三連休ですの。大雪ですの。

いきなりの重たい雪

 雪の少ない異例の冬であることを、このブログでも度々綴っておりました。
が、いよいよ来ました。どか雪が・・・。

道内日本海側よりは、むしろ太平洋側とオホーツク海側にもたらされた大雪です。

昨日30日朝より降り始めました。
気温は高めで、校庭の木々は重たい雪を枝葉に乗せ、しなだれておりました。

児童たちは、集団下校の予感に落ち着かず。
風が強くなかったため、集団下校までの措置はとらず一時間繰り上げての下校となりました。

予め、翌31の臨時休校が知らされ、児童は自宅待機となりましたので、私は年休を取りました。
三連休となりますね。
しかし、ゆっくり休むモードには当然なりません。
朝から除雪。
重たい雪と格闘する金曜日です。

暗いうちに義母宅へ・・。
除雪車がよけた重たい雪が、高さ80センチの壁を作っておりました。
いずれ近所の除雪機が入るのを見越し、出入り口のみをよけて戻ってきました。
我が家の周りは夫と共に・・。

やれやれ・・とおうちにはいります。
せっかくのお休みです。
なかなか進まぬお部屋の整理でもすればよいものを、除雪で疲れた身体をソファに預けるともう、何もやりたくなくなってしまいます。


せめて、切り抜いた新聞記事を話題に、記事を書くことにいたしましょう。

幌延の深い穴

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 1月20日北海道新聞の切り抜きです。
まず、目に入ったのがこの「読者の声」の投稿でした。









更に新聞をめくりますとこの記事が・・。
この研究施設に対する道民から寄せられた意見の集計です。f:id:kyokoippoppo:20200131160650j:plain:w500:right
道のホームページなどに寄せられたものだとのこと。



反対451件 賛成83件で「反対」が多くを占めるものの、「賛成」の声はほとんどは、地元から寄せられているのです。
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幌延町と周辺6町村は、18年度までの16年間に、国から約50億円の交付金を受けており、このことが背景にあるからではないか?
と道新は分析しております。
(豊富町は、例外で反対意見が多かった。
町の基幹産業が酪農であることが関係しているのでしょう。)



この施設は、町民に対し職場の提供を果たし、研究者を住民として迎えるなど、一定のメリットがあるのでしよう。

「あくまで、核抜きの施設である」
「研究のためだけの施設である」

この約束があればこそ、賛成派町民は「不安」にふたをし、受け入れを容認するのかもしれません。

しかし幌延は、過去には原発そのものを誘致していたのであり、核のごみの貯蔵施設誘致も進めようとしていた事実があります。
https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/25467www.jnpc.or.jp
北海道新聞社の記者とし、長く原発問題の取材を続け、共著での本も出された関口氏の報告文です。
2013年のものです。
2013年当時関口氏が感じていた危機感は、研究打ち切り間近での期間延長という形で、姿を現したことになります。
報告文の一部を下記にコピーいたしました。

オンカロと同じような深い穴は北海道にもある。札幌からひたすら北へ、特急で4時間かかる幌延町。日本原子力研究開発機構幌延深地層研究センターは現在、地下350メートルまで掘っている。東京タワーがすっぽり入る深さだ。地下へは6人乗りのゴンドラで降りる。オンカロと違い垂直に直径6・5メートルの穴が続き、その先は真っ暗で見えない。これまでに3回潜ったが、いつも恐怖感を覚えた。

深地層研は、核のごみを地中深く埋めるための技術を開発し、地質や地下水の流れなどを研究する施設。オンカロと違い、あくまで研究施設であって、核のごみは持ち込まない。後10年ほど研究すれば埋め戻す計画だ。


しかし、ここが核のごみ捨て場になるのではないかとの疑念は道内に根強い。幌延町は1980年代以降、最初は原発を、後に核のごみの貯蔵施設を誘致した。それが道内全体を巻き込んだ反対運動で頓挫し、妥協の産物としてできたのが「核抜き」にされた深地層研だった。せっかく掘った深い穴、埋め戻すのはもったいないと考える人たちがいる。過疎の町で誘致の火種はくすぶり続ける。今も町商工会などが核のごみの最終処分場の誘致を半ば公言している。

(大文字はkyokoによる)

紹介
原発からでる「核のごみ」、事実上破綻している核燃料サイクル計画、原子炉の廃炉-。解決を先送りできない原子力関連の重い課題に、北海道新聞記者が鋭く迫る。「メディア・アンビシャス」活字部門大賞、「JCJ(日本ジャーナリスト会議)」賞受賞連載企画。


研究施設がそもそも妥協の産物てあること、長きに渡り巨額の費用をかけ研究が進められていることを思うと、この深い穴がやすやすと埋めもどされるものか?
研究の成果が喧伝されれば、核抜きの約束はさらに危うくなるように感じます。

このような懸念があっても、もう深地層研究センターは、もう町にすっかり馴染み、なくてはならない施設になってしまっているのでしょうか?




核の処分場になるかもしれないリスクすら受け入れて、町を成り立たせてゆかなければならない現実をこの記事から知り、この問題解決の難しさ、根深さを感じました。

このような構図は、原発を受け入れた福島にもあり、チッソを受け入れた水俣にもあったのてす。

m.huffingtonpost.jp
(HUFFPOST・2017年のインタビュー記事です。)
内容の一部を下記に。

やがて「チッソのせいだ」となってくるわけですが、チッソは地元にとって雇用を生み、税金を納めるありがたい存在なんですよ。そして被害が広がって補償金を受け取る段階になると、補償をもらえる人、もらえない人の分断が始まる。だから圧倒的に多くの患者は、何らかの医療手当をもらったり、認定を受けていたりすることを互いに知らない。親子でも知らないことがある。一種のタブーですね。
チッソあっての水俣」という気持ちは今でも強いですし、補償の問題や差別、偏見が複雑に絡んでいる。差別、偏見が完全になくなっているのなら、患者は名乗り出やすくなっているはずですよ。そうすれば問題の解決はもっと容易だったでしょう。
だから水俣病は社会問題として、現役であり続けています。
――お話を聞いていて、福島のことが頭に浮かびました。

低濃度汚染の話は、福島との共通点という上で象徴的でもありますね。福島の人たちが広島、長崎の被爆者のようにならなければいいという問題ではない。福島第一原発事故のとき、枝野幸男官房長官が「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」と繰り返しましたが、長期、微量、複合がどういう影響を及ぼすのか。
大企業への依存構造も似ています。強権的、暴力的に地域を支配しているわけではありません。でも圧倒的な影響力を持っているという意味では変わらない。最近出てきた患者の中には「自分は祖父母のようなひどい症状じゃないから、チッソが多少でもお金をくれることに感謝しなきゃいけない」と思っている人が多いので、いたたまれない気持ちになりますよね。
除本理史・大阪市立大大学院教授は、福島で東京電力を救済した政府の手法と、水俣病チッソを救済した政府の手法の共通点を指摘しています。水俣の悲惨を見てきた人たちは「また水俣の苦しみを背負った」と福島を見ていますね。地域住民が相互に傷つけ合う構図を。

kyokoippoppo.hatenablog.com

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ボリューミーな記事になりましたが、せっかく撮った写真も貼り付けておきましょう。
娘の住宅の窓からパチリ!!
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