ただし暴力で・ならば音楽で

ただし暴力で…

前回の記事の続きです。
kyokoippoppo.hatenablog.com
『虚ろな革命家たち』
の第八章は「暴力」というタイトル。
佐賀氏は一人の若者へ取材をしています。
その若者石田氏の言葉です。

「なんていうか……もう常識じゃないですか。社会にブラック企業があるのは当たり前だし、どうやってブラック企業を回避しようかということを若者は当たり前に考えているし、年金なんてどうせもらえないと思っているし、奨学金も返せない。じゃあ一流企業に就職したからって、過労自殺した電通の彼女じゃないけれど、自分たちが目指してきたものって、これなのっていう。東大みたいな一流大学出て、一流企業入って、待っていたのはこれなんだって。ユーチューバーで上手くやれたらいいなぐらいしか展望がないっていうか…だから本当にそういう社会の閉塞感っていうのは、この十年とかで全く違うものになってきている」

これに対して佐賀氏は深くうなずくのです。
この感覚が社会の現実の全てとはいえませんが、それでも、とてもすんなりうなずける内容だと私も感じます。

石田氏は、そんな社会を変えようと考える一人の若者です。
ただし、暴力という手段でもって。

彼は「前進社」のメンバーなのです。
前進社は、赤軍派や革命左派と同じ新左翼の一つで、現在でも暴力革命の方針を堅持し活動をしているということ。

前進社(ぜんしんしゃ)は、東京都江戸川区松江1丁目12-7に本社を置く日本の出版社。法人格のない任意団体。
革命的共産主義者同盟全国委員会(通称「中核派」中央派)の出版部門であり、同会の公然拠点である。

(Wikipediaより)


このような組織が今も残っているのですね。

 かつての多くの学生たちが連なり動いた50余年前の運動は、結局国の権力と、暴力によって潰された。
人々を決定的に黙らせ服従させる暴力装置を国が持ち、それを行使するなら、こちらもそれを持たなければ対抗できない。
革命は暴力によってしか成し遂げられない。

石田氏たちはこのように考えるわけです。
様々なやり取りのあと、佐賀氏は彼に対して究極ともいえる問いを向けます。
「ならば、あなたは人を殺せるのか?
と。
しばしの沈黙の後、
「公安をやっていいよとなりましたら……」

「やれる」と答えた石田氏。
先程の彼の言葉に対し深くうなずいた佐賀氏でしたが、これに対しては言葉を失うのでした。

 私はね、そもそも国を相手に互角になれるような武力が持てるのか?
という疑念が先に立ちます。
仮に、仮に、彼らの言うところの革命が武力によって可能になったとして…そうなると実際にどんな社会が出現するのでしょうか?
それがイメージできません。
イメージできないばかりか、とても人々が希望を託せるものが生まれるとは思えないのです。
今が良い状況とは思えない。
だけど、暴力による革命を望む人は少ないと思うのです。

2015年・夏

 前回の記事に対してはsmokyさん
https://blog.hatena.ne.jp/beatle001/
が次のようなコメントを残して下さいました。

そして2015年。
政府の「集団的自衛権」の容認に抗議して、国会前に、年齢層を超えた多くのひとが集まりました。
暴力性のないシールズの若者にも共感を覚えてーー。次の選挙では自公を追い落とせるかもしれない、という甘い期待も持ちました。

しかし、蓋をあければ自公の圧勝ーー。

(コメントの一部です。公開されているコメントですので事前の了承を得ずに貼り付けてしまいました。改行もこちらで・・・)


自分のためのメモとしてしてこの時の抗議の理由も残しておきましょう。

安倍晋三内閣は、二〇一五年五月十四日、多くの人々の反対の声を押し切って、自衛隊法など既存十法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を閣議決定し、十五日国会に提出した。この二つの法案は、これまで政府が憲法第九条の下では違憲としてきた集団的自衛権の行使を可能にし、米軍などが起こした戦争に自衛隊が地理的限定なく参加するなど、憲法第九条をかつてなく破壊するものであり、まさしく戦争法案と呼ばれるべき内容である。

(参議院のホームページ「請願」の部分より)




この写真は、法改正に反対し人々が国会を取り囲んだ時のものです。

毎日新聞報道の写真です。SEALDsのフェイスブックが借用したものを、さらに借用いたしました。)

シールズ:8.15解散 写真で振り返るその活動 [写真特集12/21] | 毎日新聞


前回記事で貼り付けた60年安保闘争の写真に劣らぬパワーがここに見られます。

しかしその後の選挙結果はsmokyさんのコメントの通りとなり、国の安全保障のあり方は、その後敵基地攻撃能力の行使にまで発展しております。
ほらね!
どんなに集まろうと、どんなに声を張り上げ抗議しようと、国はやりたいようにやるのさ!


うーん確かにそうなのでしょう。
ましてや力を持たぬひとりの人間が、何かをしたところで世の中など変わりはしない。

力を持たぬ一人として

 でもそこから、
だから何もしないという選択肢と
それでも何かしてみるという選択肢があるのです。

何か何か…
ふと
反戦歌」
という言葉が私の中に降りてきました。
音楽…
それだって時代を変える程の力は持ちませんでしたよ。
しかし今なお残り、私たちに何らかのメッセージを届けてくれるではありませんか!

かつての暴力革命が、仲間を失い、世の応援も貰えず、自滅し、忌むべきものとして葬られていったのとは対照的です。

私はふと、かつて歌われた反戦歌に思いが向いたのです。

歌は誰も傷つけない。
それでいて時代を超えて生き延びる。
ときには放送禁止となるほどに国を困惑させることもあるのです。
柔なようで、人々の心に届くパワーは大きく頼もしいものといえないでしょうか。
また
これを発信するのは楽しいのではないでしょうか。


更にこれは、ささやかなれどuwisizenさんのこの記事に連動した試みになるのでは?とも思いました。
uwisizen.hateblo.jp

闇」の状態に絶望しかかっていた。
しかし少しずつ「明かり」がともりはじめた。
平和を望むなら、戦争の準備ではなく、平和の準備を。
この動き・声が、急速に広がっていくのを期待している。

(改行はkyokoによる)

反戦歌」と打ち込み検索にかけると、たくさんの記事や動画がヒットしました。

おお!やはりそれらはしっかりと今の時代に生き延びているのです。

数ある動画の中で、私は貴重な一つに巡り会いました。

その動画に私は釘付けとなりました。
この先は次の記事で!
  *  *  *
 

昨晩
夕方北の窓から見えたお月さま!
五線譜に乗ったお月さま。
私に「やりなされ」とささやきました。