自衛隊に入ろう♪高田渡

風刺と皮肉

 さてさて、皆さんこんにちは!
反戦歌をめぐる特集、始まっております。

きっかけは図書館でたまたま目に入り、手に取った一冊の本。


このような記事を書く私に、高い志のようなものを感じる方がおられるかもしれませんが、私は実にこんな人間!

そもそも私は、自分の身の回りの安心が欲しいばかりの人間です。
我が子の心配しかしていない母親で、時々パチンコ店に足が向くような人間。
寄付とかボランティアもしていないし、政治も経済も分からないと思いながら、それを学ぶ気持ちも乏しい人間です。

過去記事『あの頃の・・・』より

楽しく、肩肘張らず、緩やかな気持ちをキープしながら綴ってゆきたいと思っています。
また、この記事の内容の多くをネット情報に頼っております。
事実と違う箇所が紛れ込む可能性がゼロではないことも合わせて伝えておきたいと思います。

反戦歌のチョイスは、TAISEI・AKIBA氏のYouTube動画を手引きとして利用させていただきます。
www.youtube.com

彼が紹介する2つ目の曲は
自衛隊に入ろうです。
まずは楽曲を貼り付けておきましょう。

www.youtube.com

みなさん方の中に
自衛隊に入りたい人はいませんか
ひとはたあげたい人はいませんか
目衛隊じゃ 人材もとめてます

自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る

スポーツをやりたい人いたら
いつでも 目衛隊におこし下さい
槍でも鉄砲でも 何でもありますよ
とにかく 体が資本です

自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る


鉄砲や戦車や ひこうきに
興味をもっている方は
いつでも自衛隊におこし下さい
手とり 足とり おしえます

自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る

日本の平和を守るためにゃ
鉄砲やロケットがいりますよ
アメリカさんにも手伝ってもらい
悪い ソ連や中国をやっつけましょう

目衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る

自衛隊じゃ 人材もとめてます
年齢 学歴はといません
祖国のためなら どこまでも
素直な人をもとめます

自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
目衛隊に入って 花と散る

 この歌が初めて聴衆の前で歌われたのは1968年「第3回関西フォーク・キャンプ」の時でした。

関西フォークとは、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、関西から生まれたフォークソングのジャンルである。反戦歌やプロテストソングを含んでいた。 )

東京から小室等らとそこへ乗り込んだ高田渡は20歳、定時制高校に通う高校生だったということです。
この曲は観客に大きな衝撃を与えました。
自衛隊に入ろう」と呼びかけるメッセージには、十分に皮肉が込められていたわけですが、これをストレートに受け取る解釈も可能なわけで・・・・・(そのギリギリを狙った説も、後に、高田渡自身から語られております。)
防衛庁(現・防衛省)から自衛隊のPRソングとしてのオファーが寄せられたということです。
また、この歌に触発されて入隊する若者もいたらしく、高田はこの曲をその後封印しています。
これが風刺曲であることが明らかになったことで、1970年2月には、日本民間放送連盟の要注意歌謡曲の審査対象となっております。結局指定には至りませんでしたが、事実上の放送禁止扱いだったようです。
(ご自身の封印時期との前後関係は、つかむことができませんでした。)

自衛隊への勧誘

 この歌が世に出た時期は、70年安保闘争が激化した年でした。

安保闘争・・・日米安全保障条約の改定に反対して展開された、日本の戦後史上、最大の国民運動。1960年(60年安保闘争)と1970年(70年安保闘争)の2回に分けられる。
70年安保闘争では、ベトナム戦争を契機とした反戦・反米気運や学園紛争から生じた反体制ムードの高まりを背景に、過激な闘争が展開された。第一次羽田事件(42年)、新宿騒擾事件(43年)、4・28沖縄闘争(44年)等の集団武装闘争が連続的に繰り広げられ、学園紛争や成田闘争等とあいまって、政治や社会の現状に不満を抱く学生や労働者を巻き込み、大規模なものとなった。)

・・・・と共に、日本の経済は高度成長期のただ中。
(高度経済成長期は、1955年~1973年までの19年間を指す。 日本経済は、年平均で10%もの成長を続けた。)

就職に困る状況ではなかったにも関わらず、あえて自衛隊に入隊する人は、ネガティブな事情を抱えた人が多かったようです。時代背景に加え、このような実状もあったりで、当時の自衛隊員へ向けられる眼差しは、冷やかなものだったのかもしれません。
そんな中、どうにか人を集めるために、路上で声をかける勧誘も盛んだったそうです。
「いい身体しているねえ・・自衛隊に入らないかい?」
とう誘い言葉は実際にあったということですよ。

自衛隊経験をお持ちの浅田次郎の作品。フィクションとはいえ、この頃の隊員たちの実状がよく伝わる作品のようです。私は未読。)

 現在ではその存在を煙たがる人は少ないことでしょう。
災害の際は、救出活動になくてはならない存在として活躍して下さいますし、今札幌で行われている雪祭り雪像も、紋別で行われている流氷祭りでの氷像なども隊員たちの手によるものです。
素晴らしい技術が、地域の観光や活性化のために大いに役立っているのです。

(写真は2020年の過去記事より。紋別流氷祭りでの氷像。
沖縄の首里城がテーマでした。)

 自衛隊の活動が、災害時における救出や復興の手助けの範囲に収まっており、雪像、氷像作りに精を出せるうちは、日本は安泰なのだと感じられます。
しかし、国の安全保障の在り方が見直されつつある昨今の現状を考えますと、自衛隊は、よりリアルな軍隊に近づいてゆくと思われます。

 そういう懸念がある中で、自衛官を募集することは、高田渡が歌った頃以上に重たい問題を孕むのでは?と感じます。

ビックリ萌えポスター


 重たい問題を孕むのでは・・・と書いた私ですが、このような気分をひっくり返すような現在の自衛官勧誘ポスターの現状を知り、これにもちょいと触れておきたいと思います。
このようなポスターの存在を知りませんでした。この連載を始めなければ、知ることなく過ぎていったことでしょう。

勧誘ポスターを製作するにあたって、それぞれの地域(地本)によっては公募によりデザインを募り、選ばれた作品をポスターにしているようなのです。
多くの若者に、自衛隊の存在そのものを身近なものにしてもらおう!
という試みなのかもしれませんね。

若者受けするもの!萌えキャラゆるキャラオッケーなので、そのような作品も多く寄せられるのでしょう。
で・・・このようなものも出現するのです。


(画像は自衛隊茨城地方協力本部より)
(これは2018年のもの。これはイラストレーターさんに発注されたもののようです。その後男性キャラクターのものも出されていますが、茶髪、ブルー髪のアイドル男子風のデザインでした。)

www.kyoto-np.co.jp

こちらは滋賀地方協力本部による2019年のポスター。
スカートの裾は足の付け根チョイ下。
そんなコスチュームの女の子を更には下から眺めるような構図なのです。
当然クレームが寄せられました。



 以前、新入り自衛官の実際の生活を追ったテレビ番組を見たことがあります。その生活はかなりハードなものでした。
上の命令には絶対服従であることが強く印象に残りました。
一つ一つの行動や、身だしなみの規律の徹底も厳しいものでした。
訓練は当然肉体的にも過酷で、ついていかれない隊員は容赦なくどやされ、突かれ、叱咤されておりました。

つまりね、ポスターの醸し出すムードなど欠片もないわけですよ。

 それを経て、立派な隊員が育成されてゆく、自衛官としての誇りも確立されてゆく・・・・・それは事実ではありましょう。

それにしても、自衛隊という社会は特殊な場所であり、誰でも気軽に身をおけるところとは思えないのです。
それを思うと、甘くて軽いイメージの今時のポスターに違和感を感じてしまったのでした。
ポスターのムードを真に受けて入隊なさる人はいないとは思いますがね。

あらためて『自衛隊に入ろう

 自衛隊に入ろうは、マルビナ・レイノルズが作詞し、ピート・シーガーが歌った『アンドーラ』という曲が元になっています。(1962年発表)

小国アンドーラを大国アメリカと比較して賛美した歌詞は、反戦的意味合いが込められており、これを歌ったピート・シーガーこそは、世界的な広がりをみせた反戦『花はとこへ行った』を歌った歌手として知られています。

花はどこへ行った』に関する興味深い動画も見つけました。

このことについても、いずれ記事にしたいと考えています。


TAISEI・AKIBA氏は、高田渡に心酔していており、このような動画も出しています。

www.youtube.com


ただ、私は昼間からお酒を飲み酩酊状態の人が苦手です。
強烈な個性の持ち主で、今でもファンを虜にする魅力を持つ高田渡ですが、私はそれを共有できそうにありません。
(私の理解が及ばないという意味においてです。)
それではまた。