今年のふりかえり…その2

 年末がぐんぐんと近づいて参ります。
堅苦しいネタが続いておりますがご容赦を!
『ジャッジフリー』について、最後にきちんと書いておきたかったのです。
本題に入る前に、You Tube動画を貼らせて下さい。
長男Hの編曲作品です。
ファーストペンギン』というドラマで使われた楽曲の編曲です。
歌詞もなく、画像も静止したままのものですので、音声のみ流し、記事をスクロールしていただければとのお願いです。
www.youtube.com


 話題を戻しましょう。

ジャッジフリーについて、最初に記事にしたのは一年前の夏のこと。
友人が紹介してくれた本
ティール時代の子育ての秘密』
に関する記事を書き連ねていた流れの中でこの言葉に出会ったのです。

本書の中でこの言葉がそのまま使用されているわけではありません。
この本の中ではティール時代の生き方の姿勢の一つとして

むやみに「いい・悪い」の判断をしない。
起きた出来事や結果、自分や他人の行為、 自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。

と書かれていました。

私はその言葉を、良きものとして受け取りました。
ジャッジされたくないという、つまり、「される側」に立っていた私は、
「これなら自分は断罪されない・・・」と、救われた気持ちになれたのです。
そして、「ジャッジフリー」という言葉を、自分にとって心地良い言葉として懐に忍ばせておりました。

先日の記事でも、この言葉を使い記事を書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
『大変身チャンネル』を運営するお二人の姿勢が、生き辛い思いを抱え引きこもっていたり、自信のないままに前を向けない人に対して、そのこと自体にも価値があると言葉をかけ、そこから動き出せるようにと向き合う様子が印象に残ったため、記事にしました。

ただし、それを「ジャッジフリー」とか「ノージャッジ」という言葉だけで語ってしまうと
選択しないことが良いことです!!
のように伝わりがちです。


この記事に寄せられたA0153さんのコメントを読み、ハッとさせられました。
公開されているコメントですので、了承を得ずここにコピーいたします。

A0153
澁谷さんとクリスさんは、基本、やさしい人だと思いました。演じている面もあるかとも思いますが、人は皆演じているのじゃないかなあ。
ジャッジしないですか、それはとても難しいことと思います。ジャッジしないで生きていけるのかなあ。

(太字はkyokoによる)

そうだよな!
「ジャッジフリー」
「ノージャッジ」という言葉を、ムードだけて散りばめてはいかんなあ!
と思ったのです。
以下私の返信です。

A0153さん!
コメントありがとうございます。
そうですね!
ジャッジしないなんてことは、きっとできないし、ジャッジする必要は要所要所で生じます。
ジャッジフリーという言葉そのものを、きちんと捉える必要がありそうです。
この動画では澁谷さんが、この人にはこの髪型!この服装とジャッジしてその上で変身させていきますものね。
選挙の一票は国民による大事なジャッジですものね!
ジャッジの際、何を拠り所とするのか?それは自分の中身を通して判断されたのか?そういうことが大切で、世間の流行や、決めつけ、思い込みからフリーになることがをジャッジフリーと捉える…
このように考えを整理しました。
貴重なコメントに感謝!

そしてこれは、先日書いたこの記事と重なることですね。
kyokoippoppo.hatenablog.com


そんなことを、つらつら考えていたときに、出会ったのが、orionさんのこちらの記事です。


このタイミングで、この記事に出会うなんてね!
あはは!!
痛快なご指摘!!!

orion12.hatenablog.com

人様の記事を最後に表示する失礼お許し下さい。
最後にゆっくり堪能して下さいませ!!!

以前に「ノージャッジ=判断しない」というようなことがスピリチュアル界隈で流行っていたことがありました。
「あることをあるがままに受け止める!」みたいなココロの在り方を目指すって感じなんでしょうかねぇ、深くは知りませんが…

まあ、物事を判断しないってことは、当然選択もしないってことになります。
選択しなければ新たな出会いも生まれません。
自らの運命を紡げないのです。


例えば明日の昼食ひとつにしても「そば屋に行くかコンビニで弁当買ってくるか」みたいなことを人は選択しなければならないわけです。
そんな簡単なことでも選択は必要です。

そして、選択するためには必ずその物事を判断しなければいけません。
ということはジャッジしない人生なんて何処にもないということです。

私の胸にストレートに投げられた直球として受け止めました。
 
自分の考えを整理しておきましょう。
現段階のものとしてね。

●ジャッジの際、何を拠り所とするのか?それは自分の中身を通して判断されたのか?そういうことが大切で、世間の流行や、決めつけ、思い込みからフリーになることをジャッジフリーと捉える…
(世間的な基準が無意味なわけではありません!!)

●答えが容易に見つけられない事態に際しては、「ネガティブ・ケイパビリティ」の精神で、「答え」を急がず、持ちこたえてゆく精神を養っていく。


 この度も理屈っぽい読みづらい記事になったかと思います。
読んで下さってありがとうございます。

はてなブログ」での交流が私の楽しい学びになっていることをお伝えたかったのです。