8月8日(土曜日)

夏休み

 平日4日プラス土日プラス祝日で計9日間という異例の夏休みに突入しました。
この9日間の間、私たち支援員は一旦職を解かれます。

 出勤の義務は無し。

何しよう何しよう!!
と思いはするものの、どこへ行くも何をするも予定ナッシングです。
私にとっての”最高の贅沢”は時間を自由気ままに使うことです。
のんびりゆっくり・・・・無意味な時間を過ごすことも含めて・・。

ほら、こんな新聞切り抜きもタイムリーに出てきたし・・・。
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とはいえ、部屋の中には切り抜いてそのままになっている新聞やら、とっておいて利用されないままのボロ布が積まれており、庭には放置されているのをいいことに、雑草たちがずくずくと生えております。

せっつかれるような気分になるのです、

散らかっているといえば、私の頭の中も・・・。

小5ののんちさん

 のんちさんのこの記事を読んで、私も自分の小5の頃を思い出しました。

nonchi1010.hatenablog.com

私も、小学生のころにたくさんの本を読み、読書感想文をノートに残しました。
戦争体験の物語や、早乙女勝元氏の本、『キューポラのある街』とかを読みました。
私のノートにも、「資本家」というワードが確かに混ざっていましたし、「ゼネスト」なんていうワードも・・・・。


そんなことを思い出し、のんちさんには共感満載なコメントを送ったのです。


私が小学生の頃といえば、戦後二十数年あたりのこと。
当時の教育現場には平和憲法について誇らしく語る先生たちがおられ、私たち児童は、この憲法があるかぎり「平和」というものが保てるのだと信じておりました。
その頃の読み物は、戦争に対する反省の姿勢が鮮明で、それを読みながら、自分を「平和を守り抜く決意を持つ少女」の立場に置くのも容易だったのです。

世の中は、学生運動が盛んな頃で、
「安保反対!」
を叫ぶ学生や若者が街をねり歩いておりましたが、それが何の騒ぎやらわからないまま時は過ぎました。

kyokoippoppo.hatenablog.com


私たちが中学生になった頃は、過激な若者たちも影をひそめ、その頃の若者は、無気力・無感動・無責任の「三無世代」などと言われたものです。

オイルショックが起きて高度経済成長が終わり、あさま山荘事件が起きて学生運動が急速に衰えると、一つの時代の終わった無力感と学生運動への失望を背景に、「シラケ」という言葉が若者の間で流行し、「無気力・無関心・無責任」の三無主義(後に「無感動・無作法」を加えて五無主義ともいわれた)を中心とする風潮が見られた。

しらけ世代」について・・Wikipediaのページより

私の「先生」時代

 

太陽の子

太陽の子

灰谷健次郎氏の「太陽の子」の出版は1978年。

私は20歳。
短大を出て教職についた頃です。
神奈川県の公立小学校で働き始めた頃。

話題になったこの書物は読みませんでした。

kyokoippoppo.hatenablog.com

 私が何とか自分に課すことができたのは、せめて点数で子どもを判断しないことでした。
クラスの目立たない子や、声の出しにくい子どもたちの警戒心を解かし、親密に関わろうと心がけたことでした。
とはいえ総括すれは、当たり前の、普通の学級を作ることにも手が届かず、悪戦苦闘した3年間でしたね。

この記事の中で私はこう書いております。
私の日常は、四角い教室の中で奮闘するばかりとなり、社会のことにもあまり目を向けず、沖縄の現実に思いを寄せることもありませんでした。
とにかく先生という仕事の大変さを味わい尽くしていたのです。
そう!
だから!
その頃の私が、小5ののんちさんの作文に触れていたらどうだっただろうか?
と想像したのですよ。

「早く 世界中が平和になればいいですネ。」
などというコメントを書かないとも限らない。
そう、思ったのですよ。


のんちさんに熱いコメントを送った私ですが、ふとそんなことに思いが至ったわけです。



そして、今でも・・・。


その頃の私と大した違いはないように感じたのです。
いつだって心配なのは、

息子や娘のことや、お金の心配、老後の自分の暮らし・・
であって、
「沖縄」の現実に思いを向けることなどほとんどない自分なのですよ。

アイヌ民族、沖縄、原発、戦争・・・・興味のある新聞記事を切り抜いては取ってあるけれど、私はいったいこれをどうしようと思っているのか?
きっと、そのうち黄ばんでシワになって捨ててしまうのかな?

このように立ち止まったら、何だか頭の中が散らかったようになってしまって・・。
部屋の中に切り抜きや、布や、CD、ファイルなどが散らかっていているように、私の頭の中も未整理のものでいっぱいなことに気づきました。


およよー。

でも!!”散らかったから書かない”のではなくて”散らかった状態のまま書き残す”ことにしたのです。

そうするうちに少しずつでも整理してゆけるかもしれません。

いつかすっきりする、なんてことはないのでしょうがね。
ちびちびと折々に、考えたり、読んだりしてゆきながら少しずつ自分を作ってゆきたいな。
みなさんの記事に助けられながらね・・。

部屋の状態がきっとそのまま自分の状態のような気もしてきました。
こちらも少しずつ片づけましょう。

今日は、ほら!
貼り付けた新聞記事1片と、不用の服を刻んでウエスにいたしました。