質量として残る思い出…3

始めたからには・・・・

 思い出断捨離を決行することにしました。
今までも何度か行い、記事に残しております。
それでもまだ、在庫があるのです。
せっかく着火した導火線の炎が消えてしまいまわないように、行動を起こさなければなりません。
3枚の絵を写真に収め、ここに貼らせてもらいます。

これでようやく処分する気持ちになれるのです。
以下3枚、小学生低学年頃の作品でしょう。


これは微笑ましく子どもらしい一枚です。
炎の部分など、クレヨンを指で伸ばしてぼかし技を使っていますよ。



これはお話の絵だろうか?
黒々とした作品。


これは裏に「せんそう?」と題されています。
これは捨てられず、次男用のBOXに保存することにしました。

大きなA3の画用紙に描き込まれた「攻撃」「破壊」「混沌」ちょっとすごいね!と感じてしまって。

次男の高校時代

 お見せした絵は、次男幼少期の作品たちですが、次男について語る記事は高校時代へと突入です。
次男ネタは時系列がバラバラですが、これに続くものです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

北海道はオホーツク海沿いにあるわが町。
メイン道路が一本南北に走り、その近辺に主要施設も立ち並んでおります。

ほとんど変わらぬメンバーと共に、保育所、小学校、中学校と進み、通う場所もメイン道路を南へと移動するだけ。
変化の乏しい生活と言えましょう。
「刺激が欲しい!」
と訴える息子Y
シゲキックスでも舐めておけ!」
と答えるしかない私でした。


多少新しい環境となる高校選択に際して、Y高校を選びました。
当時、形ばかりの試験はありましたが、願書を出せば誰でも入れる学校。
地元の学校です。

やや遠方の、数少ない選択肢の一つである学校は、部活加入が義務付けられていました。
バイトも禁止。
高校生になったらバンドとバイトをやる、それだけの目標をもって進学にのぞむは、Y高校を選んだのでした。
受験勉強など欠片もせずに、中3の秋冬をただただギターをかき鳴らして過ごしたYでした。

晴れて進学!
集う仲間は近隣の同い年たち。
新しい出会いがありました。
携帯電話を手にすることも叶っての船出です。


 そんな春、車で走行中であった私の目が、歩道に立つ異様な風体の高校生を捕らえました。
場所は高校のある小さな街の書店前。
学ランの裾に模様が入っているのです。
デコトラの装飾を思わせる派手な絵柄が施されている。
髪は坊主。
普通でないオーラが漂っています。
うわあ!危険人物じゃ!

そんな思いとともに、やや減速して更に視線を注ぐ。
え?そやつと話を交わしているのは我が息子ではないか!
おお!
Yは今後こういう輩とも接触していくのかあ〜!
大丈夫かあ!
と思ったものでした。

社会の生きた皮膚

 気合満々の改造制服が登場しましたので、それに関してちょいと記事を加えることにしましょう。

中学校や高校には、大抵制服(標準服)というものが定められています。
生徒の身体をコーティングするお仕着せ。
皆さんはそれとどのように付き合っていらっしゃいましたか?
私は、常に従順に、何の抵抗も無くそれに身を包んでおりました。

鷲田清一氏による服装に関する文章を切り取り保存しております。
それを紹介したいと思います。
『ちぐはぐな身体』という本からの抜粋です。

(私が読んだのは違う装丁のものですが、おそらく内容は変わらないと思います。)

 たいていの服というのは個人のイメージについての社会的な規範(行動様式、性別、性格、モラルなど)を縫いつけている。
その着心地がわるくて、ぼくらはそれを勝手に着くずしてゆく。
どこまでやれば他人が注目してくれるか、どこまでやれば社会の側からの激しい抵抗にあうか、などといったことをからだで確認してゆくのだ。
が、それは抵抗のための抵抗としてなされるのではない。
じぶんがだれかを確認したいという、ぎりぎりの行為、のっぴきならない行為としておこなわれるのだ。
言うまでもなく、この過程はいつもそういうこととして自覚されているわけではない。
ぼくらはファッションの冒険(それがかっこよすぎるとしたら)試行錯誤をとおして、じぶんがだれかを確定できないまま、じぶんの表面をそういう社会的な意味の制度的な枠組みとすり合わせ続けてきたのだ。
その意味で、ファッションという、このからだの表面で起こるゲームは社会の生きた皮膚なのであって、そこに各人がそれぞれ〈わたし〉になっていくプロセスが露呈しているのだ。

(改行はkyokoによる)

これを読むと私は、自分の表面で自己を主張することはほとんどしてこなかったなあ!
やり方すら知らず、考えずにいたなあ、と思います。

kyokoが以前描いたもの
次男が高校生になる前後に見られた「腰パン」スタイル。
あれも奇妙なものでした。だってガラパンが半分見えているのですもの。
野郎系の子が揃いも揃って選ぶものではありませんでしたが、まともに見られたい子のするファッションではありません。


すっきりと背が高く長い足…というカッコイイ男子像の対極を演出するスタイル。
どこまでも重心を落としてゆく・・・これにも、当時の若者の何かしらの思いが込められていたのかもしれません。


 Yは腰パンこそはしませんでしたが、髪をいじり、ピアスの穴を開け、いっぱしの口で先生を評価し、ぐらつく家庭内の均衡へも不穏な風を送り込むようになるのです。
続きは次回。