国のための準備・・・佐野元春

 反戦歌・メッセージソングのご紹介・・・・TAISEI・AKIBA氏が紹介する8曲の最後です。
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反戦歌として彼が紹介する動画は、他にもございます。
興味のある方は視聴なさって下さいませ。

何も考えず歩き出してしまう

最後の曲は、佐野元春の『国のための準備』です。
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貼り付けるための動画を探しておりましたら・・おや?
はてなの友人がアップしたものも目に入りましたのよ!!
曲だけ流れる静画でしたのでここには貼りませんでした。
ごめんなさいね!!

歌詞

国のための準備はもうできてるかい?
国のための準備はもうできてるかい?

家族とか大切な人を心に留めて
美しく見える話しには裏がある
気をつけろ

人は時に行き着く先のことなんて
何も考えずに歩きだしてしまう

そして道に迷い 帰れなくなって
言葉もなくとたんに そう寂しくなる

国のための準備はもうできてるかい?
国のための準備はもうできてるかい?

はっきりとした表現ではない分、この歌詞は人を立ち止まらせ、何かを気づかせようと働きかけます。
が・・
何に気づき、気をつければよいのでしょう??
ああ・・うかうかしているうちに何だかもう・・私はもう流れの中に放り込まれており、すでに歩き出しているようです。
行き着く先には何があるのか??
腰まで泥だらけ』の歌詞が再び頭をよぎります。
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さて・・と言ったところで、佐野元春の音楽についても、私、全くと言っていいほど知識がございません。
またこの度の連載は、個々のミュージシャンの音楽を深堀りするものではありませんので、割愛させていただきます。

SEALDs(シールズ)

 ネットをあちらこちらつまみ読みしていた過程で、佐野元春が「SEALDs(シールズ)」の活動について言及したものを見つけることができました。
ローリングストーン 日本版」(セブン&アイ出版)が発信したSEALDsは何故嫌われたのか?に対する佐野元春のコメントとして紹介されていたのです。

SEALDsを嫌う人たちは、彼らの若さ、賢さ、正義、愛国に嫉妬したのだ。
それゆえSEALDsの存在を、疎ましく目障りだと感じたのだろう。

このような内容のものを佐野が寄せたのだそうなのです。
(これ自体の真偽を確かめることができないためこのような記述です。)

ややや!!!
そもそも私は「SEALDsが嫌われていた」という情報すら、知らないし、
それが事実かどうか?も知らないし、
それが事実かどうか?の判断の基準すら分かりません。

関連するものをネットで拾うも、佐野元春のこのコメントを非難するものばかりが目につきました。

SEALDsをやんやと褒め称え、活動に連動したのは「ジジイ」ばかりで、そいつらこそが、60年70年の安保闘争で気勢をあげていたいかれた奴等なのであり、若者たちはSEALDsを認めてなどいない。
佐野が語るような「嫉妬」や「羨望」など微塵もない。

このような論調のものが見受けられるのです。
これらの言葉に、前回話題にした桑田佳祐に対して向けられた「不敬」や「反日」と同質のものを感じ、薄ら寒い思いがした私でした。
相手を端から受け入れず、歩み寄ったり理解に努める姿勢も無しに、とにかく自分にとって都合よく、相手をやり込める心地良さだけに依った言葉のように感じたのです。

 SEALDsの活動については、社会学的にみた様々な意見や論争があるわけで、私はこれに関してもつぶさに調べておらず、自分の確たる意見も持ち合わせておりません。
以下は、そんな私がささやかに感じた思いです。

 彼らの活動は、私にかつての若者たちの闘争を思い起こさせました。



この二つの写真・・・左(スマホによっては上)が60年安保闘争時のもの。
右が2015年、政府の「集団的自衛権」の容認に抗議した人たちのものです。
片や白黒とはいえ、2つの写真はとてもよく似ています。

しかし50余年前の若者たちの抗議行動と、2015年に出現したそれは、大きく異なっておりました。
SEALDsに連動した若者たちは破壊行為を行いませんでした。
そもそも彼らは革命を目指したわけではありません。

私はそこに時代の進化を感じましたし、彼らは理性を手放すことなく行動し、主張していたと思います。
SEALDs参院選での野党共闘を呼びかけ、改憲勢力が3分の2を超えることを阻止しようと活動してきました。
しかし結果は、そうはならず。
この現実から、SEALDsの主張は広がらなかった、とみることができます。
敗北」と呼ぶ人もいます。

しかしこれを、そのままSEALDsという組織の勝敗であるとか、正否に直につなげて判断することは控えておきたいですね。

SEALDsが支持した野党の個々の主張や、軸とする骨組みが国民に受け入れられなかった・・・のかもしれません。
低いままの投票率(2016年参院選は約55%)が示すものは、定着してしまった政治に対する無関心、無気力の現れなのかもしれません。
そもそも大きな組織票が存在し、それが常に保守の安定につながっているのかもしれません。
いやいや・・・改憲を願い、日本の防衛の可動域を広げたいという人が実際に多かったということなのかもしれません。

仮にこれをSEALDsの敗北と捉えたとても、50余年前の若者たちの敗北とは形、意味合いが違うと、私は思うのです。

この本を読んだことをきっかけに、始めた「反戦歌」の連載。


 人が抱く意見や、行為に対して賛否が分かれることは当然のことだと思います。
これが極端に偏ることの方がむしろ怖いことだと思います。

SEALDsの活動にも様々な賛否の意見があって当然で、
反戦歌に対する好き嫌いだって当然ある。
防衛のあり方についても意見は様々。
支持する政党も、もちろん!
これがひと色になるのはむしろ怖いことなのです。

だからこそ、そこに違いを埋めようとする努力が必要になってくるのでは??
それこそが価値のあることなのではないかしら?
人の考えは色々。
でも、平和を望む気持はおそらく全ての人が持っていることでしょう。

反戦歌歌ったからって、平和が実現するとは思いません。
でも、世界から反戦歌が無くなることはないでしょう。
これは、世界から戦争が無くならないという悲しい現実の裏返しでもありますね。

 さて、TAISEI・AKIBA氏の動画を参考にして紹介した反戦歌の記事は、ここまでです。

しかし、関連する記事を一つか二つ書く予定です。
もうしばらくお付き合い下さいませ。


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