今年最後の一日となりました。
’’締めくくり’’を多少意識した本日の記事であります。
朝、布団の上でぶるぶる震えていたブウタロウをタオルに包み、抱き寄せて、スマホで打っていますよ。
さて、年末といえば大掃除!
皆さん済ませましたでしょうか?
我が家は・・・・ううむ・・・たいしてきれいになっておりませんねえ。
色々整理したくても、捨てられない性分が邪魔をして手つかずなものがたくさん。
その中の一つが、新聞の切り抜きです。
目について気にかかった記事があると、とりあえず…的な気分できり抜く。
そして…
放置。
たまにそれを拾い上げどうしようか?と考える。
そして…
放置。
以前私はこれらのものを写真に収めて、「納戸」と名付けたカテゴリーにどん!と貼り付けその後処分という手を使いました。
しかしそのウェブ内の納戸を、私は再度開けたでしょうか?質量として残されるものではないながら、結局放り投げておしまいというのでは、あまりに乱暴ではないか?後に新聞紙面にも著作権があることを知れば、このような貼り付け方はやはり推奨されないと思われます。
そこで、私は思い立ったのです。
捨てられない思いで取ってある新聞紙面について、少しずつでも取り上げて、自分なりの記事に仕立ててゆくことを…。
一生かけて終着を迎えるのか?分からないような無謀ともいえる決め事です。
途中立ち消えするかもしれません。
そんな決め事の第一弾は、2025年9/21の北海道新聞の記事です。
オピニオンコラムに寄せられた志子田 徹氏の文章をご紹介いたします。
書き始めるに当たってお伝えしておきましょう。
私は、世の中の平和を願う国民の一人ではありますが、日常思っていることは、家族の平穏とお金のことばかり。
政治に関して、国際情勢に関して、強い気持で志を掲げているわけではありません。また、確固たる持論もございません。
願うだけで平和が実現するかよ!現実見ろよ!と問われたらアワアワするばかりの人間です。
だからこそ、北海道新聞のコラムタイトルを見た時、目が止まったのです。
自分にとっての拠り所となるように感じられたのです。
そのようにご了承の上でこの先を読んでいただけましたら幸いです。
オピニオンコラム、タイトル
「非暴力で戦争を止める」(志子田 徹)
攻撃されても武力で応戦しなければ報復は連鎖しない。だが、反撃しなければ攻め込まれる。「座して死を待つことにならないか」
そうこのジレンマなのです。
丸腰で国を守れるか?
自分の子どもが殺されてもいいのか?
領土が奪われる状況を指を加えて見てるだけか?
このような言葉を前に、日本の誇りともいえる平和憲法すら脆弱に感じられ、実態と乖離した飾りものであるような印象を、既に多くの国民が持ってしまっているのではないでしょうか?
多くの人が平和を願っているはずです。
と同時に、平和のために必要なものが武力であると考える人も多数なのです。
平和のために持つべきものが武力であるというのが、現段階での人間の知恵の限界なのですね。
そして今、この「持つべきもの」が、拡大傾向にあります。
日本のトップは明らかにこの考えを持つ人であり、その上での国民の評価は高いのです。
私が道新の記事に出会ったのは、高市氏の総理大臣就任前ではありますが、切り抜き取っておいたのです。
いや、力に頼らず戦うことはできる。非暴力とは何もせず屈服することではないのだ。そんな考えを突き詰めた米国人がいる。ジーン・シャープ氏。生涯かけて非暴力の闘争を研究した政治学者だ。
戦争のように周到な戦略や計画が必要なその「戦略」は198の抵抗方法と呼ばれます。
デモや集会をはじめ歌、演劇による妨害、仕事のボイコット、あらゆることへの非暴力を挙げる。市民の組織を育てることも重要だとする。
抵抗者側にも相応の犠牲は出るが、暴力行為で応じてはいけない。それは相手にさらなる武力行使の口実を与えるだけだから…文章はこのように続きます。
支配者側の弱点があるとすればそれは民衆側の全面的な協力や従順、支援に頼らざるを得ない現実だ、なのでそこをきり崩していくというのがジーン・シャープ氏の考えです。
この理論は旧ソ連からのリトアニア独立や旧ユーゴスラビアの独裁者を退陣に追い込んだ運動に大きな影響をあたえたそうです。
ガザでの無差別な殺りくもロシアの蛮行も、残念ながらシャープ氏の理論だけでは今すぐとめることはできない。
だよね、だよね。
それが厳しい現実です。
そのように書きつつも、志子田氏は最後にこのようにコラムを締め括っておられます。
この国の行く末を変えられるのは私たちだ。平和の歩みを世界にも広げたい。非暴力を貫いてこそ光が見える。
日本は民主主義の国であり、かなり形骸化しているとはいえ憲法第9条も保持しています。
私たちは、自分なりの平和のあり方を自由に持つことができますし、論じることもできるのです。
しかしね。
どう考えてもこの非暴力の姿勢を貫くのは、厳しい道。
これは、相当の覚悟、強い意志なければ貫けない道です。
私は弱虫だし、先に申したように自分の周りだけが平安であれば良いと思うばかりの小市民です。
でも、このささやかな願いだって国の平和、世界の平和が保たれてこそのものだということを忘れてはなりませんね。
物価高、米、熊、災害、新たな総理大臣・・・様々なニュースが取りざたされた2025年が終わります。
明日から始まる2026年が平和でよい年になりますように。
ブログを通してお付き合いいただいた皆々様!誠にありがとうございました。
良い年をお迎え下さいませ。
大晦日の本日、切り抜いた1枚の新聞切り抜きを処分いたします。