この写真は昨年12月28日に撮ったものです。(流氷が来るので、冬は陸揚げされる漁船たち)
港にある「湧鮮館」で買い物をした際、スマホのカメラで収めました。
引退間近の漁船であることを知っていたからです。
縁のある船でもあるからです。
撮っておいて良かったわ!
みいやん
今年の春、「湧鮮館」でみいやんに会いました。
「あああ!!!お久しぶり。」
彼女に会うと、しみじみと嬉しくなる私です。
友達と言って良いものか??
ラインもつながっていないし、TEL番すら知らないのです。
偶然会ったときにのみ交流を持つ・・・そうね・・やはり・・友人と言ってよいでしょう。
「どうしている??」
「一真丸は??」
の問いに彼女は「売られていったのよ。」
と答えました。
そう・・・・一真丸は、湧別の港から姿を消していたのです。
Mさん・・みいやんは漁師の娘。
お兄様が漁師を継がなかったため、みいやんの夫君のMさん(こちらもイニシャルがM)がその仕事を継ぎました。
そして、昨年にはその仕事を辞め、船もこの春に売却したとのこと。
昨年末、見納めのような気持ちにかられ写真に収めたのは正解!!でした。
お仕事色々
今の仕事に付く前、私は色々な拾い仕事に励んでおりました。
●一日1時間の工場掃除。
●週一回のペースで開いたキーボードの講師
講師といえば聞こえは良いですが、・・・農家のおばあちゃま達に、超簡単な歌を、指一本でも弾くことができるような楽譜にして 教えるというお仕事です。
●4週間に一回巡ってくるダスキンのお仕事。
●不定期で頼まれる浜仕事
●こちらも不定期・・小学校でのお仕事。
その時のものがイラストとして残っております。
当時紙媒体で発行していた『いっぽいっぽ通信』に描いたものです。
このような浜仕事関連のイラストがまだ数点ございます。
一生懸命はたらいた当時の自分を思い出しながら、
お世話になった「一真丸」を忍びながら・・記事を書くことにします。
過去を振り返る個人的な記事!!(毎度個人的な記事ですがね!!)
スクロールしてkyokoの絵だけでも見ていただきたいわ!!!!
浜仕事いろいろ
一枚目の絵の中の船・・こちらは「弘恵丸」。
放流の仕事のために数年乗りました。
早朝の寒さが身に沁みましてね、こんなに着込んで乗り込んだものです。
様々なお仕事に応じて、ざまざまな船に乗りました。
弘恵丸・東栄丸・金比羅丸・祐昌丸・孝定丸・そして一真丸
一真丸での仕事が一番多かったと思います。
一真丸・・いっしんという船の名前も好きでした。
息子さんが継ぐことになるか?未定である事情もあったためでしょうか?
装備にあまりお金をかけず、なだめなだめ使っていた船のようでした。
トイレはこんな感じ。
船外に出っ張った箱の下に穴が開いているだけ、穴の下は揺れる湖面。
泳ぐ魚たち。
そのうちこのトイレさえ付けず
「おかあちゃん!!(みいやんは私をこう呼ぶ)トイレはこれだから・・。」
とポリバケツを指し示されたこともありました。
船のともでこのバケツに用を足し、湖に流す!!・・・そういうことです。
湖とはいえ、サロマ湖は、オホーツク海とつながった汽水湖です。
波がタプンタプン。
酔い止めの薬は必需品でした。
しかし、ある日それを飲み忘れ・・。
作業の途中で、具合が悪くなり、目の前に星が出て・・・・
これは、ちょうちんという資材からホタテの稚貝を振るい落としているところ。
ビールケースに座っておしゃべりしながら作業しております。
牧歌的です。
仕事に慣れない私たちのことも考えて下さったのだろうな。
大抵は立ち仕事。
網を高く吊り上げて飛び散らないようにした上で、バンバン振るい落とします。
次年度の地蒔き用の種をとるこの作業は、毎年夏から秋にかけ行われます。
みいやんとは、この時期に年一回なれど濃密な時間を過ごしたものです。
色々なおしゃべりをしました。
ほんとうにこの時だけ・・。
小学校の支援員の仕事が定着し、浜の仕事はすっかり遠ざかりました。
みいやんとも会うことが無くなりました。
でもね、偶然どこかで会えば、話に花が咲く。
そのままの勢いでお宅にお邪魔し、語り続けることも・・。
みいやんのこと・・・・私大好きなんだ!!
彼女は漁師の娘、妻である以外の顔をお持ちなんですけれど、それはここでは語らないことにいたします。
この絵もここに貼りましょう。
ポンプがけのリアルです。
色々なお仕事を体験できたことは、私の財産!!
ここで暮らさなければ、味わうことができなかった仕事の数々でした。