です。

昨日は定量働いて帰宅したにも関わらず、なかなか入眠できず浅い眠りの中、たくさんの夢を見ました。
加◯君に会う夢は明け方最後に見たものです。

彼に近づいた私は、名乗りをあげず「自分にとってあなたは懐かしい存在なのだ」と告げました。
彼は驚いて私を見返しますが、私が誰だか思い出せません。

「教えてやるか?」
と言うも
「いや、自分で思い出したい。」
加◯君。
私は最初の出会いである「めまい」のエピソードなどを伝えるも彼は思い出してくれません。

とうとう、駅のホームに着いてしまいました。
別れが迫っています。
私たちのすぐ後ろに、私の高校時代の友がおり、彼女らが私の名を呼んだら自然に知れるだろうと思うも、駅構内は騒がしく彼はまだ私を思い出してくれません。
とうとう電車が入ってきました。

 私は自分から名を明かしました。
「ブウキョだよ!」
ブウキョとは小学校時代から高校時代まで続いた私のあだ名です。
ブウはもちろん豚を指しますが、ご愛嬌で付いたというか付けた「ブウ」。
仲良し順ちゃんはジュンプ!!
途中で品川から越してきた綺麗な規ちゃんは「ノンコ
彼女はブウの要素は微塵も無かったからね!!

おっと話を戻しましょう。
彼は何の驚きも見せず、懐かしみの表情も見せず電車に乗り込みました。

私は片方に彼の靴を履いています。
なぜがビーズを散りばめた美しい靴。
返さなければ!!
どうする??私が電車に乗り込むか?
目の前の電車は横須賀線か?東海道線か?横浜へと向かうものなのです。
ああ、私は北海道で暮らす身。
ドアが閉まる直前私は履いている片方の靴を蹴り飛ばし、車両内に投げ込みました。

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 私は、片方裸足の足で駅構内を歩き、帰るのです。
でも、潔く靴を投げ入れた自分の行為を、自分自身は納得し承認しています。
加◯君は、私に会ったことを、同等に喜び懐かしみはしなかった。
でも、私はこうやって片方裸足の足で歩くことを悔やんではいないのです。
  *  *  *

さよなら電車 

 さてさて、他人の夢の話はつまらないものの最たるものだ!と言われることを知りながら、私はこれを書かずにはいられませんでした。

夢から醒めて目も覚めて、私はさっそくこれをしたためております。

何故にこんな夢を見たのでしょう。
心当たりがあるのです。
もしお嫌でなければ、もう少しお付き合い下さいませ。

新年度となり、新しい校舎にて義務教育学校の1年目を歩み始めております。

私の担当児童も変わりました。
実は昨年末、校長より意向を問われましてね、その時、
「是非続けて担当したい!」
とは言えなかった私です。

私が関わり続けるのが、その子のためになる確信が持てない、そこまでの自信がありませんという謙遜も含みながら、もうこれ以上はしんどいです、という本音も微妙に混ざった上での返答でした。

年度末ぎりぎりまで、色板製作に励み、来年度はこれを掛け算の学習に生かすことまで考えていた私です。



今年度の奮闘を来年度も継続する想定をしつつも、尻込みする気持ちもあったのです。
校長はそんな私の気持も見抜いてか、いや、それ以上に新しい担当のもとでのその子の成長を期待したためでしょう。
担当者を入れ替えての新年度スタートを発表したのでした。
校長の決めた事とはいえ、私を慕うその子の手を振り払ってしまったようで、申し訳ない気持ちになりました。
その子の新年度はどうなるのだろう。
新校舎、新担当…担任こそは変わりませんでしたが、担当する支援員との関わりは決して小さくはないのです。

私は、その子が私を懐かしみ、いっとき戸惑い、荒れもするのではと心配していたのでした。

アハハ、ところがね、なんのことはない。
ふたを開けてみれば、その子は新しい支援員と手をつなぎ、あちらこちらを指差しながら語り合い、廊下を歩いている。
私が手を振れば振り返すものの、表情を変える様子もないのです。
新しく担当となった支援員さんは、何とか交流が成り立ったことに安堵し、彼を「可愛らしい」と評するのでした。

ウーム。
私は彼を「可愛い」と感じる気持ちそのものが枯渇していたものな。
私にとっても彼にとっても、今回の配置替えは良かったことなのだなあ!
私の心配など全く無用だったことを突きつけられたのでした。

自分のそんな思いが今朝の夢をみさせたのではないか?
そう思っています。
私が思う程、加◯誠◯も、担当した児童も私を懐かしみはしなかったのでした。

その上で、私は電車のドアが閉まる前投げ入れた美しい靴を思うのです。

それは、昨年度の1年間、その子の手を引き校舎を歩き回った私の時間です。
ごっこに興じ、ジャングルジムを渡り、ブランコに揺られた時間です。
数を唱え、一つ一つの字を教えた時間。
せっかく用意した教材を破られ落胆し、机に向かわぬ彼に腹を立てた時間なのです。


それらは所詮片方の靴。
さらに歩き始めるためのもう片方の靴は、新しい時間、新しい担当者との間で手に入れてゆくのです。
ドアは閉じられ彼の電車は出発していきました。
裸足となった私の足は、自分の傲慢を知った恥ずかしさです。
そして私のほのかな淋しさです。

 勝手な夢の解釈です。
ちょいと感傷的な・・。
でも、前に進むために私に必要な夢でした。
そう思うのですよ。