国の一大事・・◯◯禍

コロナ禍

 ウイルスに感染すると、被害者とともに加害者となる。
 ウイルスに感染すると、数時間で悪化、死にいたる人もいる。
 感染力が強く、頼みの綱である搬送者や医療従事者が感染のリスクに晒される。
 感染していても無症状の方が一定数いて、自覚のないまま感染を広げている。
 人々の行動制限は、厳しい経済的ダメージを生む。
 精神的ダメージを生む。
・・・・・・・・
国家の一大事である。
様々な対策がとられるも、特効薬はなく、
マスクが無くても
マスクが配られても
給付金の支給が決まっても
行動制限が呼びかけられても
それにまつわる賛否がわんさか湧いています。

町からのプレゼント

 そんな中、我が町では、全ての町民にプレゼントを配られました。
5000円分の商品券です。
「きずな5」という名称です。
町内で使える2千円分の商品券と3千円分のお食事券となります。
うれしいね!!
ありがとう。

こんな時は、自治体単位の方が動きが速くて有効なのかもしれませんね。

国の一大事

 コロナに関してはまさしく未曾有の出来事。
未知の恐怖です。
だからきっと、どの政権下であっても相応の混乱があり、
どんな政策を出しても賛否は付き物で、
一直線にすんなりと、根絶への道は見出せないのだろうと思います。
そんな現実の中、今コロナ対策が最優先課題であることは否めません。
しかし、

もう一つの国の一大事は、まさしく現政権下のもと起こっております。

新聞の切り抜きを貼らせていただきます。
地方新聞の一紙面を、私は広く皆さんに伝えたいと思ったのです。
これも見過ごしてはならない一大事といえないでしょうか?
コロナの影に隠されている禍、コロナの騒ぎに守られてさえいる現政権の罪といえないでしょうか?

北海道新聞・2020・4・2「各自核論」より

(ちょっと曲がってしまった。)
いくつかの箇所を抜書きました。(適度に改行し記述しました。)


文字が出来る人、つまり「識字能力」が高い人が官僚になり「国家」を担う。
人類の歴史では、これが「政治」の常道であり続けてきた。
今日の日本でもいわゆる「勉強が出来る人」が「偏差値の高い」とされる東大法学部に入るのは、識字能力つまり文字をコントロールする能力が高いからだろう。
そういう人材が官僚になり国家を担うというのは、現代の科挙制度といえる。
日本や中国にとどまらず、欧州でも米国でも「官僚制」と「国家」の歴史的な関係は同じである。
 その官僚たちが、文書を偽造したり、文字を書き換えたり、記録を抹殺し始めるとどうなるだろうか。
それは書記と記録の人としての自分たちの「天職」を否定することだ。
自分たちの権力の元々の源泉を否定し、自分たちの墓穴を掘ることを意味するだろう。


 安倍政権による「文書主義」の原則の破壊ぶりはすさまじい。
数年前には、法律解釈の正当性を担保していた内閣法制局の人事システムが破壊された。
今は、検察庁の人事システムが政権の都合に合うように変更され破壊されようとしている。
その解釈変更は、「口頭」で決裁されたと法務大臣が答弁するのだから開いた口がふさがらない。

官僚制の崩壊は、「文明の死」に通じる可能性がある。
「文字による支配」の死を意味し、「野蛮の到来」を意味しかねないからだ。
文字(つまり言葉)によって統治が成り立たないところでは、むき出しの権力(つまり暴力)による支配が行われる。
それが文明の反対としての「野蛮」である。

石田氏はこの文章を、次のように締めくくっております。


財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんが、文書の改ざんに命を賭けて抵抗し、ご自身の遺書を書き残して亡くなったことは、本当の意味での「文明による支配」を守ろうとした「最後の官僚」の死を象徴する出来事と、私には思えてならない。

勉強不足で具体的にわからない箇所もあるものの、石田氏が伝えたいことの本質はぐぐっと胸に迫ります。

コロナ禍は、命、そして人々の生活、国の経済基盤に関わる一大事です。
しかし、この文章を読み、
今の政治の有り様も、コロナに匹敵する程の一大事なのだ!!
と強く感じました。
◯◯禍・・・・・・こちら・・・どんなネーミングが可能でしょうかね?


2020年・4月9日
春を覆い隠してしまった雪。