タイトル通りでございます!
「お?!!」と思って切り抜いた新聞記事と、それによって知った音楽作品を貼り、備忘録として見つけたウェブページを貼り付けた・・・・
それだけの記事です。
『水曜日のカンパネラ』
というJポップユニット???
知りませんでした。
おお!!「上湧別」が歌詞に入っているようですし・・・
検索!
動画も魅力的!!!
www.youtube.com
北海道に存在する個性的な地名は、アイヌ語の音を万葉仮名のように変換して決められたものがたくさんあります。
漢字の「音」を借用しているのです。
www.pref.hokkaido.lg.jp
別府も!!
北海道の個性的な地名と書きましたが、何と!!
「別府」の起原も、アイヌ語だとのこと。
はるか昔、日本の土地に広く暮らした民族にも、興味が広がりました
時代は「縄文時代」並びにそれ以降の「弥生時代」までの人々に関するもので、この時代にどんな民族が日本列島にやってきたかというと、1)北方民族(主としてアイヌ民族)、2)南洋民族、3)華南民族、4)半島民族、と大きく四つの系統が考えられる。
東アジアの諸民族(モンゴル族)やアメリカ・インディアンには、乳幼児の時、その背面、お尻の上部に蒙古斑(Mongorian Spot)と呼称される大小さまざまな不定形の帯青色の斑紋が現れる。
日本の小児には、蒙古斑が99%見られるが、アメリカ人やヨーロッパ人には現れない者が圧倒的に多い。日本民族で幼児期に蒙古斑が観察されなかった人や、非常に薄い人々は、その大半はかってアイヌ民族の影響を受けていると思って差し支えないと思われる。
1.アイヌ人の痕跡
アイヌ語で「川」「沢」のことを「nay:ナイ」と言う。北海道にその例が多いことはいうまでもないが、本州にもかなり「ナイ」の字が付く地名が調べられている。山形県酒田市、愛知県名古屋市、「庄内川」「庄内平野」、ベップ(別府)はアイヌ語の「川尻」を意味する「ベップト」に由来する。大分県別府市、東別府、別府海岸など、九州だけでも50ケ所以上も残っている。
2.南洋民族の痕跡
日本語となっている代表的なポリネシア語、ありあり「aliali:極めてはっきりと」、ぷかぷか「pukapuka:波のうねる様」、おとと「toto:背骨のある魚の総称」、我々がマリをほうる前に「ポイとほうる」という場合のポイはポリネシア語でマリのことである。
3.華南民族の痕跡
日本人が食べているジャポニカというイネの原産地は、雲南省あたりであることが植物学者の研究でわかっている。北九州における最近の発掘により、日本への稲作伝来時期は、縄文時代の晩期頃までさかのぼることが確実となった。
4.半島民族の痕跡
ここでいう半島民族とは、朝鮮民族(高句麗、新羅、百済)、満州、蒙古など、シルクロードより朝鮮半島経由で我が国に渡来した民族を中心とする。
5.頭の寸法から見た日本人
人間の頭を上から見て、前後の最大径を長さ、頭蓋の最大幅を幅とする。頭の長さの方が幅より大きいから、頭の長さを縦軸、幅を横軸とするグラフを作り、調べてみると、日本人は広範囲にわたりまとまりが少ない。ところが、アイヌ人、中国人、朝鮮人、満州人、蒙古人は、日本人よりも小さい範囲におさまる。これは、いかに日本人が雑種かということ、つまり、我々の中には朝鮮系の人もいるし、満州系、蒙古系、シナ系、アイヌ系の人もいろいろいることになり、非常に範囲が広くなってくる。そしてまた、人種によって頭の寸法が違うということがわかる。(「日本人の源流をさぐる」参照)
慶応義塾三田会総会で行われた西岡秀雄氏の講演記録『日本人の源流』より(1964年)
(大文字はkyokoによる)
http://zenkoku2mitakai.pro.tok2.com/kanagawa/archive/H01kinen.htm
へええええーーーなあるほど!
ということで、今回は備忘録的な記事になってしまいました。