燃え殻さんという人

冬きた!

 
 24日午後から降り始めた雪は一晩中降り続き、


朝の除雪車出動の音で、後戻りできない長い冬を覚悟いたしました。
 朝のうちに年寄り一人暮らしの実家の除雪。我が家の分は、後からの夫の労働をあてにして、サラリと中途半端に終わらせました。

「燃え殻」という人

 さてさて、今記事の話題は、久しぶりに本にまつわる話題です。
『すべて忘れてしまうから』を読んで感じたことを書き残すことにします。

書こうとは思ったものの、輪郭がぼやけたまま。
過去記事も貼りながら、散らばった思いを大雑把に掃き寄せる、そんな作業となりそうです。
他者に向けてというより、自分のために残すもの。
読みづらさを感じましたら遠慮なく通過なさって下さいませ。

『すべて忘れてしまうから』を書いたのは燃え殻さんという方。
ご存知でしたか?
私は今まで全く知らずにおりました。
図書館の棚で見つけて、軽い気持ちで引き抜いて、持ち帰った一冊です。
燃え殻氏の体験を元に綴られたエッセイ集です。
そのエッセイのひとつひとつが、心に沁みたのでした。

人生のほとんどの時間を"ままならない"で過ごしてきた。

前書きとなる「はじめに」で、燃え殻氏はまずこのように語り、扉を開けており、私はそこに喰い付いたわけです。
大まかな彼の経歴は以下の通り。
金さえ振り込めば全員合格できる専門学校に入学、コンビニのバイトすら落とされる体験も経た彼は、その後エクレア製造工場に職を得る。
そこを辞めた後はテレビの美術製作の仕事に就く。
美術製作の仕事は、バイトとしてスタート。
当初は依頼を受けたテロップを作っては、バイクで現場に届けるというものでした。
(その後仕事の幅や量も増えていったようです。)

小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』を書き、世に出したのは40歳を越えてからのこと。
現在こちらも読み進めています。

フィクション部分も多少含まれるのかもしれませんが、ご自分の来し方を土台に書かれた作品です。
Netflixで映画化され配信され、劇場公開もされた話題作とのことですが、私は全く知らずにいました。

「負け組」「勝ち組」

 話題をエッセイに戻しましょう。
燃え殻氏が味わってきた“ままならなかった“様々なできごとにより、これらの本は成り立っており、魅力もそこにあります。
幼少期はいじめのターゲットにされ、思春期も”下々の者”としてクラスに位置していたという。

このエッセイを読んだだけで、燃え殻さんの実生活の模様や、得られるお金事情のことまでを知ることはできません。
でも、エッセイから伝わったものは下層社会で身を削って働く実相です。

テレビ放映に関わる仕事なだけに、ギラギラした欲望や、狭い社会に形成される序列、金にもの言わせる横暴、媚やへつらいにまみれた人間模様が目の前で繰り広げられます。
燃え殻氏は、そこに同化することを拒み、いくらか身を引きながらその風景を見ているように感じます。
あえて「下層」というポジションに自分を置き、そこから観察をし続けているように感じます。


が、しかし、私は同時に思うのです。
でも、この人既に有名人じゃないか?
世の中に確固とした自分の作品を投じたではないか?
負け組に身を置いてきたご自分を語ったものの、もうそこから脱した人ではないか?
過去のあなたとは違う姿をし、違う人生を手に入れたのではないか?


 これはかつて西村賢太の『苦役列車』を読んだ時にも感じた思いです。
私が西村氏を知ったとき、彼はもう、芥川賞を受賞した有名な小説家となっていて、苦役労働に明け暮れ、日銭を即座に酒と食事代に消費さぜるを得なかった取るに足らない若者ではなかったのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

また、『探さないで下さい』を描いた中川学氏だって
『しんさいニート』を描いたカトーコーキ氏だってそう!
漫画家として貴重な作品を世に出したではないか!
kyokoippoppo.hatenablog.com

kyokoippoppo.hatenablog.com

『世界音痴』によって知った穂村弘氏だってそうよ!

下記はこちらの紹介文よりコピー

人気歌人は究極のダメ男?爆笑と落涙の告白

末期的日本国に生きる歌人穂村弘(独身、39歳、ひとりっこ、親と同居、総務課長代理)。雪道で転びそうになった彼女の手を放してしまい、夜中にベッドの中で菓子パンやチョコレートバーをむさぼり食い、ネットで昔の恋人の名前を検索し、飲み会や社員旅行で緊張しつつ、青汁とサプリメント自己啓発本で「素敵な人」を目指す日々。<今の私は、人間が自分かわいさを極限まで突き詰めるとどうなるのか、自分自身を使って人体実験をしているようなものだと思う。本書はその報告書である>世界と「自然」に触れあえない現代人の姿を赤裸々かつ自虐的に描く、爆笑そして落涙の告白的エッセイ。

どんなに世界音痴であったにしても、私が彼を知ったとき、彼は歌人として世に出ており、本も書き出版されているのです。

「負け組」の世界を描いた「勝ち組」の人。

これらの作品の魅力を堪能しつつも、私はその著作者をこのような眼差しで眺めてしまうのです。
少々の僻み根性を交えながら。

しかし・・・

 しかし私の心には、カトーコーキ氏が別の作品に残した次の言葉が、強く深く刻まれてもいるのです。
『そして父にならない』のあとがきに見つけた次のような数行です。
本編より深く私の心に残ったのでした。

自分の全てを込めたといっても過言ではない『しんさいニート』を描き上げ、『そして父にならない』の出版に至るまでの5年間は、「漫画を出したら何かが変わるはず」というボクの期待を裏切り、実に苦しいものとなった。

有名になった、本を出した、作品を出した、テレビに出演した…


私は単純にそれを、勝ち組の象徴のように捉えがちですが、人生はそのように単純に色分けされ、区分されるものではないのですね。

泥の中から

 エッセイ『すべてを忘れてしまうから』に戻りましょう。

会ったことはないけれど、メールのやりとりは何年もしていた人が先日、自ら命を絶った。

人間の要素としては、かなり似ているタイプだったというその方の自死に、芯からこたえてしまう燃え殻氏なのでした。
燃え殻氏は今や、本も出した、エッセイも出した、ネットで検索したら数多くヒットする有名人です。
しかし、過去のご自分と切り離して今があるわけではないのです。
自死してしまった顔も知らぬ「その人」は、燃え殻氏の半身のような存在だったと言えましょう。
現在の燃え殻氏の環境がどうであれ、過去の苦しくてままならないできごとは、既にかれの属性の一部として組み込まれているのです。

 彼が咲かせた作品は、ハスの花のように泥の中から生まれておりそれこそが作品の魅力であり、滋養でもあります。

SMAPのヒット曲の歌詞のようですが、「人はそれぞれ泥の中から茎を伸ばしそれぞれの花を咲かせるのだろうな」。
私はそう思いました。
咲く場所によっては誰の眼にも触れないものもありましょう。
また、陽の当たる場所に咲いた花だとて、その上に風は吹き、雨は注ぐのです。
他者の視線が注がれる場所に咲いたことで、妬みや毒気を含んだものに晒されることもありましょう。

 燃え殻さんのお祖父さんは、横浜の郊外でスーパーマーケットを営んでいたそうです。
お客さんに頭を下げるばかりの暮らしぶり。
何でそんなに?
と問うた10代だった燃え殻氏に対して、お祖父さんはなんと返したか?
これはここでは明かさないことにしておきましょう。

 燃え殻氏がこれからの人生で決して偉そうにはしないし、尊大な態度もとらないのではないかと思われるエピソードの締めくくりでした。