前回の記事は、「スピリチュアル」絡みのものにするか?別のもう一つか?と少々迷い、結果書いたのがスピリチュアルネタでした。
となれば、この度は前回見送った「もう一つ」を書くこととなるわけですが、一直線に行動に移せず日が過ぎました。
図書館で借りて読み終えたこの本について書きたいのです。
とても面白く、印象に残ったからです。このドラマは、私が全くその情報に触れないうちに放映済みとなっていまして、私は何の予備知識もないままに本書を手に取り、開いたのでした。
予備知識がないとはいえ、宮藤官九郎氏が、しばらく前に放映された話題作『不適切にもほどがある』のライターであることは知っており、この作品はTVerにてとても楽しく視聴しましたので、本書も相応の期待を抱いて読み始めました。
舞台となるのは「とあるエリア」。
"ナニ"の被害者が一時的に避難場所とした仮設住宅が立ち並ぶ「街」です。
"ナニ"が、東日本大震災を指していることは明白なれど、シナリオの中では"ナニ"と表現されています。
こんなところに宮藤氏独特の表現を感じますね。
ナニから12年が経った今もそこを立ち退かず暮らす面々はワケ有りの住人ばかり。
そしてこの作品の魅力は、その住人たちの魅力に他ならないのです。
「ひと」の魅力・・・・。
そもそも高いところに居ない人々であり、高みを目指すような人々でもない。
住人たちの暮らしは敷居がなく開けっぴろげであるようでいて、全てのことは分からない。
そう、人間の奥底は分からないのです。
人それぞれが深い沼地のようなものを持っていて、そんな人々が繰り広げる10話の物語なのです。
どんな話にも、切ない出来事が語られる場面でもユーモアが小さなアクセントとして散りばめられています。
さて、この作品には原作が存在します。
山本周五郎氏の同名の作品『季節のない街』です。
そしてこれを映画化したものが、黒澤明氏による『とですかでん』であるとのこと。
私、双方読んでもおらず、観てもおらず、知ってもいませんでした。
宮藤官九郎氏は、この作品に魅入られ、いつか自分の手により作品化したいと考えていたようです。
一話ごとに挿入されている監督解説から、宮藤氏によるものを一部抜粋いたします。
黒澤明監督作品の中で『どですかでん』がいちばん好きで、その原作小説『季節のない街』に20歳で出会い、そこから演劇をはじめました。今までまちがいなく最も多く観た映画で、事あるごとに原作と読み比べていました。今やるなら戦後のバラックはどう表現する?配役はどうする?といった妄想が今回、日の目をみることになり、夢のような2ヶ月半でした。
この作品は、宮藤官九郎氏にとっては特別な一作であることがうかがえます。
※監督は3名の分担となっています。
私は作品の最終形であるドラマを、視聴しておりません。
しかし「おお!見逃してしまったか!」という残念感は大きくはないのです。
本書のシナリオをゆっくりと目で追い、ところどころに挟まれた写真をながめながら、滋養のあるスープを味わうようにページをめくることができたからです。
もちろん機会に恵まれれば、ドラマを視聴したいとは思っていますがね。(TVerでは視聴できず。)
改めて考えます。
人間の魅力とはなんだろうと。
私はこの作品の何に、どのように惹かれたのだろう。
上手く言葉にすることができませんが、そうですね、「生きている」ということの素晴らしさが、全く素晴らしくもない人生を生きる人々の姿から立ち現れてくるという感じかな。
以下関連の情報をいくつか貼り付けます。
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第8話後半『がんもどき』の中で、リカーショップのオカベが大好きなかつ子(「がんもどき」とあだ名が付けられている女性)に向けて歌を歌う場面があります。
泉谷しげるの『春夏秋冬』・・・。
「季節のない町に生まれ♪」で始まる歌詞が印象的ですが、これは山本周五郎の『季節のない街」』とかかわりがあるのかしら?
これも検索してみました。
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『春夏秋冬』っていうタイトルは、そうせざるを得なかった理由があったんだ。本当はそんなタイトルにする気はちっともなくて。最初は『季節のない街に生まれ』というタイトルだった。でも、山本周五郎さんの小説に同じタイトルがあるっていうじゃねえか。このまま曲をリリースしたら、盗作だと思われてしまう。しょうがねえから、『春夏秋冬』っていう題名に変えたワケなんだよ。
でも、本当に偶然だった。『季節のない街に生まれ』というフレーズは、何も考えずに出てきたもの。都会生活には季節がねえっていうメッセージを歌いたかった。この曲を書いたのは1970年代の初め。'60年代から始まった高度成長期の空が光化学スモッグに覆われ、都市に季節感がなくなったことを歌にしているんだ。