Yのこと…ブログネタになる話題を豊富に持ちながら、なかなか記事にできなかったのは、それなりの気力がなければ綴れない内容のものが多かったからです。
幼い頃のテスト珍回答やふざけたドリル記述などは、微笑ましい話題として提供できましたが、成人を過ぎた後の警察沙汰ともなれば、さすがの私もそうそう気軽に…とはいきません。
しかしながら、次男を語るに当たり、これを避ける気持ちもありませんでした。
時系列に沿って書き進められた記事は、ここへたどり着がなければならない、
そんな気持ちでした。
* * *
先日の母の日に、Yからラインが来ました。
「ブログ記事読んでるよ。」
と。
自分の高校時代のこと・・親の視点で語られたことで改めて知ったことがあった・・そのようなことが書かれていました。
次はいよいよ無免許運転の顛末を話題にするけれど良いか???
改めて、確認したところ、「好きに書いていいよ!」
との返事。
そして・・書き終えました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
ふう、やれやれ。
一仕事終わった気分です。
その後のYを綴りますが、ここから先は、以前記したことの補足的なこととなります。
また、私の親バカの程度も増してきます。親バカさらすという意味では、前回の記事よりは気恥ずかしさが増すのですが、さりとて書いて残したい気持ちに抗うこともできません。
その後のY
彼が、バイクを無免許で走らせて捕まったのは、20歳夏の出来事でした。
翌2008年は、我が母が亡くなりその後父の引っ越しなどがあり忙しい一年となりました。
2009年1月、妻を追うように父が亡くなりました。
同年6月、「ポワトリン昇天」
こちらの昇天は、バンド解散を意味します。
仲間との結束が緩んできたものか?
このような結果となりました。
ビジュアル系バンドですので、いずれ年齢の壁にぶつかることは必定。まだ若いYは、他のバンドからの誘いもあったようですが、ここで大きく舵を切りました。
札幌へ戻り、『Craquer』(クラッケ)というファッションの小冊子の発行を始めます。
その活動が注目を集め(たらしく)その年の12月、北海道新聞の夕刊で取り上げられました。
その頃、毎週金曜日の夕刊は、若者の活動が紹介されておりました。
そのコーナーでの掲載です。
紙面の半分弱の大きな記事。
我が家の大切な宝物です。
宝物とはいえ、シワシワで黄ばんでおりますなあ。
地域で夕刊をとる人は少なく、地元の話題になることはありませんでしたが、私はとてもとてもとても嬉しかった。
涙が出るほど嬉しかったです。
長男Hが、
「Y、悪いことで新聞に載らなくてよかったね。」
と言ったことを覚えています。
冊子発行の流れを作った後、Yは古着屋404を開店させます。
Yの活動はその後どんどん姿を変えてゆきます。
出がらし記事となりますが、次回以降に・・。
そして久々に、幼少期の作品処分。