あの頃の…

 前回の記事は、
『あの頃のあんな事』と題しての我が家ネタでした。
そして今回のタイトルが、
あの頃…
タイトルこそ似ておりますが、内容はガラリと変わります。

あの頃 

 時代を遡ること50余年。
私が小学生の頃の事。
その頃、床の間に置かれたテレビはもちろん白黒画像で、その中ではヘルメットを被った若者たちが角材を持ち暴れていました。
火炎瓶なるものが投げられて街は煙に包まれ、道路には様々な瓦礫状のものが散らばっていました。
それがいったい何なのか?
私は分かりませんでしたし、分かろうともしませんでした。

 よその家より数年遅れて、ようやく我が家にが置かれるようになったのは私が中学生になった頃。
札幌オリンピックが開かれており、選手たちのカラフルなウエアや、はためく色とりどりの国旗に胸踊らせました。
このような個人的な出来事によって私は、「世の中の変化」を感じ取ったのでした。

私の中学時代、当時の若者は
「無気力」
「無関心」
「無責任」
で冷めていると言われたものです。

さんむ‐しゅぎ【三無主義】
無気力・無関心・無責任の若者気質をさした語。
昭和45年(1970)ごろから使われた。これに無感動を加え、四無主義という。→しらけ世代

デジタル大辞泉より)

へえー、そうなのか?
私たちってそんな風なのか?
そう思っただけで、その時代を過ぎ、高校時代は
かぐや姫
井上陽水
PPM
なんかを聴いて過ごし、短大、短かった教員時代、結婚、子育てを経ていくわけです。

人々のうねりと熱気

 そんな長きを経たある日ある時、かつての白黒映像の中にいた若者たちのことが、急に気になりだしたのです。
その頃私は、紙媒体の通信を発行していました。
始めたきっかけについては今は触れません。
毎年何らかのテーマを決めて、それに関わることを書いては封筒に入れて読者に送っていたのです。
その頃から私は発信したがり屋さんだったのですね。

2006年のテーマは、
フェミニズム
そのことに特に興味があったわけではなく、よく耳にするような言葉をチョイスしたまでのこと。
それを伝えることが先進的なことのように感じたからっていうくらいの動機でした。
その源流はどこか?を探るために図書館へ出向いたところ。
全共闘からリブへ』
というタイトルの本を見つけました。

全共闘」という言葉が、これから追うテーマの源流に登場するとは思いませんでした。
とりあえずは、その本のページを開いたわけです。
(女性の人権を求める運動は戦前にもありますが、私はここを起点として調べいくことにしました。)
そもそも全共闘って何?
ただ、私が小学生の頃見たあの白黒映像に関係するものなのだということくらいしか分かりませんでした。
昭和時代を扱った写真集も開いてみました。

(写真はWikipediaより・・60年安保闘争時のもの)
国会議事堂を囲むものすごい数の若者たち。
私はその数に驚き、そこから伝わる熱気にやられたのです。

興味の流れのままに

 その時代のできごとに興味が湧いてきました。
何と熱気に溢れた時代!
若者たちが世の中を変えようと激しく動いた時代。
政治に関わろうとした時代…

だもの、その後に続いた私たちが、三無主義などと指摘されたわけだわ!

その時代の若者の熱気を、私はまずは好意的に感じ受けとめたのでした。
数冊のそれに因む本も読みました。
坂口弘による
あさま山荘1972』上中下巻も丁寧に読み込みました。

政治に関わり、世の中の変革を臨んだ熱き若者に対して抱いた私の情緒的な好意は維持しようもありませんでした。
 罪を犯し、武装化したことにより、彼らは自分たちが変革すべき社会から離れ、身を隠すしかなくなった。
その閉じられた空間の中にあって集団の質をより純化させようとした。
目の前の仲間が信頼に足る人物か?疑いばかりが膨らみ、どんな些細な異物も許容できなくなり、山岳ベースでのリンチ殺人事件が行われた。
そのように捉えております。

世直しとか、国を相手取るとか、ろくなもんじゃ無い!

それが、正しい教訓として深くはっきりと刻まれ残され、一つの時代が閉じたと思われます。

『虚ろな革命家たち』

 2006年に生じた私の興味やそれを追う熱量も静かに冷めていきました。
しかし、わずかな熾火としてそれは残されていたようです。
先日図書館で、目に入った
『虚ろな革命家たち』というタイトルを見るや迷わず手に取りました。


著者の佐賀旭氏は1992年生まれ、『週刊現代』『週刊朝日』を中心に記者として働く若者です。
かつて革命を目指し、挫折に至った当時の若者たちに対する興味は、連合赤軍のリーダーの一人であった森恒夫の足跡をたどる丹念な取材を経て一冊の書物となりました。

そして今この本を読み終えた私は、はい!読了と言って、素通りできない気持ちなのです。
かといって、あの時代、あの事件を改めて綴る程の熱は持ち合わせておりません。
 何か別の形であの時代を追えないか?と考えました。

それでも何か!

 そもそも私は、自分の身の回りの安心が欲しいばかりの人間です。
我が子の心配しかしていない母親で、時々パチンコ店に足が向くような人間。
寄付とかボランティアもしていないし、政治も経済も分からないと思いながら、それを学ぶ気持ちも乏しい人間です。

そんな自分のままで、苦しくなくできること。
楽しんでやれること。



見つけたのです。
連載記事になりそうです。
長くなりますので続きは次回!