チラリのぞいて足を踏み入れる・・・⑦

 飛び飛びながらこれまで綴ってきた、このタイトルでの記事ですが、今回でおしまいです。
おしまいというより、一区切りですね!
一区切りとなる今の思いを、何とか正確に、正直に書き残すことができるかしら?

そんな記事にお付き合い下さる皆様!
いつもの厚かましいお願いでごめんなさい。
数日前にアップされた長男Hの編曲作品を貼らせて下さい。
www.youtube.com

前回から日にちを置かずにアップされ、私、びっくりいたしました。
前回あげた『それを愛と呼ぶなら』を、この度はピアノ連弾に仕立ててあります。
ピアノ連弾の作品を、公開するのは初めてのこと。
彼は彼なりに、生きていくために、進んでいくために試行錯誤しながら活動しております。

応援のためにポチッとして聴いていただけたらありがたい!!
(ん??ちょっとこれ!!聴くという行為をなさるのはお相手ですが・・その行為を受け取るのはこちら側。いただくという謙譲語で良いのか???よんばばさん!!教えてたもれ。)

hikikomoriobaba.hatenadiary.com
どうかポチッとして聴いて下さいませ!!
これなら間違いなさそうだ!!

本3冊!!

 スピリチュアルネタと言いながらも、まず見ていただきたいのがこちら。

図書館で仕入れては、読んだ本たちです。

事故物件、いかがですか?東京ロンダリング
 お金が無い、行くところが無い、住むところが無い!
ここまで切羽詰まった状況を体験なさる人は、そう多くはないでしょうねえ。
しかし、この物語にはそんな人たちが登場します。
そして、訳あり物件に住むことになります。
家賃を取られないばかりか、日当が支払われますのよ!!
何故なら、これはルームロンダリングというお仕事だからです。
ロンダリング…実際にありそうなお仕事ですが、原田ひ香氏が考えたフィクションです。


『ぼくたちの家族』
 母親に重篤な病が見つかったことをきっかけに、家族に介入せざるを得なくなった息子二人。
母親が、数枚に渡るカードで借金をしていたことが発覚。働けど事業が軌道に乗らず、こちらも母親の数倍の、つまり桁が1つ多い借金を抱える父親。
滞納、督促が日常的になっている生活実態が顕わになりました。
この二人は決して無軌道に遊び暮らした訳ではないのです。
目の前の生活を一日一日越えてゆく過程で、こんなことになってしまいました。
作品を読む私も、ゾワゾワと不安に襲われ、「心に良くないわ!」と、読むのを中断しそうになりました。
しかし、物語は少しずつ光の方に導かれてゆきます。


『院内カフェ』
 病む人と、それを見守る人々、ドクターや看護師たちが集まる病院。
そこに併設されたカフェが舞台となっています。
人は病むことで、繰り返していた日常のリズムが断ち切れらます。
非力な自分、不安な自分と向き合うことになります。

スピリチュアル・・・どうなった??

kyokoippoppo.hatenablog.com

 まだ雪の残る頃、まだ娘と孫がそばにいたこの頃から「スピリチュアル」的なものを頻繁に探索するようになりました。
(それまでにも、関する本を読んだりして興味は持っておりました。)

スピリチュアルに関連するサイトを、見つけては渡り歩いていた私です。
が・・・・これらの本を読む間は、それが滞りがちになりました。
作品の世界に気持ちが寄っていった結果です。

物語の中の人物は、不安や怖れに見舞われ、
どうしたら?!
どうして?!
と叫びたいような
出来事と対峙します。
また、得体のしれない焦燥感や不安感に見舞われたりします。

著者は、そこから脱する道を描いてゆくわけですが、
それらはどれもスピリチュアル的な解決法ではありません。
そりゃそうだ!
スピリチュアルを、描く作品ではないからね!

で、私は、その、なんていうのでしょう?
人間が人間のままで、つまり自我的な人間のままで、悪戦苦闘し、右往左往しながら道を進んでゆくこれらの物語に大いに励まされたのです。

物語を読みながら、
おお!その迷いは悪い波動だそ!それが現実になるぞ!
などとは思いませんでした。
この人物は、ここでハイアーセルフと繋がって救済された!と感じた場面もありませんでした。

私は、実物大の私のままで、これらを読み、楽しみ、励まされたのです。

自分の読書体験と、スピリチュアルを関連させることそのものがナンセンスなのかもしれません。

でも、私は、スピリチュアルとは無縁の本を読むことで、スピリチュアルについて改めて考えたのです。

7つもの記事を重ねながら私がたどり着いたことは以下の通り。

●私は、スピリチュアル的な世界を直感的に知り、確信する地点は至っていない。それで良し!!

●しかしながら、人間はその核に生まれる前から死後に至るまでひと続きの魂を持っており、それぞれ目的を持って地上に降りてきていることに関しては、「そうなのだろう」と思う。

●今の人生で家族となった人たちは、もともと強い縁で結ばれている仲間である・・これに関しても受け入れて、大切な絆であることを忘れずに暮らしたい。

●これらを心にとめながら、なるべく前向きに、できるだけ朗らかに生きていきたい。
それでも湧き上がるネガティブな気持ちがあれば、それも否定せず、認めた上で手放していきたい。

●それぞれの導きに従いスピリチュアルの世界を知る人がおられることは事実。
その方たちの放つ言葉は、示唆に富んでいる。その言葉を受け止め、よりどころにしつつも、性急に現在の立ち位置から遊離することのないよう注意が必要。

●私には私に見合った進化の仕方があると思う。

人との出会い本との出会い

 この記事で話題にした作品も、また前回まで話題にしていた『八月の銀の雪』も、人が人と会うことによって物語が紡がれております。


私には、スピリチュアル的な体験など無い!
と思いがちですが、
私と人との出会い、本との出会いがもう、導きそのもののように思います。
また、私がとにかくとにかく不安で、そのさなかに始めたこのブログというもの。それも、大切な出会いであり、ブログを通して出会った皆さんの存在も、私に作用し、私を楽しませ、勇気づけてくれる大切な存在です。



結局スピリチュアルの世界に足を踏み入れたものの、私の足は踏み出せず、大きく動きはしませんでした。
でもね、そこに留まりながらも周りを見渡せば、
おお!まだまだ、この場所で見つかるもの、感じるものがありそうです。

 日曜日の朝。
朝日が顔を出しました。
台所出窓に置いてあるガラス瓶が光を反射して美しい。

太陽はその後、天気予報通りに雲間に隠れ、姿を消しました。
でも、朝の太陽の光が私に届いたそのわずかの時間、それは心躍るひとときでしたよ。