憧れ

7年ごとのサイクル

 我が家の長男が15歳の頃、高校進学につての疑問を持ったこと、そのタイミングでピアノに夢中になったこと、そして高校進学をしなかったこと・・これらのことはいく度か記事にしております。
成績こそふるいませんでしたが、それまで通学を厭うことは全くありませんでしたし、友達に囲まれて楽しそうに、のんきそうに生活している風にみえました。
みんなと一緒に行動し、その安心感の中に浸っていられる・・そんなムードの我が子が、なかなかの強い意志を持って
「高校進学しなくていい!したくない!」
といい始めたわけです。
その頃心酔していたジャミロ・クワイの歌の歌詞から受けた影響も大きかったと思います。

soul education』のこの部分です。
 
I don't have time for school
I've got my soul education
So let the music came and save you


シュタイナー関係の本を読みますと、人の心身の成長が、約7年のサイクルをもっていることが書かれております。

西川隆範氏によるこんな本もございます。


シュタイナー教育を語る』で説明されている箇所をざっとまとめると、

●生命活動には、始まりがあり、成長を遂げる盛んなときを経て、衰退期にむかっていく・・・このような山形をたどる。
●さらにそれぞれの3つの活動の中にも、始まり、盛り上がり、収まってゆく3段階がある。
●しかし、始まりの後期は盛り上がりの始めでもあり、盛り上がりの後期には衰退が兆している。
●すると9個の段階に2箇所の重なりがあり、結局人の成長は7段階(7年)ごとの周期で捉えることができる。

ということ。

そうすると、不思議なことに、生理学の本を読むと、実際に人間の身体の中の物質成分は、七年経つと入れ代わって、7年ごとに新しい成分に変わると言われています。
 七つのリズムというのは不思議なことに、いろいろな場合に当てはまります。音楽の場合でも音階を七つの音程で分けます。


だとすると、中学3年生というのは、第2七年期から第3七年期へ渡っていく頃だと分かります。
以前発行していた紙媒体の通信に、次男の当時の様子を書き残しております。
2001年11月に書かれたもの。
その年の秋には同時多発テロがありましたね
10月には、アメリカによる報復攻撃が始まり世の中がざわついていた頃です。

まるでそれに連動するように、私のまわりでも不穏な出来事か立て続けにおきていました。
(身近なところでの災害死、自殺、突然死、転落死、遭難などのニュースが続いたのでした。)

kyokoippoppo.hatenablog.com

(そういえば、網走在住だった中川学氏が勤務先から姿を消したのもその時だったのだなあ・・・。今記事とは直接関わりませんが、何だか「ここにも、このような錯乱があったか」と妙に感じてしまって貼り付けておきたくなりました。)

15歳

 そして我が家では……次男は中学3年生。
早生れの彼は当時14歳でした。
以下通信からの抜粋です。

中学生とひとくくりに呼びますが、この時期の子どもたちの変貌には驚かされます。成長期なので当然といえば当然ですが…、
3年間の学校生活の間には、シュタイナーがいうところの第2七年期と第3七年期の区切りが横たわっています。第3七年期に入ると子どもは、「自分を作り変えていきたい」という衝動にかられるのでしょう。
親からもらった身体、親から授かった価値観、常識、ルールなど、自分を縛っていたものを振りほどき、新しい価値観を再構築する時期なのでしょう。
激しい音楽、反体制的な詩、異質な世界は、そんな彼らに寄り添い、彼らが「新しい自分」を作るための産婆役を果たします。
我が家では長男Hにとっての「ジャミロクワイ」、次男Yにとっての「ラファエル」がそうでした。
長男はその後ピアノに夢中になり、今はクラシック音楽にのめり込みですが、次男は今が第3七年期への移行の真っ最中。
10月…ただでさえ色々あった10月に、彼は耳たぶに安全ピンを通してみたり、テストを2枚も白紙で提出したり、個室を欲しがったり、私に食ってかかって胸ぐらつきみにきたり、学校祭もあったりで、パワフルでした。
日々ギターをかき鳴らし、10月最終日には風邪をひきました。

おお、懐かしいな!
こんなことがあったのです。

憧れ

f:id:kyokoippoppo:20211029174919j:plain:w300:left 当時Yは、「ラファエル」というバンドのギタリスト「華月」に憧れていました。

彼の読んだ本を求めては書棚にいれ、写真集をながめ、彼に近づこうとしていました。
(画像はピクシブ百科事典より)




とはいえ、何といってもこちらは田舎。
洒落た服屋も、美容室も、町並みもありません。
あこがれはあまりに遠い存在でした。
地元を「うんこ」と呼び、
「こんな田舎で育ったことそのものが人生の損失だ。」
と、言い募るのでした。


そんな次男は、卒業後地元の高校へ進学しました。

(受験勉強は全く必要なく入れる高校です。
3年生の冬は、リフト1基の近くの山でスキー三昧して過ごしましたね。)
高校生になってやりたいことは
「バンドとバイト」
と言ってはばかりませんでした。
高校生活…いよいよバンド活動に精力を傾けました。
学校祭が近づくと、農家の友達の畑の片隅にあるD型ハウスに集まって練習をするのでした。

4年後
彼はあるバンドのメンバーとなっております。
ビジュアル系のね!
(その画像やYouTube貼るか貼らぬか???今回は見合わせます。)

長男にしても、次男にしても、15歳の頃に出会った憧れの存在が、将来への流れを作りました。
次男が活動したバンドは、数年後に解散となりましたが、彼のその後の様々な活動の起点となる大切な体験といえましょう。


 さてさて、長女Aの中学校生活は、部活(バレー部)に明け暮れるものでした。

目標を立て、日々振り返り、反省の弁を日記に残す。
スローガンをこれまた日記に書き記し、チームにいかに貢献するかを文章にする。


スポーツの能力に長けているわけでもない長女のこのような日々の末・・
彼女は「そういうこと」に嫌悪感を抱くようになりました。
そして、
「私には何も無い」
という気持ちを徐々に募らせていったのです。
「Hにはピアノがある。」
「Yにはギターがある。」
「私には何も無い。」
生徒会で中心的な役割を担い活動する娘でしたが、それは自分の欠乏感の穴埋めのようなもののようで、夢中になれる何かを持たない自分であることの悩みは消えませんでした。

そして、その時のその感情は、その後の娘の有り様に少なからぬ影響を与え、今に至ります。


ラファエルの作品を一つ貼りましょう。
今時期の季節を歌ったものです。
www.youtube.com

  *  *  *

 Yが、ラファエルの華月に憬れたその頃、彼はすでに故人でした。
彼は19歳でこの世を去っているのです。
鎮痛剤の大量摂取による突然死だったということです。
命日は2000年10月31日。
そう・・・投稿をする本日は彼の命日です。