「むすめのこしかたおひっこし」
音にして読むとリズムに乗ってなかなか良いタイトルだこと。
AIタイトルアシストなど、いらぬお世話さ!!
・・・と今日のところは言っておく。
さてさて、そのタイトル通りのことを綴ってゆきます。
我が子の事であり、私の回顧録ともなります。
過去記事の貼り合わせ的なもの。
備忘録として思いのままに綴りますので、読みづらさをお感じになったら、すっ飛ばして下さいね。
この年末に娘Aは拠点を変えました。
そう、またまた変えたのです。
彼女にとって何度目の引越しでしょうか?
ということで、彼女の引っ越し歴とそれまでの来し方を書き残します。
●彼女が生まれたのは隣町遠軽の病院。
●その後6歳の秋までを、町営住宅で過ごす。
遊び仲間には事欠かない楽しい環境でした。
現在の自宅への引越し。
●高校卒業後札幌へ
進学もせず、就職先も決めず「一人暮らし体験」モードで家を出た娘でした。
そしてそれを、認めた私たち父母でありました。
長男は中卒。次男は専門学校中退、そして長女である娘はアルバイター。
高学歴が人生の成功を約束するものではないながらも、無策無謀なまま子どもたちを世に放ってしまったという自覚はあります。
自戒は無いのか?
と問われたとしたら何と返事をしたものか?
我が子たちの来し方、有り様に胸を痛めたこと、そして今もそれを味わっていることは認めつつも、良し悪しの判断はまだ控えておきたい私です。
●娘の札幌暮らし最初の拠点は、次男が引っ越しの作業もできないまま後にした新琴似のマンションでした。2008年
●その後寒々しい印象だったというその部屋を引き払い、南郷の物件へと自力で引っ越し。
●東京から札幌へと拠点を移した次男(兄)から同居の話が持ち上がり、世帯向けマンションへ引っ越し。2010年
私も手伝いに行きました。家賃を折半することで双方の負担を軽くするという目的のもと行った引っ越しでしたが、この同居は上手くいきませんでした。
●数ヶ月後には同居解消による、さらなる引っ越し。(東豊線元町駅前のマンションへ)それに加え兄妹間にも妙な亀裂が生じたのでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com
拠点を変えることもしばしばながら、仕事も転々と渡り歩いていたA。2012年~
この頃は派遣会社に所属し、様々なイベントキャンペーンのお手伝いに駆り出される日々でした。
若く可愛く元気な女の子!のイメージを差し出すお仕事。
楽しげに働いていたようでしたのに、ある日いきなりの反転。
「もう無理」
Aは力尽きた状態で一本の電話を寄越しました。
ドロンと弱っており、母親である私にも心閉ざしたような厭世的なムードになっていました。
え??どした?我が娘!
私はドキドキしながら、Aを訪ねました。
たかだか一二泊の滞在だったと記憶しておりますが、少々解けたような娘の様子にひとまず安堵したのでした。
ちょうどその頃、Aはとある男性と知り合います。
そして、派遣の仕事から転職。2013年
社員としてアパレル業に就きました。札幌JRタワーで働き始めたのです。
はりきって働き始めたものの、そのうち体調が悪化する。
頑張ることが不向きだという宣言は彼女の高校生の頃には、はっきりとされていて、それでも生活のために働く日々が、彼女の不調を生むのか?
不調を生むことで、頑張ることから逃れようと身体が仕向けるものか?
とにかく婦人科系の不調で仕事も休みがちになるのでした。
地元へ戻ってくることを私は伝えましたが、
「それは嫌!」とAは頑なでした。
お付き合いしていた男性も、彼女を遠くには手放したくなかったのでしょう。
不動産業を手掛けていたその人は、とてつもない激安物件を紹介してくれました。
●都落ちのような気分を、無理にでも見ないようにして行った引越しは夏のさなかでした。
●しかし程なく彼女はお付き合いしていた男性のマンションへと身を寄せることになりました。
親知らず抜歯後の不調と、寒い部屋で冬を越えることに耐えきれなくなったのでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com
●男性の妹さんまでもが、そこへ越してきて不思議な3人での生活。
妹さんとAは大変親しくなりましたが、肝心の恋人との関係が怪しくなってゆきます。
男性にとって既に手に入れ、妹共々家族のように暮らし始めたAはかつての魅力を失ったのでしょう。
kyokoippoppo.hatenablog.com
●次の暮らしは滝川となります。婚活、結婚、出産。2014年~
●そして別居。湧別へ。2019年
私はざわざわとした不安を抱えた中でブログを始めておりました。
ここから先の転居については、記事として残しています。
kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com
湧別の町営住宅は、娘たちが幼少期を過ごした住宅のすぐそばでした。あれほど拒んだ地元へ戻ってきた娘。身体の不調は時折訪れましたが、精神的な不調は綺麗に払拭されていました。
我が子Kと暮らす日々。
自分がこんなに子煩悩だったとは!
良き母親としての娘。
kyokoippoppo.hatenablog.com
私にとっては、母子生活を営みつつ、より良い暮らしや人間関係を模索する娘を感心しながら見る日々でありました。
●そして、町内でのさらなる引っ越し。2021年
これも生活の必要に合わせての引っ越しでした。
この時点で、Kちゃんの小学校入学のタイミングで札幌転居を決めていたAです。
ここでの生活が一年弱の期間であることが分かっていての引越しでした。
娘と孫の地元での3年間暮らしは、私にブログのネタを大いに提供してくれました。
●秋のプレ引っ越し。2021年
そして2022年春保育所退所後の、本引っ越し。
新しい場所での新しい生活に慣れるまで数ヶ月を要した孫も、その生活に慣れ、今は小学2年生。
しかし冬休み明けには別の小学校でスタートを切ることとなります。
●中古物件を手直しした新居への引っ越しを、先日終えているようです。2023年末
手伝いには参っていません。
そのうち夫君となるTさんと共に、引っ越し業者の手も借りて終えた模様。
人生の流れに翻弄され、あちらこちらへ漂いながら生きてきた娘A。
しっかりとした堅実な人生とはいえないAの変転を綴りました。
自分に自信が持てないままに、それを穴埋めしようとしゃかりきに頑張っては頓挫する・・そんな娘でありました。
再婚を決めたお相手さんは、Aの持つ良さに目を留めて下さいました。
機嫌の振れ幅が無く、安定している人だとのこと。
相手の機嫌を伺う心配が無いことの晴れやかさ伸びやかさを味わっている娘。
自分の欠点を穴埋めしようと足掻く必要もないのです。
彼はそこへはほとんど目を向けず、Aの笑顔、愛嬌、思いやり、美味しいご飯を存分に認め、それを味わっている様子。
Kちゃんとの関係も丁寧に築いて下さっている。
ありがとう。
ありがとう。
Aは新たな拠点へ向かってゆきました。
もちろんその後の暮らしにおいて、悩みや苦しみも味わうことだってあるでしょう。
さあ、家族でどう越えてゆくのかな?
来春はそこを尋ねる予定の私です。