犬ものがたり⑤・・・・置き去り

狂った歯車

 何故犬は置き去りにされたのか?
『その犬の名を誰も知らない』を参考に、その経緯を書き残すことにしましょう。

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

  • 作者:嘉悦 洋
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本

1957年12月・・第一次南極越冬隊は二次隊に任務を引き継ぐ準備を進めておりました。
二次隊をのせた「宗谷」は着々と南下を進めており、その時点で全く問題はなかった・・・。
本書では、そのように書かれております。
しかし、年が明けてから吹き荒れたブリザードが次々とトラブルを生みます。

1月下旬・・・氷盤から抜けられない。米国へ部分的な支援を要請。
2月1日・・・「宗谷」のスクリュー一部破損。米国へ本格的な援助要請。それにより昭和基地へのルートが確保される。
2月8日・・・・「宗谷」からの一番機、昭和号が昭和基地へ飛来。物資の投下。引き継ぎは目前。
9日・・・・・・・・昭和号飛んでこず。西堀越冬隊(第一次越冬隊)を「宗谷」に収容するという旨の連絡。
現地での引き継ぎしか考えられない一次隊は納得できず。

①二次隊との引き継ぎは、昭和基地で行う。
②二次越冬隊が基地に来られない場合は、一次越冬隊が継続越冬する。

譲れない二点を携えて、立見隊員のみが「宗谷」へ。
しかし、立見隊員は、二次越冬隊の永田隊長にも、村田越冬隊長にも会えず。
二人は引き継ぎを前にそれぞれの視察や準備をしており船内にはおらず、探せど見つからずの状態だった。


このあたりを読むと完全に歯車が狂いはじめているようで、もどかしく感じます。
”変えられない過去の現実”を知りながらも、
「どうした!どうにかならないのか?」
「大事な二人はどこへ行った!」
と歯ぎしりする思いで読み進めました。


2月11日・・・・仕方なく越冬隊らは「宗谷」へ帰還し、船内での引き継ぎを行うこととする。
誰もが不服ながら隊長命令には背けない。
基地がいっとき人間不在になるものの、船内の引き継ぎが終われば直ちに二次隊がやって来る。

「二次越冬でも、カラフト犬は絶対に欠かせない。犬が逃げ出さないように、しっかり固定せよ。」

巧みに首輪抜けする犬たちもいる。
基地を離れた犬たちに待っているのは、おそらく死しかない。
犬係であった北村氏は、その命を守るためにも、二次隊に犬たちを確実に引き継ぐためにも、首輪の穴をいつもより一つきつめに締めることにした。


別れの時が来た。犬たちは新しい犬係のもとで、次の一年を送る。
─しっかりやれよ。この一年、お前たち本当によくやったな。

第二次越冬隊のために付けた赤い名札を胸に、犬たちはおとなしく座っていました。
小型飛行機昭和号が隊員たちを乗せて離陸。

その時だった。係留地に座っていた犬たちが、突然立ち上がり一斉に咆哮した。

その声を聞く北村氏は、引き返すことのできない機上の人となっていたのです。

引き継ぎの準備が急いで進められます。



先見隊三名が昭和基地に送り込まれた。

その間にも海の状態は刻々と変わる。
「宗谷」の支援のためここまでのルートを開いた米国のバートン・アイランド号から勧告が伝えられる。
一旦外海に出たほうが良いと。
全面的な援助を受けたアイランド艦長の勧めに従わざるをえない日本側。


仮に外海へ出ても、そこから越冬地への空輸は諦めない、という姿勢を残す隊員たちではありましたが・・・。
しかし、これは見込みの薄い話といえないか?
ああ、首輪。
せめて首輪だけでも外せたら。
せめて自由だけを保障してやりたい。
北村氏は切望するのでした。

最後の望みは、先遣隊回収のための、最後の昭和号フライト時に伝言を頼むこと。
しかし、その時点では、二次隊の越冬中止が決断された訳ではない。
「やる!」という方向である以上、そのような指令は出ない。


次なる最後の望みは、先遣隊の独断による首輪からの開放となる。

先遣隊は、ここに来ての外海への避難に納得できず。
一次隊が残した食料もある。
犬たちも残されている。
計画続行の見込みがあるなら三人で残り、更なる準備を整えるためここに待機したい。
三名は強い思いで上申した。


しかし、即座に却下。
隊員たちが独断で行えたことは、残る子犬と母犬を収容すること。
飛行機の燃料を一部捨てて、積載可能重量を確保した上で行ったことだった。


眼下に残す犬たちに「必ず戻る」と言い聞かせる先遣隊員たちでした。

結局犬たちの首輪はきつく絞められたまま残されたのです。

その後も越冬実行のためのギリギリの対策が検討されました。

2月23日・・・第二次隊の壮行会が開かれる。
外では強風が吹き荒れ波が高い。

形だけの
笑顔なき壮行会だったと書かれております。




24日・・・・絶望の風が、南極の黒い海を波立たせていた。
その日の午後二時。
日本の統合推進本部より
第二次越冬の断念が言い渡された。

宗谷号北航。

つながれた犬を残し「宗谷」は帰路に向かったのでした。

日本人の恥

 国民のバッシングはすさましかったといいます。
当たり前といえば当たり前、46年前の置き去りの記憶も残るなか、二度とこのようなことは起こしてくれるなという国民の声は強かったのです。

なぜ、同じことをした!
しかも首輪につないだまま。
犬は置き去り、人間はご帰還か!

日本人初の南極越冬成功という評価は霞み、犬の置き去りばかりがグロースアップされ、批判の嵐となったのでした。

それはそうなるでしょう。
結果をみればその通りです。
しかし、最もこのことで傷つき、苦しみを味わった隊員にこれは酷な仕打ちであるとも感じます。

犬と共に生き、褒めて、撫でて、その生きざまを目でみて、肌で感じてきた隊員たちなのです。

簡単にこんなことしたわけないだろうが!

置き去りに至るまでの過程を、私は書いておきたくなりました。
それがこの記事です。

北村は食堂を抜け出し、自分の船室に戻ると、壁にもたれ、力なくうずくまった。目の前にある自分の両手を見つめる。その手は、犬たちの首輪をきつく締めた。犬たちの生きる可能性を奪った手だ。
ポチ、クロ、ジャック、アカ、ぺス、タロ、ジロ、モク、デリー、アンコ、ゴロ、リキ、シロ、風連のクマ、紋別のクマ・・・・。
 あいつらは、人間たちが戻ってくると信じている。腹が減って、早く餌を持ってきてくれと思っているはずだ。しかし、もう誰も犬たちを助けには来ない。
─俺が、この手で殺したようなものだ。

『その犬の名を誰も知らない』からの抜粋です。

北村氏は翌年、第三次越冬隊に名乗りを挙げ、再び南極の地へと向かうことになります。